第2話 キャンパスの「神」降臨
一、嘲笑の余韻
大学のラウンジは、いつもより賑やかだった。
昨夜の「公開処刑」の余韻が、まだ学生たちの間に残っている。莉奈は取り巻きに囲まれ、優雅にカフェラテを傾けていた。彼女のスマホの画面には、あの歪んだ加工画像が表示されている。
「ねえねえ、見て。真澄さんの炎上、まだ続いてる」
取り巻きの一人が、自分のスマホを莉奈に見せる。画面には、真澄を叩くコメントが次々と流れていた。
『加工詐欺師、消えてほしい』
『2026年にもなって、まだこんな人いるんだ』
『莉奈ちゃんみたいな天然美人が正義』
「可哀想に……」莉奈は憐れみの表情を浮かべる。「真澄さん、あれから連絡つかないの。心配だわ」
その言葉には、一片の真実もなかった。
「でも莉奈、あんな顔、私なら恥ずかしくて一生外歩けないな」
取り巻きたちが笑う。莉奈も、控えめに微笑んだ。
「そうね。やっぱり『天然』が一番。努力で手に入れた美しさなんて、所詮は偽物よ。中古車と同じ――」
その言葉が途切れた。
ラウンジの入り口で、ざわめきが起こったからだ。
二、静寂を連れてくる者
ヒールの音が、大理石の床に鋭く響く。
学生たちの会話が、一つ、また一つと途切れていく。
現れたのは、誰も見たことがない美女だった。
昨日の朝、エントランスに現れた、あの圧倒的な存在感を持つ女性。
今日の彼女は、さらに洗練されていた。シンプルなブラウスとスラックス。派手な露出はない。しかし、その佇まいには「格」があった。まるで、美容業界の重役か、海外から招聘された特別講師のような――。
「……誰?」
「昨日の、あの人だ」
「めちゃくちゃ美しい……」
美容学部の学生たちが、専門家の目で彼女を分析する。
「やっぱりすごい。あの骨格、自然光の下でも完璧だ」
「メイクの質感……昨日と微妙に違う。日中用に調整してる」
「プロだ。間違いなく、プロの技術」
真澄は、ラウンジの中央を堂々と歩いていく。
その視線は、一直線に――莉奈に向けられていた。
莉奈の顔から、血の気が引く。
昨日の朝、あの恐ろしい囁きを聞いて以来、莉奈は恐怖に怯えていた。まさか、あれが本当に真澄なのか。でも、そんなはずがない。真澄は地味で、加工に依存していて、あんな圧倒的な美しさを持っているはずが――
真澄は、莉奈の目の前で足を止めた。
周囲の学生たちが、息を呑んで見守っている。
「おはよう」真澄の声は、低く、知性に満ちていた。「昨日は素敵なパーティーだったわね」
莉奈は、必死に笑顔を作る。
「え、ええ……あの、失礼ですが、どちら様……?」
真澄の唇が、ゆっくりと弧を描く。
「自己紹介がまだだったわね。私――」
一瞬の間。
「――真澄よ」
ラウンジが、凍りついた。
三、絶対的権威の登場
「ま、真澄……!?」
莉奈の取り巻きたちが、驚愕の声を上げる。
「嘘でしょ……あの、地味な真澄が……?」
「整形? いや、一晩じゃ無理だ」
「メイク? でも、ここまで変わる……?」
ざわめきが広がる中、ラウンジの奥から、凛とした声が響いた。
「静粛に」
その声に、学生たちが一斉に振り向く。
現れたのは、美容学部の絶対的権威――神宮寺教授だった。
50代半ばの女性。かつて、パリコレのメイクアップアーティストとして活躍し、現在は美容学部の学部長を務める伝説の人物。彼女の授業は競争率50倍を超え、彼女に認められた学生は業界での成功が約束されると言われている。
莉奈は、この神宮寺教授を心から崇拝していた。教授の「天然の美しさこそが至高」という理念に共鳴し、それを自分のアイデンティティとしていた。
神宮寺教授が、真澄の前に立つ。
鋭い視線で、真澄の顔を上から下まで観察する。
沈黙が、永遠のように感じられた。
そして――
「……完璧だ」
教授の口から、その言葉が漏れた。
「何が……?」莉奈が、震える声で尋ねる。
神宮寺教授は、真澄の顔を指差した。
「この顔面の黄金比。眉頭から目頭までの距離、1:1の完璧な比率。鼻翼と目の幅の比率、理想値。人中の長さ、14mm。唇の厚さ、上下の比率1:1.6。すべてが、計算し尽くされている」
教授の声には、抑えきれない興奮が滲んでいた。
「そして、このコントゥアリング。影の入れ方、光の反射……。単なる技術ではない。これは『芸術』だ」
教授は、真澄の顎に手を添え、光の角度を変えながら観察する。
「ナノシリコン技術を使った骨格補正。量子ドット系のハイライト。2026年の最先端技術をすべて理解し、使いこなしている。……君は、どこで学んだ?」
真澄は、静かに微笑んだ。
「独学です。母の遺した技術書と、自分の顔を使った実験で」
「独学……!?」
教授の目が、さらに輝きを増す。
