紫月花の日常―― 7
「円ちゃん」
誰かの声がする。
「……ねぇ、知ってる?」
ああ、この声は、花の声だ。
「桃から生まれた赤ちゃんは桃太郎って言うんだって!私はママから産まれたからママ太郎?」
また祭に、変なこと教えられたんだ……。
「花、それ、昔話だよ?」
「昔話?」
「うん。実際には、桃から赤ちゃんなんか産まれないよ」
「ええっ!?そうなの!?」
信じられないという顔でこちらを見る花。
何も知らないまま、家の中だけで育てられた子。
私たちが遊びに来るたび、本当に嬉しそうにしてた。
祭は習ったばかりのことを得意げに教えてたし、
集は学校の図書室から本を借りて花に読ませてた。
本当に祭も集も花が大好き。
……でも。
私だって、花のことが大好きだ。
祭や集よりも、もっと、もっと――
「ねぇ?円ちゃんは私の友達?」
「違うよ」
「えっ……」
「私と花は、親友!」
「親友?」
「そう、友達の中で一番仲良しってこと!」
「一番?」
「そう!祭よりも、集よりも!花は、嫌?」
「ううん、すっごく嬉しいよ!!」
――闇の中に、白い花が一つ、ふわっと咲いたようだった。
この子が紫月 花(しづき はな)。
私の親友だ。
ウゥーーーウゥーーー!!
「えっ!!」
夜中の2時。
突如なり出したサイレンに目が覚める。
ブウウウウウウーーンッ!
スマホまでがけたたましく鳴り出した。
「霊災か!?」
「マジっ!?」
スマホの画面には、赤く点滅する警告マークと――
《霊災異常反応 発生区域:南第三区》の文字。
「……ウソだろ……!」
その瞬間、
自分たちのスマホ、外のスピーカー、他の部屋――
至る所から、同じ音が一斉に鳴り出した。
街の空気が、一瞬で凍りつく。
「おいっ!行くぞ!!」
「うん!」
「霊対庁が来る前になんとかしないと!!」
私たちは、部屋を飛び出した――
街の中は、酷かった。
けたたましく鳴り響くサイレン。スマホの警告音。
まるで死を知らせる音の洪水みたいだった。
夜空を、霊対庁のドローンがゆっくりと低空飛行している。
『こちらは霊災害対策庁です。現在この区域で深刻な霊災害が発生しました。一般の方は直ちに避難を開始してください』
無機質なアナウンスが、空から降ってくる。
それは警告というよりも――「諦めろ」と言われてる気がした。
人々は声を上げ、逃げ惑い、倒れた人を誰も助けようとしない。
街全体がパニックに呑まれていた。
私は立ち尽くしていた。
息がうまくできない。足が動かない。
ただ、音と光と、あふれる恐怖に押し流されそうだった。
「無理だよ」
集の呟きが、足元を掬うように響く。
「は!?何言ってんだ集!!」
祭が即座に怒鳴る。でも、私はすぐには言い返せなかった。
「こんな霊災、俺達やったことないじゃん。無理だよ」
「そんな事ねぇよっ!!俺達が行かなきゃ魂はどうなるんだよ!!また無かった事にされるんだぞ!!」
「分かってる!!でも、このレベルは話してどうこう出来るレベルじゃない!!もしかしたら死ぬかもしれないんだぞ!!円だってそう思うだろ!!」
集の声に、ドキリとする。
私は――思ってた。
怖い。
死にたくない。
けど、逃げていいの?
助けを待ってる誰かがいたら、見捨てるの?
