第3話
正義という騒音
戦争が始まって三日目、ノルデン連邦共和国は公式声明を出した。文面は予想どおりで、驚きはなかった。
――アウレリウス王国における反民主的体制は、長年にわたり国民の自由を抑圧してきた。
――我々は、武力による解放という困難な選択を引き受ける。
解放。
この言葉が使われるたび、死者の数は正当化される。
司令部の通信室で、私はその声明を紙で受け取った。
無線ではなく、あえて紙で回されるあたりに、政治の匂いがあった。
「民主主義は、いつから砲弾になった?」
私は独り言のように言った。
リーゼは隣で椅子に腰掛け、声明文を半分に折り畳んだ。
「砲弾になったんじゃない。砲弾を許可する免罪符になったのよ」
「より悪質だな」
「ええ。砲弾より長持ち所もね」
ノルデン連邦は民主主義国家だ。選挙があり、議会があり、新聞は自由に政府を批判する。それ自体は悪いとは言わない。
だが民主主義自体、他国を侵略する免罪符とはなり得ないはずなのだ。
「連邦議会、追加動員を可決」
通信兵が報告する。
「支持率は?」
「七割を超えています」
リーゼが鼻で笑いながら言う
「本当に素晴らしいわね。民主主義っていうのは」
「その勝利の中身は?」
「知らない国の都市名と、死者数の合計を聞いて他人事で喜ぶ人々の集合体」
その通りと答えながら私は地図に視線を落とした。
国境線の内側、北部工業都市ベルグハイン。
すでに砲撃を受けている。
ベルグハインは、王国最大の製鋼都市だ。
煙突が並び、昼でも夜のように暗い。
労働者が多く、政治的には扱いづらい場所でもある。
ノルデン連邦にとっては、格好の「解放対象」だっだろう。
「彼らは言うだろうな...王国は国民を盾にしている...と」
「実際、盾にしてるもの」
リーゼは淡々と答えた。
「都市は盾。工場は盾。人間は、最も効率のいい盾」
「どうやら民主主義はそれを嫌っているそうだ」
「人間を盾にしてる代表の民主主義国家ノルデン連邦がよく言えるものね」
私たちは沈黙した。
この会話に意味はない。
司令部には、王族も政治家もいない。
彼らは安全な地下施設に移動している。
残っているのは、負け方を考えるもののみだけだった。
午後、作戦会議が再開された。
「北部戦線、ベルグハイン防衛線が後退」
「どこまで引いた」
「河川線までです」
河川線。
それは防衛線というより、遅延線だった。
リーゼが立ち上がり、地図を指す。
「ここ。ベルグハインを失った時点で、王国の工業生産は三割減。つまり、この戦争はこの地点で終わっている」
「そんなことはわかっているさ」
私は頷いた。
「では、なぜまだ戦うことを考えられるのでしょうか」
若い参謀が恐る恐る聞いた。
私は彼を見た。
まだ何か希望を模索して私たちを英雄だとでもしている目だ。
「王国が本当の意味で消えてしまうからだよ」
「消える、でありますか」
リーゼが続ける。
「王国は何もせず負けてしまうと、連邦の求める完璧なストーリーになってしまうじゃない」
「完璧なストーリーとはなんでしょうか」
「連邦が、王国を滅ぼし国民を解放した、という物語が出来上がる」
私は静かに言った。
「それだけは、避けたい」
会議室の空気が、わずかに変わった。
「我々は勝てない。だが、相手にも勝たせない」
「どのようにでありますか」
リーゼは即答した。
「王都で徹底抗戦でしょう」
王都アーデルシュタット。
人口百二十万。
王国の行政、宗教、歴史、象徴のすべてが集中した都市だ。
「民主主義は、市街戦を嫌う。特にな」
「死体が、市民だから」
リーゼは腕を組んだ。
「つまり、正義を汚すために戦う」
「そうだ」
「最低ね」
「嫌いか?」
彼女は、わずかに口角を上げた。
「...最高ね」
「だろう、天才と呼んでくれたっていいんだぞ」
その日の夜、司令部の廊下は静かだった。
まだ王都には敵は来ていないが今も刻々と迫っている。
私は窓の外を見た。
灯りは消され、街は黒い塊になっている。
この街は、やがて戦場になる。
それは決定事項だ。
リーゼが隣に立った。
「ねえ、ヴァルデン」
「なんだ」
「私たちがやってること、正義じゃないわよね」
「今更怖気ついたのか」
「そんなことあると思う?」
「いやないね」
そして少し間をおいて私は夜空を眺めながら言った。
「連邦なんかに正義と叫ばれたくはない」
「それには同意ね」
「だから最後まで戦う」
私は彼女に顔を向け言った。
「そのためにも国とともに終えるつもりだ」
リーゼは黙った。
否定もせず。
「いいわ」
短く、それだけ言った。
民主主義の正義は、すでに動いている。
止めることはできない。
私たちには彼らの完璧なストーリーを完成させないようにする事しか残されていない。
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