紫月花の日常―― 12


あの慌ただしい夜から数日。

カイは寝室の扉をノックし、扉を細く開けた。

レイは既に起きていた。

ベッドの端に腰を掛け、寝ているハレの頭を撫でながら無言でスマホをいじっている。

「……おはよう。報告だけど」

「どうした?」

「例の3人組の件なんだけど」

「続けて」

レイは目線をハレに向けたまま答えた。

「あの3人の名前は確定した。武道祭、竹中集、桃咲円。3人でポロアパートに住んでる」

「……それで?」

「気になったのはあいつらの会話で“花”って名前がちょくちょく出てることぐらい」

そう言うと、レイのハレを撫でる手が一瞬止まった。

「リオと調べて、唯一ヒットしたのが紫月花って子。でも……」

俺が言い終える前に、レイは静かに目を閉じて、深く息を吐いた。

「……それ以上は?」

「なかった。データも全部ロックされてた。所属不明、能力不明。完全機密」

レイの瞳がゆっくりと開き、ハレの頭を撫で始める 。

「……そうか」

その声には、明らかに何かが引っかかっているような、わずかな揺らぎがある様に感じた。

「……なあ、レイ」

「ん?」

「その子の名前、知ってた?」

「……いや。知らないさ」

短く、そう返す。

「盗聴データ、いる?」

データを差し出すを、レイは何の感情もなく受け取った。

「ありがと。確認しとく」

その一言の直後、ふっと視線が鋭くなる。

……俺は、見逃さなかった。

でも、そのまま気付かないフリをして部屋の扉を閉めた。


 

「……あれが例の3人?」

リオが屋上の柵にだらりともたれかかりながら、下の通りを見下ろす。

「うん。あれが、祭と集と円」

カイがスコープを目に当てながら呟く。

「雰囲気、普通だねー。悪目立ちしてない」

「見た目に関しては、な」

スコープを外して、カイは小さく息をついた。

「動き、手慣れてる。霊災処理も慣れた動きだった。まあ、俺等には足元にも及ばねえけど」

「へぇ〜……なんで登録されてないの?」

「登録はされたよ。少し前にね」

「え?そうなの?」

「なんと霊対庁の反逆者だってさー」

「マジ!?」

「まじまじ。前にあったじゃん?霊災が同時に多発した日」

「あー、あったね。12月だっけ?」

「そーそ、あの集って男、1人でオペ数人ボコボコにしたらしーよ?」

「へぇ〜、意外と強いんだぁ」

カイは柵に身を預け、空を仰いだ。

「まあ、やられたのはC級のオペで雑魚同士の小競り合いだけどねー」

「ねえ、レイには言ったの?」

「ああ、一応報告した」

「反応は?」

カイは少しだけ黙ってから、言葉を選ぶように口を開いた。

「……いつも通りだったよ。“そうか”って」

「ふぅん」

リオが鼻で笑ったように言う。

「最近のレイ、ちょっとピリピリしてない?」

「そうか?」

「うん、ほら。ハレのことになると特に」

「……まあ、ハレのことは大事にしてるからな。あいつ」

「大事っていうより、触らせたくないって感じ。なんていうか、子供が隠したがる宝物みたいな」

カイは応えず、黙って風に吹かれていた。

リオはちらりと横目で彼を見て、ニヤッと笑う。

「もしかして、何か勘付いてる?」

「……別に?」

「ふーん」 

その時、

「あ………ヤバッ」

突如焦った様な声を出したカイ。

「何?なんか見えたの?」

リオは茶化す様に言った。

「視線バッチリ合った。逃げるぞ」

「えっ!?」


 

