紫月花の日常―― 8


静かだった。

モニターの中の庭園は、嘘みたいに穏やかで。

現実は、祭のいない室内。

閉じたドアの前には、私と集だけが残っていた。

心臓がドクドクと気持ち悪いくらい音を立てて、身体がカッと熱くなり、鳥肌が立つような、心臓を鷲掴みされたような感覚。

目の前が遠くなって倒れそうな不安定感が襲った。

この感覚は知ってる。

魂が揺らいでる感覚。

あの時と同じ、花が居なくなった日と同じだ。


――10年前

あの日、私達はまた花の家に行った。

また追い返されるだろう。

そんな事を思いながらも諦めず向かってたのを覚えてる。

でもその日はいつもとは違った。

いつもなら、

「また来たな、帰れ!!」と門の前で怒鳴る花の父親が出て来ていなかった。

私達はチャンスだ!と喜んで花の家の門を潜った。

門を潜って花の居る蔵に向かう途中、

やっぱり挨拶した方がいいと言う集の言葉で、

私達は母屋の玄関に向かった。

子供ながらにも、勝手に侵入した罪悪感に耐えられなかったんだと思う。

でも、玄関を開けた時、目に入ってきた光景は身体を震えあがらせた。

玄関の先には、花の父親がいつもと同じ着物を着て倒れてて、血を流してた。

視線を落とせば足元には、花の父親の首が転がっていた。

誰かに殺されたのは、明白だった。

そんな時だった。 

「また来たな!!――帰れっ!!!」

半透明の姿で、花の父親が宙に浮かび上がった。

床に転がる首が、くるりと回って――

私達を、睨みつけた。

「ぎゃぁぁああああああ!!」

私達は一目散に逃げ出した。

 

モニターの中の庭園は、穏やかなままだった。

けれど、私の胸の中は、ずっと嵐みたいだった。

吐き気がするほどの後悔と、今すぐ走り出したい衝動がぐちゃぐちゃに渦巻いている。

「……やっぱり、ダメだ」

私は立ち上がった。

あの日、私は花の手を取れなかった。

祭の背中も、ただ見送るしかなかった。

――もう、誰に置いていかれるのは嫌だ。

もう、後悔するのはたくさんだ。

「集」

「……分かってる。俺も行くよ」

自分の声も、集の声も、震えていた。

怖い。

でも、それでも――あんな思いはもうしたくない。

集も立ち上がってカードキーを握る。

「……準備はいい?」

「うん」

静かな部屋に、カードキーの電子音が響いた。

シェルターの扉が、開く。

そして――静かな私達の日常は終わりを告げた。

 


「き、君が……この状況を生み出したのか?」

シェルターから飛び出した俺は、霊魂の濁流の中から、

異様に強い“未練”を感じる方角へと走ってきた。

建物に目立った変化はない。

けれど、そこかしこで異変が起きていた。

逃げ遅れた人が何人も倒れている。

若い女の人。

子連れの母親。

母親の遺体の横で泣いていた小さな子供の姿を見た時、

俺は、一瞬足を止めかけた。

――でも、違う。今は助ける時じゃない。

今は、原因を絶たなきゃいけない。

この霊災を止めなければ、もっと多くの人が、あの子みたいになる。

歯を食いしばって、再び走った。

――そしてたどり着いた先で、俺は“それ”を見た。

そこにいたのは、小学生くらいの――

痩せていて、ボロボロの服を着た男の子の霊魂。

人のいない街にポツンと立ち尽くし、

泣いているような、叫んでいるような――

そんな顔で、じっと、俺を見ていた。

その目に、知性はある。

感情もある。

言葉を交わせるかもしれない。

……でも、その視線は、どこか底なしだった。


俺は、唾を飲み込む。

「……君は、どうして……こんなことを?」

ゆっくりと声をかけた俺に、男の子の霊は、ほんの少しだけ口元を動かした。

「……お母さん、いないの?」

まるで俺に尋ねているような、

それとも自分に問いかけているような、曖昧な声だった。

「……どうして来てくれなかったの」

「……なんで置いてったの」

「……お母さんなんて、大っ嫌いだ」

空間が、ひび割れた。

気温が一気に跳ね上がり、現実がねじれていく。

この時、俺は悟った。

このままだと俺が死ぬ。

俺が死んでも何も解決にはならない。

――これはもう、対話では止まらない。

こいつは、“壊す”しかないんだ。


俺は拳を握った。

「……ごめん。お前を、止めるしかないんだ」

そう言いながらも、手が震えてた。

こんな小さな子供を、殴るのか?

