紫月花の日常―― 10
――悔しいなんて言葉じゃ、足りなかった。
あの瞬間、祭が霊災に取り込まれた。
円は、ためらいもなく寂の間を開いた。
そして――俺は、ただ、そこにいた。
動けなかった。
「……まただ」
そう呟いた自分の声が、情けなくて、泣きたくなる。
拳を握っても、爪が食い込む感覚すら遠くて、
ただただ、胸の奥がジリジリと焦げついていくようだった。
――なんで、俺はいつも、こうなんだよ。
戦い方だって知ってる。剣術だって、鍛えてきた。
頭を使えば、霊災の構造だって見抜ける。
それでも――あの2人みたいに届かせることが、俺にはできない。
祭は、命を賭けて魂に触れにいった。
円は、代償を承知で心の奥に飛び込んだ。
……なのに俺は、結界の外で、歯を食いしばることしかできない。
「――くそっ……!!」
足元の瓦礫を蹴った。
コツンと虚しい音だけが返ってきた。
空はねじれ、空間が唸りをあげて軋んでいる。
霊域が拡大している証拠だ。
結界を張らないとこの区域全体が飲み込まれる。
もう終わりだ。
こんな状況、俺にどうにか出来るわけない
やっぱり俺は、
あのまま残ってるべきだったんじゃ——
あの日——
花の父親の霊に追いかけられて、
俺達は、俺の実家の寺に逃げ込んだ。
夕方だった、雨が降ってたかもしれない。
ただ、息が切れて、心臓が潰れそうで、泣きながら扉を叩いたのだけは覚えてる。
「父さんっ!!母さんっ!!開けてっ!!」
ガラッと引き戸が開いて、灯りの中から両親が飛び出してきた。
「お前たちっ!どうした!!」
「……花っの、お父さんがっ……」
「帰れって……」
「首が……ぐるってなって……死んでたんだよぉ……!!!」
泣き叫ぶ祭の声に、父さんの表情が一瞬で変わった。
父さんが部屋を出ていき、俺達は母さんに引きづられる様に本堂に連れて行かれた。
祭も円もずっと泣いてたし、俺も震えが止まらなかった。
暫くして父さんと一緒に祭と円の親が迎えに来て、
俺たちの前に静かに座った。
「……花ちゃんのことは、忘れなさい」
時が、止まったかと思った。
でも――誰も、口を開かなかった。
反論も、問いかけも、叫びもなかった。
俺達はもう気づいてたんだ。
花は――もう、死んだんだって
それ以来俺達は花の家には行かなくなった。
花の名前すら出さない。
まるで花という子が居なかったように過ごした。
でも俺は花のことを忘れる日は一度もなかった。
忘れられなかった。
それから8年が経ち、俺達が中学3年になった、春の日の午後。
母親に本堂に来なさいとだけ言われて、なんとなく察した。
本堂の入り口には、円と円の母親の姿もあった。
何も言わずに、ただ目を合わせる。
祭は父親と一緒に少し遅れてやってきた。
小さく息を呑んだ気がした。
三人揃っただけで――あの日の光景が、勝手に頭をよぎる。
本堂の真ん中、正座で並んだ俺達の前に、親達が静かに座った。
空気が重かった。
8年前と、同じ匂いがした。
「……8年前のことを話そうと思う」
そう口を開いたのは、俺の父さんだった。
目は合わなかった。
「君達がここに逃げてきた日、私と君達の父親、それに村の数人で、彼女の家を見に行った。……そこで見たのは、酷い有様だった」
言葉に感情はなかったけれど、少しだけ震えていた。
「彼女の両親も、親戚も、皆殺されていた」
円が小さく息を呑むのが聞こえてくる。
祭は動かなかった。
まるで、そこだけ時間が止まっているみたいに見えた。
けれど――それだけなら、俺たちは驚かない。
そうなっている事は、8年前からずっと知ってたから。
「だが……彼女の遺体だけは、どこを探しても見つからなかった」
頭のどこかで、カチリと音が鳴った。
何かが噛み合ったような、不気味な、でも不可解な確信。
「家中、血の跡はあった。争った跡も。だが身体はなかった。――恐らく、彼女は連れ去られたはずだ」
「……は?」
先に声を上げたのは、祭だった。
それは、掠れ、押し殺した声。
「……なんで、それを今言うんだよ……」
膝の上の手が、震えている。
「8年前だぞ!? 8年も経って…………!」
急に叫ぶみたいな声になった。
「なんで、すぐに探さなかったんだよっ!!花が生きてるかもしれないって分かってたのに……!」
父さんが口を開こうとした瞬間、祭が立ち上がった。
