紫月花の日常―― 6
夜更け。
時計の針は午前二時を少し過ぎた頃。
外からは虫の音がかすかに聞こえ、風の通り道を縫うようにして、街の静けさが染み込んでくる。
俺はふと目を開けた。
枕元に落ちる月の光が、天井をゆっくりと横切っていた。
布団の中で身を返すが、眠気はもうどこかへ行ってしまったようだった。
隣では、円がすぅすぅと寝息を立てている。
その向こうでは、集が静かに寝返りを打つ音だけが聞こえた。
「……寝れねぇ」
小さく呟き、そっと布団から抜け出す。
足音を立てないように歩き、流しで水をコップいっぱい注いで勢いよく流し込んだ。
冷たい水が喉を通っても、どうしても胸の奥の渇きは癒えなかった。
俺はそっと玄関の戸を開ける。夜の風に、少しだけ救いを求めるみたいに。
11月の頭
パーカーを羽織って外に出た俺は、
ただ、ぶらぶらと裏通りを歩いてた。
ポケットに手を突っ込むと中に入ってるのは石。
500円玉ぐらいの大きさの石ころ。
そこには昔、花が書いた俺の名前、平仮名でまつりって書いてる石。
これが俺の宝物だ。
――今から約12年前
当時、小一になったばかりの俺達は、
学校が終わると、村の信仰の家に行ってた。
そこには俺たちの幼馴染の花がいた。
花の家は昔から強い力のある祈扉の血が継ぐ家で、花もその血を継いでいた。
そんな花は俺達とは違って家の敷地から出る事が許されなく、毎日学校帰りに遊びに行っても、実際に会って遊べるのは週に1回、あるかないかぐらいだった。
花は学校に行ってない事もあって、文字の読み書きも苦手で、今思えば数の概念もあやふやだったと思う。
でも俺達が遊びに行って時間が合えば一緒に花の家の庭で遊んだり、
学校で習ったばかりの事を花に教えれば、
花はどんなことでも喜んで聞いてくれた。
それが嬉しかったし、いつの間にかそんな花に俺は惹かれていった。
そんな日を過ごしてたある日。
いつものように学校帰りに花の家に向かうと、花は俺のほうに向かって走ってきた。
「祭ー!!見て!!書けたよ!!」
花の手にはマジックと石ころ。
その石ころにはまつりって俺の名前が書かれていた。
「え!?花が書いたの?」
「うん!いっぱい練習してかいたんだぁ!」
「すごい上手じゃん!」
そんなに上手とは言えない字だったけど、
俺達3人の中で俺の名前を1番に書いてくれた。
それだけの事が嬉しかった。
「なんで石に書いたの?」
至極まともな円の疑問
普通なら紙に書くのに……。
「え?だって、この石、綺麗なマルだったから!」
そう言って笑う花は凄く可愛かった。
「じゃぁ、明日は私の名前書いてよ!」
「うん!いっぱい練習するね!」
「俺のもー!!」
「ふふ、集のも円のも書くから!また来てね?」
その日を境に花は家の蔵で生活する様になり、家の敷地内でも外に出ることを許されなくなった。
花が蔵に入ってから何度も俺達は花の家に向かった。
でも、花の父親が帰れと言って合わせてくれなかった。
毎日毎日、何度も何度も出向いたけど、それ以来花には会えなかった。
自分の親に言っても、周りの大人に言っても儀式とか祈とか、あの当時はよく分からなかった事を言われて、俺たちにはどうにも出来なかった。
そんな日々を過ごしてたある日、
花からもらった石を見つめていた俺は思いついた。
花が石をくれたように俺も何かをあげたい。
ただの石に名前を書いただけだけど、
俺はすっげぇ嬉しかったから。
花にも何かあげて喜んで欲しい、そう思った。
俺は集と円と相談した
「指輪とかいいんじゃない?」
「指輪!?そんなの買えないよ!!」
「祭のお父さんなら作れるんじゃない?」
「「確かに!!」」
結局、小さな鉄工所で働いてる俺の父親に頼み込んで、
俺達は花にあげる指輪を作る事にした。
集がデザインを考えてくれて、円がそのデザインを絵に描いてくれる。
