紫月花の日常―― 5


とある日の夕方

住宅街のはずれにぽつんと残された、木造の平屋。

歪んだ郵便受け、色あせた表札。

庭先の鉢植えだけが、時間を止めたように咲いている。

「……ここだな」

自分の足を止め、玄関を見上げる。

「霊圧はごく微弱……けど確かに残ってる」

集が周囲を確認しながら呟いた。

円はため息まじりに空を見上げる。

「こんな家、よく取り壊されないで残ってたよね」

「……入るぞ」

俺は静かに扉を開け家の中に入る。

後に続いて集と円も入ってきた。

中は、まるで時間が止まっていたかのようだった。

ちゃぶ台には、二つの茶碗と湯呑み。

埃まみれのカレンダーは、15年前の日付を指している。

「生活してた痕跡が、そのままだ……」

その時だった。

畳の奥、障子の向こうから——

くすくすと、笑い声が聞こえた。

「……聞こえたな?」

「うん。行ってみよう」

障子をそっと開けると、そこには。

座布団に並んで座る、老夫婦の姿があった。

男は新聞を広げ、女は湯飲みを手に笑っている。

だが、その足元は、どこにも影を落としていなかった。

「……あの、ごめんなさい。お邪魔してます」

落ち着いて声を掛けると

お婆さんが振り返り、ふわりと微笑んだ。

「まぁ……お客さん? こんな時間に珍しいわねぇ。もうすぐご飯だから、良かったら一緒にどう?」

「……おばあちゃん、ずっと、2人でいるの?」

円が膝をついて、言葉を選んで掛けた

「ええ、まぁ……お爺さんとふたりで。いつも通りの、何でもない毎日でねぇ」

「……気づいてないんだな」

集が静かに札を握りしめる。

干からびた漬け物皿、黄ばんだ座布団、

ちゃぶ台の上の汁椀には、カビが生えていた。

「……あの、よかったら、思い出、少しだけ聞かせてくれませんか?」

お婆さんは一瞬だけ驚いたあと、にこっと笑った。

「お爺さん以外の人と話すのは久しぶりねぇ……そうね、じいさんとの出会いはね、戦後すぐのことだったのよ……」


小さな部屋の中に、穏やかな会話が流れていく。

「最初は薄い麦粥をすすっていたのに、最後は2人でご飯を食べて終われるなんて、幸せよねぇ」

その言葉に合わせるように、少しずつ——

老夫婦の輪郭が、光に溶けるように薄れていった。

「……ありがとうね。あなたたちみたいな、優しい子がいてくれて」

婆さんが立ち上がり、爺さんの手を取りながら振り返った。

「この子たちなら、もう大丈夫よ。行きましょ、お爺さん」

「……ああ」

2人は手をつないだまま、静かに、扉の外へ歩き出す。

そしてその姿がふっと消える時——

家の中に、ふんわりと夕顔のような香りが残った。

窓の外では、蝉の声がゆっくりと遠ざかっていく気がした。

「……見送ったな」

「うん。今度は、ちゃんと手を離さなかったね」

円が優しく笑った。

「……ああ」

確かに、目に微かに滲むものがあった。

「花もこんな感じに生活してると良いんだけどな」

集が一瞬だけ目を伏せたあと、小さく頷いた。

「帰るぞ」

3人は、静かな夕暮れを並んで歩き出した。

誰もいなくなったはずの場所なのに、

まだ人がいるような、温かい空間が残っていた。


薄暗いアパートの居間。

テーブルを囲む俺と集、円の三人。

窓の外はすっかり夜になり、静寂だけが部屋に満ちていた。

先ほど無事に送った老夫婦の霊のことが、俺たちの胸に安堵をもたらしていた。

「二人とも、無事、穏やかに成仏できたよな」

集がぽつりとつぶやく。

声には軽い疲労と、少しの満足感が混じっていた。

「そうだな……やっぱり、こういう小さな魂を見逃したくない」

「でも、肝心の花はまだ見つからない。二年経ったのにポスターしか分かんない」

円が眉間に皺を寄せて言った。

声には焦りが滲んでいる。

「ああ……どうにか手がかりを掴まなきゃだよな」

集が重く言葉を落とす。

「誰か、何か……糸口はないのか?」

遠くを見つめながら言葉を吐いた。

部屋の空気が一瞬ひんやりと冷えたようだった。

………しようぜ?

………うん、嫌だ!

………もうひどー!!