拳を握ったまま、顔を紅潮させて怒鳴る。
「親父!!ずっと俺に忘れろって言ってたよな!?花はもういないって……言ったよなぁっ!!」
「……祭」
円が小さく名前を呼んだ。でも止められなかった。
祭の父親は唇を噛み締めていた。
「俺は、ずっと……っ!!」
喉が詰まるような怒鳴り方だった。
その声には、怒りだけじゃなくて、悲しみも悔しさも、全部混ざっていた。
「……あんなの、忘れられるわけないだろ……!!俺が今まで、どんな思いできたかっ………」
俺はただ黙って、拳を握りしめる祭の背中を見ていた。
その肩は、小さく震えていた。
沈黙の中で、父さんがゆっくりと口を開いた。
「祭君、すまない。私達は君達を守りたかったんだ」
その言葉が、やけに小さく聞こえた。
「……ごめんね、みんな。あの時、花ちゃんを探さないことに、私は……反対できなかった」
円の母親は俯きながら言った。手は震えてる。
円が小さく息をのんだのが分かった。
「花ちゃんがいなくなって、もう八年。ずっと、あの子のことを夢に見るの。見捨てる選択をしたのにね………」
震える声。涙が頬を伝うけれど、その涙の奥には深い悲しみと何か言いようのない決意が見えた。
「祈扉の術を知る者はたくさんいる。でも、彼女ほど扉にに愛された子はいなかった。あの子は村の光なんだ」
父さんの言葉に、円の母親はゆっくりと顔を上げ、その目で僕らを見据えた。
「もし、まだどこかで生きているなら……どうか、お願い。花を見つけて、あの子を。」
沈黙の中、祭が口を開く。
「……敵は? 誰が、花を攫っていったんだ?」
重く、空気が揺れた。
誰もすぐには答えなかった。父さんも、円の母さんも。まるで、その問いを恐れているかのように。
祭の父親が口を開いた。
「祭……わからないんだ。相手が誰なのか、何なのか……八年、手を尽くして調べても、何一つ掴めなかった」
「そんな……」
「けど、確かにいたんだ。あの夜、花ちゃんを連れ去った“何か”が。正直に言えば、花ちゃんがまだ生きているのか……それさえ、私たちには分からない。……あの子が消えた日から、ただの一度も、遺体も痕跡も出てきていない」
震える指先を膝の上で組みながら、祭の父親が続ける。
「……普通の相手じゃないんだ。普通の相手なら私達はすぐに動き出してた」
その言葉に、僕の背筋がひやりと凍った。
「だから、祭。これはただの捜索じゃない。生きているかどうかすら分からない花ちゃんを、それでも生きてると信じて挑むことになる。つまり……命を懸ける覚悟がいる。本当ならこんな話を私はしたくなかった」
「だったら……!」
祭が、苦しそうに声をあげる。
「だったら、なんでっ、今さら……そんなこと言われたって……!どうしたらいいんだよぉっ!!」
円は黙ったまま、唇を噛みしめていた。
親たちの想いもわかる。
けど、祭の想いもわかる。
ずっと、置いてけぼりにされたような8年間。
あの時、真実を知っていれば、何かが変えられたかもしれないと思ってしまうのは――当然だった。
「すまない。………本当にすまない」
俺は、ゆっくりと目を閉じた。
この8年間の答えが、今ようやく見えた気がした。
――俺たちは、もう子供じゃない。
ただ守られる側ではいられない。
それでも、怖いのは変わらないけど。
隣で、祭が、もう一度拳を握りしめた。
その手はまだ震えてたけど――俺にはわかった。
祭は絶対諦めないって、それは俺も同じだ。
「違うだろっ………!」
目の前の魂は唸りを上げている。
嫌なんだ!
仲間を失うのは……
ぐっと唇を噛み締めて、
声にならない声を飲み込んだ。
嫌なんだよ!
何もできずに閉じこもるなんて……
口の中にわずかに血の味がした。
何もしないまま諦めるなんて
「絶対に嫌なんだよっ!!」
届かなくてもいい。
間違ってもいい。
せめて、足掻かせてくれ。
俺にだって、できることが――あるはずなんだ。
お前らが“中”で戦ってるなら、俺は“外”を守る。
「……やることは一つだ」
ポケットから札を取り出し、震える指先に力を込めた。
「結界の補強、霊力の解析、霊域の安定化……全部俺がやるっ」
祭の声が届くまで。
円が戻るまで。
今度こそ――置いていかれないために。
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