俺は父親と一緒に加工して、出来上がった指輪をみんなで交代で磨いた。宝石をつけようと言って集と円と山に石を探しにいったこともあった。
まぁ、見つからなくて、結局皆んなの霊力で作った結晶を指輪に埋め込んだんだけど。
指輪が完成した日、その日は花が家から出られなくなって1年が経っていた。俺達は学校の終わりに花の家に忍び込んで、花のいる蔵に向かった。
でかい建物だったけど、塀の近くに建てられていて、その塀に登ると
蔵の上の方に小さな換気窓が付いてて、そこから部屋の中を覗く事ができた。
部屋の中を覗くと、白一面の部屋の中には机と椅子とベットしかなくて、花は椅子に座って壁を見つめていた。
「花っ、花!!」
「ん?……祭?……いるの?」
キョロキョロと部屋を見回す花。
「上だよ上!!」
「上?……あっ!!祭!!集も円も!!来てくれたの?」
俺達を見上げて嬉しそうな顔を見せる花。
とりあえず元気そうで安心したのを覚えている。
「大丈夫か?」
「ん?何が?」
「閉じ込められてるんだろ!」
「うーん・・・。大丈夫!祭達が来てくれて嬉しいよ!」
自分の状況が分かってない花。
変な子、馬鹿な子だって思うけど、それが花なんだ。
俺は格子の隙間から手を伸ばした。
「花!これ!!」
「ん?なあに?」
「指輪!俺達が作ったんだ」
「指輪?」
手から指輪を落とすと、花がその指輪を受け止める。
「かわいい!くれるの?」
「うん!俺達からのお守り!」
「お守り?」
「絶対、お前の事ここから出してやるから!ここだけじゃない!家の外にも沢山連れてってやるから!」
俺がそう言うと、花はポカンとした顔をして、
でもすぐに笑顔になった。
「………ありがとう、まつりっ!」
花は笑顔でその指輪を付ける。
「あれ、ちっちゃくて入らない………」
「えっ………」
「あ、でも小指なら入った!」
「よかったぁ………」
「ありがとう、みんな!」
そう笑顔で指輪を見る花、
それが俺が見た最後の花だった。
俺は、石ころを握って、公園のベンチに座ってた。
あれから何度、こうして月を見上げただろう。
石をポケットから取り出して、そっと握り直す。
……最初は、文字の練習のつもりだったんだよな。
まるで“おまじない”みたいに、大事そうに俺の名前を刻んでさ。
あの日から集や円に沢山名前を呼ばれてるけど、物足りない。
俺は花に名前を呼ばれたいんだよ。
手の中の石は、ほんの少し、温もりを帯びてる気がした。
「……花」
呟いても、返事はない。
「お前、どこに居るんだよっ………」
そう吐いて目を閉じた瞬間だった。
――風が、吹いた。
枯れ葉が舞い上がる。月が一瞬だけ雲に隠れ、
俺の目の前には、不思議な魂がやってきた。
夜の風が少しだけ強くなり、足元の落ち葉がさらさらと音を立てる。
月が薄く雲に隠れ、街灯の灯りがぼんやりと地面を照らしていた。
「君」
不意に声がして、俺は顔を上げた。
その魂は、俺が見える側の人間だと分かっているらしい。
真正面から、穏やかな口調で話しかけてきた。
「……なんだ?送って欲しいのか?」
目を細めると、男は俺より少し年上に見えた。
20代前半。まだ生きたかっただろうに……
どこか達観したような顔をしている。
「いいや、私は好き好んでこの世界に留まってるんだ。送って貰うつもりはないよ」
「じゃあ、なんで話しかけてきたんだよ」
ベンチの背もたれに体を預け、俺は小さく息をつく。
「君が何か、苦しそうだったからね。もしよければ……私に聞かせてくれないかい?」
「俺の話、聞きたいのか?」
「そうだね。随分と誰とも話をしていなくてね。久しぶりに会話が出来て、嬉しいんだよ」
男は俺の隣、ベンチには座らず、少し距離を取って佇んでいた。
霊のくせに礼儀正しいというか、妙に距離感の取り方がうまい。
俺はポケットの中で、石を握り直す。
「……そっか」
