紫月花の日常―― 2
あの日見たポスターを皮切りに、俺たちは、花を探し続けた。
有名モデルかもしれない。
芸能事務所を片っ端からあたってみた。
SNS、雑誌、広告、テレビ、あらゆる媒体に目を光らせた。
……けれど、名前はどこにもない。
ポスターに使われていた写真も、どの媒体にも流用されていなかった。
ネット検索をしても、出てくるのは変なアプリの広告か、スパムまがいの情報ばかり。
誰も、そのポスターの人物が誰なのかを知らなかった。
それでも俺たちは、毎日のように街を歩き回り、探し続けた。
少しでも似てる子がいれば追いかけたし、
思い込みで声をかけて、変な顔をされたこともあった。
だけど、一向に進展はなかった。
それでも、あの日の確信だけは、消えなかった。
ある日、花を探して歩き疲れた帰り。
俺達は、ふと立ち寄った更地で足を止めた。
駅から少し外れた、人通りの少ない場所。
そこはかつて、“霊災害対策庁支部”があった場所だった。
今は取り壊されていて、何も残っていない。
……はずなのに。
「なんか、空気違わない?」
円が足を止めて周囲を見渡す。
土の匂いの中に、どこか澄んだ、それでいて冷たい気配が漂っていた。
耳を澄ますと、風に混じって人の声のようなささやきが聞こえる。
「ここ……前は庁の施設だったよな」
集が低く呟いた。
俺はしゃがみ、地面をよく見る。
亀裂から、淡い光が漏れていた。
「……魂、か」
円がそっと手を伸ばす。
その瞬間、風が吹いた。冷たく、鋭く。
『帰りたい……帰りたいのに……』
心に直接届くような、悲痛な声
子供の泣く声、男の怒り声、助けを叫ぶ声。
言葉にならない声が、心の奥まで突き刺さってくる。
「何で、こんな場所に……こんなにっ」
震える声で、呟いた。
「ここって、霊対庁がいた場所、だよな……?」
「守ってたはず、なのに……こんなっ………なんで!」
集が顔をしかめる。
手の届かない亀裂の奥で、いくつもの手が伸びていた。
助けを求めるように。怯えるように。
「成仏させたんじゃない……壊してるだけだよ!こんなの!」
円の声に、怒りが滲んでいた。
「これ、本当に霊対庁のやる事かよ……」
俺達は、ただ言葉を失って立ち尽くすしかなかった。
札も、霊力も足りない。
俺たちの力だけじゃ、この場所全部を救うには届かない。
「……一年はかかるな。毎日少しずつ、だ」
集が言った。
「身体も、持つかわかんねぇけど」
それでも、やるしかなかった。
霊対庁が片付けた痕跡が、こんな形で残ってるなら。
それが、“人の声”なら。
――あれから、2年が経った。
村とは違う都会での生活とはいえど、
2年も経てば自然と慣れた。
とはいえ、俺たちの日常は決して華やかじゃない。
古びた木造アパートの一室。
カーテンは日焼けしてボロボロで、風呂もまともに湧かない。
けれど、ここが俺たちの拠点だった。
霊対庁の跡地に残った魂は、今も毎日少しずつ送っている。
それだけじゃない。
「神隠しにあった猫を探してほしい」
「夜になると誰もいない廊下で、誰かの足音がする」
「最近、夢に同じ人が出てきて……目を覚ますと、部屋の隅に立ってる気がする」
そんな話を、真剣に受け止めて、
調査して、霊媒まがいの仕事で、わずかな報酬をもらう。
バイト以下の収入でも、文句は言わなかった。
だって、花を探すって決めたから。
生きてる花に、もう一度会うためだった。
「今日の依頼って、ここ?」
裏通りのアパート。古びたドアの前で、円が眉をひそめて呟く。
「うん。大学生の一人暮らし。夜になると、笑い声がするって」
集が手帳をめくりながら答える。
ドアの向こうからは、かすかな人の気配。
いや、“何か”が息を潜めてこちらを伺っているような違和感が漂っていた。
「……開けるよ」
ノブに手をかけ、静かに扉を押し開ける。中は薄暗い。カーテンは閉め切られ、空気はこもり、ひどく重たい。
部屋の隅、パソコンモニターの明かりだけがぼんやり灯り、その前に依頼人と思しき女子大生が座っていた。目の下に深いクマを作り、唇をかすかに動かしながら、ひたすら同じ言葉を呟いている。
「……どうしよ、どうしよ、どうしよ……」
「どうしたんですか?」
集が声をかけるが、反応はない。
俺はそっと近づき、目線を合わせるように問いかけた。
「何に困ってんだ? 教えてくれるか?」
そのとき、女子大生はポツリと、かすれるような声でつぶやいた。
「……私、やらかしたみたい……」