「素晴らしい。これこそが、真の『美容学』だ。理論と実践の融合。感性だけではなく、論理に基づいた美の追求――」
教授は、周囲の学生たちを見渡した。
「諸君、よく見なさい。これが、2026年の美容技術の到達点だ。『天然』に頼るのではなく、『知性』で美を構築する。それこそが、我々美容学部が目指すべき道だ」
莉奈の顔が、蒼白になった。
自分が信じていた「天然至上主義」が、目の前で否定された。
しかも、自分が最も崇拝する教授の口から。
そして、さらに追い打ちをかけるように――
教授が、莉奈の方を見た。
「莉奈君。君の『天然の美しさ』も素晴らしい。だが、それは『才能』であって『学問』ではない。この大学で学ぶべきは、才能ではなく技術だ。君も、真澄君を見習いなさい」
その言葉が、莉奈の心を深く抉った。
四、フォロワーの移動
その日を境に、真澄の周りには常に人が集まるようになった。
廊下を歩けば、学生たちが振り返る。
「真澄さん、今日のリップの色、教えてください!」
「そのアイラインの引き方、どうやるんですか?」
「インスタのアカウント、教えてもらえませんか?」
真澄は、丁寧に、しかし距離を保ちながら対応した。
一方、莉奈のSNSには、異変が起きていた。
フォロワー数が、減り始めていた。
そして、真澄の新しいアカウント――@MakeupArmor_Masumi――のフォロワーが、爆発的に増加していた。
真澄の投稿は、莉奈のそれとは全く異なっていた。
可愛らしい自撮りではなく、メイクのプロセスを論理的に解説する投稿。骨格分析の図解。使用した製品の成分表。ビフォーアフターの詳細な比較。
『美しさは、感性ではなく論理です。黄金比1:1.618を理解すれば、誰でも自分の顔を最適化できます。#MakeupIsArmor #2026beauty #骨格メイク』
コメント欄が、熱狂で溢れていた。
『これ、まじで使える!』
『真澄さんの解説、わかりやすすぎる』
『天然とか言ってる時代じゃないよね。これからは技術の時代』
『莉奈のアカウント、フォロー外したわ』
『努力で美しくなれるって証明してくれてありがとう』
莉奈は、震える手でスマホを握りしめていた。
そして、ある学生の投稿が目に留まった。
『莉奈って、本当に無加工なの? なんか最近メイク濃くない?』
その投稿には、数百件の「いいね」がついていた。
五、トイレでの対峙
その日の午後、莉奈は女子トイレで一人、鏡を見つめていた。
自分の顔を、じっくりと観察する。
天然の二重。高い鼻筋。透き通るような肌。
これが、自分の武器だった。これが、自分のアイデンティティだった。
でも――
不安が、胸の奥で蠢いている。
ドアが開く音がした。
鏡越しに、真澄の姿が映る。
二人だけの、密室。
莉奈は、必死に笑顔を作った。
「真澄……久しぶりね。その、昨日のパーティーのことは……」
「謝罪?」真澄が、冷ややかに遮る。「いらないわ。むしろ感謝してる」
「感謝……?」
「あなたが私を地獄に落としてくれたおかげで、私は本当の自分に出会えた」
真澄が、一歩、莉奈に近づく。
「でも、お返しはさせてもらうわ」
真澄の視線が、莉奈の首筋に向けられた。
そして、低い声で囁く。
「ねえ、莉奈。今日、少し急いでメイクしたでしょ?」
「え……?」
「首と顔の境目。ファンデーションが浮いてる。それに――」
真澄が、莉奈の頬を指差す。
「その鼻筋のハイライト、安物のパール系ね。2026年の超高演色LED照明の下だと、粉っぽさが目立つわよ」
莉奈の顔が、みるみる赤くなる。
「な、何を……」
「そんな安い塗り壁で、よく『聖女』なんて名乗れるわね」
真澄は、自分のバッグから、小型のデバイスを取り出した。
2026年最新のポータブル超高演色LEDライト――皮膚科医が使用する、肌の凹凸をすべて暴く医療グレードの照明装置。
「試してみる? このライトの下で、あなたの『天然の美しさ』がどう見えるか」
「や、やめて……!」
莉奈が後ずさる。
しかし、真澄は容赦なくライトを点灯させた。
冷たく、白い光が、莉奈の顔を照らす。
鏡に映ったのは――
厚塗りされたコンシーラーのひび割れ。加工アプリでは消せていたはずの、毛穴の開き。鼻筋のハイライトの粉浮き。そして、二重のラインの微妙な左右非対称。
対して、真澄の肌は、このライトの下でもなお、陶器のように滑らかだった。ナノレベルで計算された光の反射が、彼女の顔を神々しく輝かせる。
「見えた? これが、『天然』と『技術』の差よ」
莉奈の目に、涙が浮かぶ。
「あなた……本当に、真澄なの……?」
「ええ」真澄は、いつものルーティンを見せた。指先で口角を「クイッ」と押し上げる。「でも、もう昔の真澄じゃない。あなたが作り上げた『怪物』よ」