自分の中で声がぶつかり合ってる。
まとまらない。答えなんか出ない。
「でもっ……行かないと……」
口から漏れた言葉は、まるで自分に言い聞かせてるみたいだった。
私は“霊災処理者”なんかじゃない。
ただ、魂を見つけて、話して、送り届けるだけ。
戦うなんて、命を賭けるなんて――その覚悟なんて、持ってなかった。
「ほら!!行くぞ!!」
祭が、私と集の手を掴む。
あのときの、昔の子どもの頃みたいな、強引で優しい手。
でも、集はその手を振り払った。
「集……」
「俺は行かない!!」
「なんでだよ!!」
「なんでって分かるだろ!?」
「は?」
「こんな大規模ならすぐに霊対庁が出てくるじゃないか!今はそいつらに任せて、後で魂を拾いに行けば良いだろ!!いつもやってるじゃないか!!」
「お、お前!!何言ってんのか分かってんのか!?彼奴等は魂を壊してるんだぞ!!」
「祭こそ自分が何しよとしてるか分かってんのか!?俺達は魂を送りにここに来たわけじゃない!!花を探しに来たんだろ!!わざわざ出向いて死んだらどうするんだよ!!なぁ祭!!」
争う声が、遠くで聞こえるみたいだった。
“命と信念”
“現実と理想”
どっちが正しいなんて、誰にも分からない。
でも、どちらかを選べば、もう一方は確実に失われる。
そういう世界に、私達はいるんだ。
「俺、は……そこにある魂を見過ごしたく無いんだよ」
祭の声は震えていた。
それは、怒りでも悲しみでもない――痛みの声だった。
「俺だってそうだよっ!でもっ!!お前は自分の命と他人の魂、どっちが大切なんだ!?花に会えない選択をとってまでっ、魂拾いに行くのか!?」
「………」
「なぁ祭っ!!」
「なんだよっ」
「花に会えないまま死んで、俺達の魂が彷徨うなんて、俺は嫌なんだよ………」
——静寂。
サイレンだけが、まだ鳴り響いていた。
「………分かったよ。避難しよう」
祭の声が、夜の中に吸い込まれていった。
私達は避難した。
避難した先は霊災区域外の霊対庁管轄の避難施設。
建物の外側、内側にも何重にも結界が張ってあって、
ここの中にいれば安全なのはよく分かる。
百近くの人が避難してきたのに、その全てを受け入れ、全員にシェルターが与えられる。
個室の単身タイプとファミリータイプが選択でき、私達はファミリータイプを選択した。
シェルターに入ると窓は無いが、壁に大きなモニターが窓の様に設置され画面には綺麗な洋風の庭の景色が映し出されていて、自然の音も聞こえてくる。
自分の好みで色んな景色に変更が可能らしい。
照明も自分好みに変更可能、シェルター内には寝具は勿論。
トイレやシャワー室も完備され、備え付きの冷蔵庫には水やコーヒー、チョコレート等の甘味類、電子レンジやスマホの充電器、
アロマグッズまで用意されてるし、時間になれば食事も提供される。
災害によって避難してきたのに、普段の生活よりも良い待遇を受ける。
これが現代の避難所。
一昔前のどっかの施設でみんなで雑魚寝なんて、
とても考えられない時代。
部屋の空調は常に一定で、肌寒さも暑さも感じない。
快適すぎてまるで、外の惨状が嘘みたいだった。
このまま何もしなければ、きっと眠ってしまえる。
あの惨劇も、不安も、全部夢だったと思い込めるくらいに。
あんなに大嫌いな霊対庁に、今、私は守られて、生活を保証されてる。
感情がぐちゃぐちゃだ。
祭と集はベッドに座ってスマホを弄ってる。
まるでこの現実を見ない様にしてるみたいだった。
「おかしいよっ」
「そうだな」
祭と集がスマホを睨みつけながら呟いた。
「何がおかしいの?」
「霊対庁の処理者が出動してないんだよ」
「えっ?」
「見てみろ!これ!!」
祭が見せた画面は霊対庁のホームページ。
そこには都内の地図が表示され、
ほぼ全域が赤く塗りつぶされており、
下には大規模霊災害発生区域と書かれている。
「これっ、都内ほぼ全域で・・・・」
「対処が追いついて無いんだよ」
祭の言葉に、時間が止まったみたいだった。
画面に映る赤く塗り潰された東京の地図は、
まるで、街全体が血を流しているみたいだった。
「こんなにっ・・・」
「俺行ってくるよ」
祭は静かに言った。
「えっ!?」
「本気か!?」
「本気だよ」
「でもっ」
「もしかしたら、俺は死ぬかもしれない。けど、少し位は役に立てるかもしれないだろ」
私は何も言えなかった。
「行かないで」と叫びたかったのに。
唇が張り付いたみたいに動かなくて、胸の奥だけがぎゅうっと締め付けられる様な感覚を覚えた。
「俺が死んで彷徨ったとしても……お前らが送ってくれるだろ」
その笑顔は優しいようでいて、どこか壊れたように見えた。
まるで、死んでしまうことさえ怖くないって顔だった。
遠回しに私達は来るなって、そう言われた。
私は追いかけることも、手を伸ばすこともできなかった。
怖かったのは霊災なんかじゃない。
自分の手で、祭を止めてしまうことが
いや、祭はもう止められない。
それが分かってるから――止められなかった。
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