「え?」
円が目を見開く。
「完璧なビジュ、優しい性格、わたしだけを見てくれる“理想の彼氏”。アニメキャラをベースに……毎日、話しかけて……ノートに設定も書き込んで……そしたら、ある日、声が聞こえたんです」
一瞬、部屋の温度が下がった気がした。
集の目が細くなり、空気の歪みを探るように視線を走らせる。
「……まさか、タルパか?」
「タルパって……」
円の問いに、集が低く答える。
「強い思念から作られる、自分だけの思念体。本来はコントロール下に置けるはずなんだけど……この気配、逸脱してる」
タルパ――一昔前に流行った、降霊術まがいの遊び。
本来は自分の中にだけ見える幻影だが、霊災の世界では話が違う。
ここでは、思い込みが形を持ち、意思を持ち、暴走することさえある。
思いは力に、想像は実在に変わる。時に、それは“霊”よりも厄介だ。
「まずいっ……! 実体化するぞっ!」
集が叫んだその瞬間、部屋の奥、空気がゆらりと歪んだ。
目を向けると、そこに彼がいた。輪郭は曖昧で、まるで画面越しのようにノイズが走る。目元は大きく、整いすぎた顔立ち。だが、その表情には明らかに“人の形をしたナニカ”の異質さが滲んでいた。
『会いたかったよ、マイハニー』
彼が口を開いた瞬間、壁が軋み、空気が凍った。
姿が一瞬ぶれて、にじり寄ってくる。
「……おい、もう、像になりかけてるじゃないかっ!」
集が息を呑む。
“像”――自立した存在。
創られた思念が自らの意思を持つ存在へ変質する兆し。
もう、女子大生の手を離れつつある。
むしろこのままでは彼女が取り込まれる。
ただ祓うだけでは済まない。
「……祭。こいつを送るには、本人の決別も必要だ」
「わかってる」
俺は女子大生の肩に手を置いた。
「なぁ……彼のこと、本当にこのままでいいのか?」
彼女の目が震え、ほんの少し涙がにじむ。
「……わたし、ただ……寂しくて……でも、こんなの、望んでないの……」
その声を聞いた彼の表情が、一瞬、歪んだように見えた。
だが、憎しみをこちらに向けるより先に、俺たちは動いた。
札を打ち、念を込め、言葉を添える。
「――帰ろう。君は、もうここにいるべきじゃないよ」
像になりかけたタルパの姿が、ゆっくりと煙のように滲んでいく。
それは彼女の心が選んだ別れだった。
数分後、部屋にはただ、沈黙と薄明かりだけが残っていた。
「……間に合ったな」
集の言葉に、円がそっと頷く。依頼は完了した。
だが、その部屋にはどこか残り香のようなものが漂っていた。
強すぎた思いは、時に存在すら超えてしまう。
だけどそんな思いこそ、導いてやらなきゃならない。
これが、俺たちのやり方だ。
帰り道、俺たちはいつものスーパーへ向かった。
目当ては、見切り品コーナー。
「お、まだ温かいおにぎりあるじゃん。今日、当たりかも」
「味噌汁も買う?」
「うーん……贅沢すぎじゃね?」
「……いいよ、今日は。それくらい」
そんな小さな贅沢が、日常の支えだった。
でもある日、円が血相をかえて俺と集に言った。
「ポスターが、無くなってる……」
心臓が冷えた。
駅に向かうと、そこにはもう何の貼り紙もなかった。
あのポスターがあったはずの場所には、ただ白いパネルがあるだけ。
まるで、最初から何も存在していなかったかのように。
「あのポスター……撤去されちゃったのかな」
集の声は、現実と夢の狭間に沈んでいた。
俺はスマホを取り出す。
ポスターを見たあの日、必死に撮った写真。
照明の反射も入って、決して綺麗な一枚じゃない。
だけど、そこには少しだけ大人びた、
けれど間違いなく、俺たちの知ってる“花”がいた。
その胸元には、俺たちが渡した指輪のネックレスが、確かに映っている。
「……幻じゃねぇよ!ほら!写メもある!」
2人に画面を見せながら、俺は叫ぶ
「うん。私も見たもん。……あれは、花だった」
駅の風が、冷たく吹き抜けていく。
人波の中に花の姿を探す癖は、2年経った今も消えていない。
情報も、手がかりも、すべてが消えていった。
でも――この一枚だけが、俺たちの確信を繋いでいた。
「いつか、絶対に会えるよな」
「……うん。だって、生きてるんだもん。絶対」
俺たちは、それを信じて東京に残った。何もかもが霧の中でも、
この写真だけは、俺たちの中で今も――光だった。
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