――いや、違う。

俺は、呼びかけるんだ。俺の魂で、こいつの魂を。

拳を構えて、踏み込んだ。

俺は右拳を引き、腰を捻って、一気に打ち抜いた。

ドンッと空気が震える音。

拳がその子の胸に当たった――

いや、当たった気がしたのに、まるでゴム膜に包まれているような弾力で、ズルリと力が逃げた。

その瞬間、空気が一変する。

少年の瞳がぴくりと揺れ、深い底から“黒い波”がせり上がってくるのが見えた。

ズッ――!

背後の影が伸びる。

次の瞬間、影が叫ぶ様に押し寄せ、黒い稲妻のような斬撃が、真横から俺の胴を薙ぎ辺りに血が飛び散る。

「っが……!」

身体がくの字に折れ、横の壁へと吹き飛ばされた。

ドガッ……! 

衝撃が走り、肩を強打。

地面に転がると、腹から熱い液体がこぼれていた。

――斬られた。

目で追えない刃に、魂ごと抉られるような感覚。

息が詰まる。声も出ない。思考が飛びそうになる。

「……まだだ……」

それでも、俺は立ち上がった。

歯を食いしばり、膝に力を込める。

痛い。熱い。けど――ここで倒れるわけにはいかない。

「俺は、お前と向き合いに来たんだ……!」


 

——ドカッ


もう一発打ち込む。

拳を出すたびに、俺の中の罪悪感が、少しずつ侵食してくる。


——ドンッ

感情の濁流が俺を撥ね返し、激流みたいな怒りと哀しみが、斬撃になって返ってくる。


——ドンッ!

拳がぶつかると

少年の目が、一瞬だけ揺れた気がした。

まるで、何かを思い出しかけたように……

けれど、それを認める前に、感情がまた爆ぜた。


「お前も……僕を無視するの?」

その言葉が、心に突き刺さった。

 

違う。

俺は、お前を見てる。ちゃんと、向き合ってる。


だからっ——

俺は叫んだ。

「俺は逃げない!ちゃんとお前とぶつかる!」

「お前が苦しんだこと、忘れない!!」

拳がぶつかる。

今度は、届いた。

——けれど、その瞬間、怨霊の力が爆発した。


——ドグンッッ!!!


景色が反転し、世界が崩れかける。


「——じゃあ僕の所に来てよ」


その瞬間、足元の風景が、ぐにゃりと歪む。

気づいたときには、俺はすでに、

部屋の中にいた。


むわっとした熱気と、息苦しさ。

散らかった床。積み重なったゴミ袋。

どこかでハエが飛ぶ音がした。

あぁ、ここでこの子は

死んだのか。

「うっ……!」

鼻を刺す腐臭、汗と湿気のこもった空気に、胃の奥が暴れ出した。

吐き気をこらえる暇もなく、

背後でバタンッ!と扉が閉まる音がした。

そして、目の前には子供が蹲って泣いている。

――お母さん

――どこに行ったの

――帰ってきてよ

泣き声は、静かに、少しずつ、濁っていった。

悲しみが怒りに変わり始める。

「どうして誰も助けてくれなかったの!」

「声を出したのに、届かなかったの!」

「誰も、見てくれなかったのッ!!」

この子の想いは、母親に見捨てられたっていう、それだけじゃない。

誰も助けてくれなかったんだ。

こんな所で、1人で苦しみながら死んでいったのか。

胸の奥で詰まった感情が、どうにも溢れてしまいそうで、目の奥が熱くなっていく。

喉の奥が焼けるようで、うまく言葉が出ない。

けど――言わなきゃ。

涙をにじませながら、声を震わせて絞り出す。

「もう、やめよう?………俺が、全部聞くから」

絞り出した声は小さく、震えていた。

でもその言葉は、どこか遠くの霊の胸に届いた気がした。

一瞬、時間が止まったような感覚があった。

でも、静寂の中から響いたのは、甲高い叫びだった。


 

「――許さない!!」


 

  

  

 

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