ビルの谷間で、霊災が静かに崩れ落ちていく。

灰のように散った霊気の残滓が、街灯の下で白く光った。

「……成仏、出来たね。」

円が札を指先でくるくる回しながら、肩で息をついた。

その様子に俺は小さく笑う。慣れた仕事――けれど、重さは増すばかりだ。

「やっぱ、東京の霊災は重てぇな」

「数が多いし、処理の質も悪いよ」

集は冷静に言いながら、足元の封印痕を見つめていた。

薄く残る霊気に、何かが混じっている気がする。焦りか、不安か、あるいは——。

俺はなんとなく、空を見上げた。

高層ビルに囲まれたこの街では、空すらも遠く感じる。

でも、今日は違った。

視線の先、遥か上——ビルの屋上。

陽と並ぶような位置に、何かの気配があった。

「……ん?」

妙に冷たい気配。

距離があるのに、こちらを刺すような視線。

「祭、どうかした?」

円が気づいて、俺の顔を覗き込んだ。

「いや……」

俺は一度だけ笑ってみせた。

抑えようとしても、喉の奥が妙にざわついている。

「見られてただけだよ」

「またあっちの奴ら?」

「たぶんな。こっちの力量を測りにきてる、気持ち悪い奴等だよ」

集が、視線も向けずに言った。

「野次馬か、敵か。どっちにしろ同じだろ」

「うん。……見せとこうぜ」

その瞬間、風が吹いた。

一瞬だけ、視線がぶつかる。

遠く、ビルの屋上にいた“何か”と——俺の目が合った。

視線だけでわかる。あれは、ただの人じゃない。

お前たち、やっぱりこっちを見てるんだな。

胸の奥がじわりと熱くなる。

ここまで来て、ようやく届き始めた気がする。

「見つけた」という気配と、「試されてる」という予感が入り混じる。

俺は、口角を上げた。

言葉はない。ただ、静かに「上等だ」と伝えるように。

「……追う?」

円が聞いた。

「もう逃げたよ……」

「残念、話聞きたかったのにぃ」

「また来るだろ。こっちは隠れる気なんてさらさら無いよ」

朝日の下。

この街にまだ染まりきれない3人の影が、並んで歩いていく。

心のどこかで、何かが少しずつ近づいてきている。

過去の延長線上に、未来があるのなら——

それが敵として現れるなら、受けて立つだけだ。

ビルの屋上には、もう誰もいなかった。

残るのは、冷たい風と、熱を帯びた鼓動だけだった。



――2月の終わり

俺達は三人揃ってファミレスで依頼を受けていた。

「この子……“しろまる”って言うんです。ちっちゃい頃からずっと一緒で……」

頼りなげな声で話す中学生くらいの女の子が、スマホに表示された猫の写真を見せてきた。


ふわふわの長毛、

真っ白な毛並み、少し眠たげな丸い瞳——。

 

そして普通の猫の数倍はある巨体………。

「超でかくない?これ、普通の猫なの?」

「……そう、かも。ずっと一緒にいたから、あんまり気にしてなかったけど、たまに犬に間違えられる」

女の子の不安そうな顔に、俺は笑ってみせた。

「大丈夫。その子、きっと見つけて帰してあげるから」

しろまるの足取りを追って、俺たちは市街地から外れた山道を進んでいた。

依頼主の女の子の話だと、しろまると良く山に散歩に来てたらしい。

「猫も散歩するのか?」

「普通はしないんじゃない?」

「あのデカさなら散歩しないとダメだろ」

円と集とそんな会話をしながら、暫く道を進んだ。

 

 

「見て、足跡。ほら、普通の猫の3倍はあるよ!熊みたい!」

そう言って円は地面に指を指す。

そこには本当に猫の数倍の大きさの足跡。

熊の足跡といってもおかしくないくらいの大きさだった。

「……だいぶ奥まで入ってるな。でもこれ、ただの飼い猫じゃないよ」

浮かび上がる足跡は、どう見ても霊魂が纏わり付いている。

「まさか………」

「そうだな。多分もう………」

「猫ってその時は居なくなるっていうもんね」

風が吹いた。遠くから、重たく響くような気配が流れてきた。

「……呼んでるな」

俺がつぶやいたその時、森の奥で木々がざわめき、大地がゆっくりと震えた。

 

 