夜の冷たさが、皮膚を刺すように感じた。
「で? 君は何を抱えているのかな?」
「俺さ、好きな子を探しに来たんだよ」
自分でも、なんで話し出したのか分からなかった。
こんな、どこの誰とも知れない魂を相手に。
でも、だからこそ話せることってあるのかもしれない。
「その子は……ある日突然、姿を消したんだ」
「夜逃げかい?」
「違う。誰かに攫われたんだよ」
男の問いかけに、俺は静かに首を振った。
落ち着いてるつもりでも、心の奥に引っかかってるものが疼く。
「気づいた時には遅かった。友達とその子の家に行ったら、家族は……全員殺されてた。でも、大人達がいくら調べても、その子の遺体だけが見つからなかったんだ」
「だから、探しに来たのかい?」
「そう。仲間と一緒に。中学卒業してすぐにこの街に来て、運よく……その子が写ったポスターを見つけたんだ」
月が、雲の切れ間から顔を出した。
「生きてるって分かったのに、それ以上のことは何も分からない。何も掴めないまま、もう2年も経っちまったんだ」
俺の声は、知らず震えていた。風のせいじゃない。
「そうか。君は……その子に会いたいんだね?」
「会いたい。ちゃんと謝りたい。助けてやれなくてごめんって……生きててくれてありがとうって、言いたい」
しばらく沈黙があった。
男の霊はただ黙って俺の言葉を聞き、何も否定しなかった。夜の静けさが、重く落ちていた。
「……そうか」
「……あぁ……」
「私は君の願いが届くことを、祈ってるよ」
男の声は、少しだけあたたかかった。
その瞬間、風がふわりと吹いた。
俺が目を上げた時には、もう男の姿はなかった。
まるで、初めからそこにいなかったかのように。
残された俺だけが、風の名残を感じていた。
「帰るか………」
とある日の午前中。
「ねぇ、ちょっと、見て……あれ……」
駅前のゲームセンター前。
日差しが降り注ぐ中、空を飛ぶ黒い影が人々を騒つかせていた。
「ただのドローンじゃん。え、あのロゴ、霊対庁……?」
「うそ、霊災?ここに!?」
動揺した人波がざわめく。
霊対庁のロゴ入りドローンが、何かを探るように上空を旋回していた。
「ヤバッ!逃げないと!!」
「霊災が来るっ!!」
その時だった。
ピンと音を立て、ゲームセンターの自動ドアが静かに開き、
一人の少女が、ゆっくりと歩み出てきた。
薄手のカーディガン、ショルダーバッグ、淡い光をまとったような長い髪。腕にはぬいぐるみが抱えられている。
街の雰囲気に一切動じることなく、無表情のまま真っ直ぐに歩いた。
ドローンたちはその動きに合わせて位置を変え、まるで彼女を囲むようにフォーメーションを組んでいく。
「……あの子、なに?」
「霊災じゃないのに、庁のドローンが……」
街の空気は凍りつくように冷たくなった。
「……あ、もしかして私、GPS忘れちゃった?お迎え来てくれるの?」
少し首を傾げて、笑いも怒りもない声。
ドローンは答えず、ただ静かに旋回を続けていた。
それが、祭たちの探している“花”であることを、
この街で気づいた者は誰一人いなかった。
やがて、その場に一台の黒塗りの車が滑るように現れた。
静かに停車する黒いセダン。ナンバーは見えない。
後部座席のドアが自動で開き、少女は何の迷いもなく乗り込んだ。
ドアが閉まる直前、ふとこちらに向けられた横顔。
彼女は、小さく嬉しそうに笑っていた。
まるで“迎えが来て安心した子供”みたいに。
その笑みが何を意味するのか――街の誰も、知る由もなかった。
ドローンたちは車の上空を滑るように移動し、車列を守るように伴走を始める。
街の人々は、その異様な行列に言葉を失い――
「……誰だったの、あれ……」
そう誰かが呟いたときには
黒塗りの車は既に視界の彼方へと消えていた。
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