薄暗い居間で、茶をすする音だけが静かに響いていた中

外からは、どこか楽しげな笑い声がかすかに漏れてくる。

「……ねぇ、さっきから外のほうで、声がずっと聞こえるんだけど」

円がぽつりと呟く。

集が肩越しに窓の外を見やり、軽く首を振った。

「下の階の住人だろ?あのカップルまた喧嘩でもしてんじゃね?」

「そうかな……でも、なんかちょっといつもと違う気もするんだよねー?」

円は眉をひそめて目を細めた。

「まあ、気にするな。いつもと違うのは、俺たちの方かもしれないし」

集が静かに答える。

笑い声は、淡く霧のように消えて行った。


一方、街灯も届かない裏路地。

カイはフードを被り、手慣れた動きで壁を登ろうとしていた。

その背後——

「あんたって、ほんと泥棒向いてるよね〜」

その声に背筋にが一瞬震えた

「おわっ……!誰かと思ったら……リオかよっ!」

「天使かと思った?」

「いや、幽霊かと思った。てかなんで来るんだよ!ついてくんなって言ったよな?」

「ついてきたんじゃなくて、ついてきてみたの!」

「はぁ?それ同じじゃね?」

「そう?」

「今日ちょっと大事なやつ仕掛ける予定だったのに……」

「やめる?じゃあ帰ろっか〜」

「帰らねぇよ。レイにぶっ飛ばされるわ。見張りが増えたと思うことにする」

壁の僅かな隙間に手を掛けながらよじ登り始めた。

「はい、優秀な相棒にはこれ見せとくわ」

「これ、なに?ゴミ?」

「ちげーよ。超高性能マイクな。学校で盗み聞きしたい中学生に大人気」

「なにその需要……今時の中学生怖っ」

リオは笑っているが、表情は真剣だ。

「二階の窓、隙間ありそうだったからあそこ狙う。あとは玄関脇の通風口」

「部屋の中じゃないの?」

「んー、聞き取るなら中の方がいいけど回収する時、楽な方がいいだろ?」

「でも聞き取れなきゃ意味ないじゃん」

「解析かけるから問題ないね。ちょっとこう色つけておけば…どうよ?」

「なるほど、ほんと隠すのうまいよね〜、カイは」

「恋心と証拠隠すの得意ですからー」

「……あんたに恋心ってあんの?」

「……………それ、聞く?」

「……ごめん」

「……」

「……別の話しよ」

「……おう、作業続けるけど、ちゃんと見張ってろよー」

作業を進めるとリオが周囲を確認しながら呟いた。

「にしてもさぁ、そんなに調べる価値あんの?ここの住人」

「ある。視えてる側だった。登録されてないのが逆に変」

「へぇ〜じゃあ、偽善ヒーロー的な?」

「ダサいけど、近い」

小型イヤホンを耳に差し、もう一つをリオに渡して指を動かす。

「……よし、入った」

「私興味ないんだけど?」

「そんな事言うなよ〜!一緒に盗聴しようぜ?」

「うん、嫌だ!」

「もうひどー!!」

その瞬間、イヤホンの中で会話が入ってきた。

ノイズ混じりに、少年の声。

「……花の奴何してんだろ」

ピタリと動きを止め会話を聞き入る二人

「ん?今、なんて言った……?」

「花……って、呼んでたねー」

リオが小さく呟いた。

「仲間の女の名前でしょ?」

「じゃー花ちゃんでいっかぁ」

ひょいっと塀を飛び越える二人。

イヤホンに響く声はまだ続いている。

その声の主たちは——

自分たちの名が、もう“別の耳”に届いていることを知らない。


盗聴が始まって数時間。

2人は並んでソファに腰かけ、ほぼ無言のままイヤホンからの音声を聞いていた。

「……やっぱ、3人だね。祭、集、円」

リオがイヤホンを外しながら、ぽつりと言う。

「声の雰囲気からして男2、女1、で間違いないと思う」

カイは頷きながら、PCのログをスクロールしていた。

「うん、声紋も一致。録れてたのはその3つだけ」

「でもさ……最初に“花”って言ってなかった?」

「んー……言ってた気がする。誰だろ、知り合い?」

カイは軽くキーボードを叩きながら、冗談めかして言う。

「花、花……名字不明で検索かけてよ」

「おーけー、……………お、出た。“紫月花”。」

「へー、しづき はな?なんか可愛い名前じゃん………って、これだけ?詳細なにもなし。これ、旧データ?」

リオがチラッと画面を覗いて、あっさり言い放つ。

「名前だけの幽霊アカウントじゃん。データ空っぽ」

「だねー。まぁ、次行こっか」

カイはログウィンドウを閉じ、別の分析画面へと切り替える。

画面が暗転する直前、検索結果の片隅、

“削除済みファイルあり”の赤文字が、一瞬だけ光った。

けれど二人は気づかない。

部屋にはイヤホン越しの雑音だけが残り、夜は静かに更けていった。

  

 

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