「うわ……これ、完全に放置された祠だな」

霊魂を辿りながら進んだ俺たち。

その先には、草に埋もれかかってる鳥居。

その奥には石段の上に崩れかけた小さな社。

枯れた榊、割れた器、ひびの入った鏡。

祀る者も、祈る者も居ない。

完全に忘れ去られた神の社だった。


「にゃああぁぁあああああああああ!!」


背後から叫ぶ声が聞こえ、風が渦巻き、空気が震えた。

けれど、それは怒りでも憎しみでもない。 

苦しみの声。

振り返るとそこに居たのは、

巨大な白猫——まさに写真で見た“しろまる”そのものの姿だった。 

「でっっか……」

「しかも……完全に霊体、だよね」

静かに、巨大猫は俺たちを見つめていた。

敵意はなさそう、けれど、どこか哀しげなその目に

俺は一歩踏み出した。


「……あんた、ホントはしろまる、いや、猫、じゃないよな?」

「しろまるのこと、知ってるのか………?」

問いかけると、白猫の姿が淡く揺れた。

そして、微かに声が響く。


——あの子が、毎日ここで遊んでいた。


——私を怖がらず、笑って花を供えてくれた。


——だから私は“しろまる”になりたかった。

 

「……忘れられた山神、か」

集がぼそりとつぶやいた。

 

――お供えも、祈りも、もう誰も持ってこない。だから、存在が歪んでしまった。もう神にも、猫にもなれん

 

「………寂しかったんだよね」

円が優しく笑って、手を伸ばした。

「もう、大丈夫。ちゃんと送ってあげるよ」

白猫は小さくうなずくように目を細めた。

「黎明」

円が扉を生成させると白猫は静かに歩き出し

扉に近づくにつれ、体が光に包まれていく。


――どうか、あの子と君達の未来が幸せに溢れますように。


 

「で、結局……しろまるってどこ行ったんだろ?」

帰り道、買い物袋をぶら下げたまま、集がぽつりとつぶやいた。

「どうだろう〜? あんなに大っきいの、すぐに見つかりそうなのにね」

「明日は手分けして探すか」

「そうだね」

俺はふと空を見上げた。

2月下旬。

この寒さの中で、しろまるは無事なのか。

どうか、無事であってほしい。

俺たちはそのままアパートへと戻った。

依頼主の女の子から連絡が入ったのは、その翌日のことだった。

『しろまる、帰ってきました!』

「えっ……?」

送られてきた動画には、まるまると太った真っ白な猫が、部屋の中でぐうぐう眠っている姿が映っていた。

「……なんだよ! ただ出かけてただけじゃんかよ〜!」

「ふふ、もしかしたら彼女のところに居たのかもね。すごく幸せそうに寝てるし」

「イビキかいてる………」

神であることを捨てて、猫にもなりきれなかった存在。


——それでも、最期に願ったのは。

 

『未来が、幸せに溢れますように』

 

「……悪くないな」


 

 

夜の街に、靴音が鳴り響く。

誰もいない歩道を、ひとりの影が駆け抜けていく。

長い髪が、フードの隙間から風に踊っている。

顔は隠されていて、その表情は誰にも見えない。

まるで夜に溶け込むような静けさの中で

その足取りだけが、やけに切実だった。

何かを追うでも、何かから逃げるでもなく、

ただ、どこかへ向かわなければいけないという衝動に、突き動かされているかのように――。


「ハレッ!! 待てって、お願いだから!」

少し離れて、金髪の少年カイの声が追いかける。

息を切らしながら、それでも懸命に彼はその背中を追っていた。

「――頼むっ!頼むからっ!!」

必死に追いかけ手を伸ばす少年。

 

――しかし、届かない。

少女は、何も言わずに走り続ける。

街灯が過ぎ、信号が滲み、足音だけが夜を引き裂く。

夜の風が、人々の間を吹き抜けていく。

なぜ、彼女は走っているのか。

なぜ、彼は追いかけるのか。

理由も行き先も、何も語られないまま、

夜の街にふたり分の靴音だけがやけに響いていた。


 

  

 

 

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