そして、トイレのドアを開ける。
廊下には、休み時間の学生たちが溢れていた。
真澄は、大きな声で言った。
「莉奈、メイク直し、手伝おうか? 首と顔の境目、かなり目立ってるわよ」
周囲の学生たちの視線が、一斉に莉奈に注がれる。
そして――
ヒソヒソと、囁き声が広がり始めた。
「え、莉奈のメイク、浮いてる……?」
「本当だ。首と顔の色、全然違う」
「無加工って言ってたのに、めっちゃファンデ塗ってるじゃん」
「詐欺じゃん……」
莉奈の顔が、真っ赤になる。
彼女は、真澄を睨みつけた。その目には、恐怖と憎悪が入り混じっていた。
六、狂気の始まり
その夜、莉奈は自室で一人、スマホを握りしめていた。
真澄のSNSアカウントを見つめる。
フォロワー数は、すでに10万人を超えていた。
そして、自分のアカウントは――5万人も減少していた。
「ありえない……ありえない!」
莉奈は、枕を殴りつける。
あの地味だった真澄が、どうして。
あの加工に依存していた真澄が、どうして。
莉奈は、スマホの画面を睨みつけた。
真澄の投稿。メイクのプロセス。骨格分析。
そして、ある投稿に目が留まった。
『今日も、私の武装(アーマー)は完璧。誰にも、この鎧は破れない。#MakeupIsArmor』
写真には、メイク後の真澄の完璧な横顔が映っていた。
莉奈の脳裏に、ある考えが浮かんだ。
「……そうよ。所詮、メイクじゃない。素顔を晒せば――」
莉奈は、AIストーキングアプリを起動した。
2026年、SNSのプライバシー保護が強化された一方で、アンダーグラウンドでは逆に「個人特定AI」が進化していた。投稿された写真の背景を高解像度化し、地図データと照合。窓ガラスや瞳に映り込んだ景色から位置情報を割り出す。
莉奈は、真澄の過去の投稿をすべてAIに読み込ませた。
アプリが分析を開始する。
背景の建物の形状。電柱の配置。遠くに見える看板の文字。そして、真澄の瞳に映り込んだ景色――それらすべてをAIが解析し、クロスチェックしていく。
数分後、画面に住所が表示された。
「見つけた……」
莉奈の唇が、歪んだ笑みを形作る。
「今度こそ、あなたの『本当の顔』を、みんなに見せてあげる――」
莉奈は、さらに計画を練り始めた。
真澄の家に侵入する。素顔を盗撮する。そして、SNSで晒す。
昨日のように、地獄に叩き落とす。
莉奈の目が、狂気に染まっていく。
彼女はもはや、自分が何をしようとしているのか、正常な判断ができなくなっていた。
真澄への嫉妬。自分のアイデンティティの崩壊。フォロワーの減少。
すべてが、莉奈の理性を蝕んでいた。
七、新たな脅威の予感
同じ頃、真澄は自室のバスルームで、メイクを落としていた。
クレンジングオイルが、一日の戦いの痕跡を溶かしていく。
鏡の中に現れたのは、地味な、でもどこか強さを宿した素顔。
真澄は、その顔を見つめながら、ふと思った。
これでいいのか、と。
復讐は、確かに気持ちいい。莉奈を追い詰めることに、カタルシスを感じる。
でも――
これは、本当に私が望んだことなのか。
その時、スマホに通知が入った。
差出人不明のメッセージ。
真澄は、画面を開いた。
『貴女のメイク技術、興味深く拝見しました。独学でここまで到達するとは、驚きです。特に、骨格補正の理論――「顔は構造物」という貴女の哲学には、深く共感します。
しかし、まだ粗削りですね。貴女には、まだ見えていない「美の領域」があります。
本物の技術を学びたければ、明日の放課後、第三実習室へ。
――貴女の才能を、さらに高い次元へ導きましょう。
K』
真澄の心臓が、高鳴った。
このメッセージの送り主は、私のSNSを見ている。
それだけではない。
母のノートの内容――「顔は構造物」という、私しか知らないはずの言葉を知っている。
誰だ。
K――。
敵なのか。味方なのか。
でも、なぜか、胸の奥がざわついた。
新しい何かが、始まろうとしている予感。
真澄は、鏡の中の自分に向かって、小さく微笑んだ。
そして、いつものルーティン。指先で口角を「クイッ」と押し上げる。
「……面白くなってきたじゃない」
鏡の向こうの真澄が、不敵に笑い返した。
復讐の物語は、新たな局面を迎えようとしていた。
そして、真澄はまだ知らない。
莉奈の狂気が、すでに彼女の日常に忍び寄っていることを。
Kという謎の人物が、彼女の運命をどう変えるのかを。
すべては、明日の放課後、第三実習室で明らかになる――。
第2話 完
第3話「秘密の調律 —肌を支配する指先—」へ続く
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