第3話 カッコウ
息子は、すくすくとなんの問題もなく成長した。
背が伸びた。小学校にも通い始めた。
食べる量も増え、文字も読めるようになった。
周囲は「しっかりしてきた」と言った。
私も、そう言うべきなのだろう。
そう言った方が、普通だ。
けれど、私は、息子の成長を喜べなかった。
成長するほど、私は置いていかれた。
増えていくはずのものが、増えなかった。
癖。好き嫌い。怒り方。甘え方。
そういう細かい「その子らしさ」が、どこにも積み上がらない。
息子は、ずっと同じ温度で笑い、同じ温度で泣き、同じ温度で「すき」と言う。
ある日、学校の先生に呼び出された。
「とても良い子です。友達にも優しい。ただ……」
先生は言葉を選びながら、笑った。
「感情の起伏が少ないんです。落ち着いていて、立派なんですけどね」
立派。
落ち着いている。
いい子。
私が願った言葉。
帰り道、私は息子の手を引いた。
手は温かい。小さい。
確かに子供の手だ。
「ねえ」
私は聞いた。
「……あなた、何が好き?」
息子はすぐに答えた。
「なんでもすき」
私は足を止めた。
「じゃあ、嫌いなものは?」
息子は同じ速度で答えた。
「ない」
その答えの滑らかさが、私を刺した。
子供は、嫌いなものがある。
好きより先に嫌いを覚えて、泣いて、怒って、わがままを言って、そこで初めて自分になる。
この子は、どこにも引っかからない。
つるりと、私の手の中をすり抜けていく。
夜、息子が食卓で箸を置いた。
「ごちそうさま」と言い、背筋を伸ばした。
完璧だった。
その直後だった。
息子がふっと、私の方を見た。
――表情が、変だった。
笑っている。
でも、笑っているのに、目が笑っていない、という類ではない。
もっと根本的に、「それは人間の笑顔ではない」と感じた。
目と口の動きが、別の生き物のものだった。
目はこちらを「見ている」だけ。
口元だけが、笑顔の形を正確になぞっている。
写真を見て笑顔を再現した人形みたいに。
私は箸を落とした。
音が大きく響いて、息子が瞬きをした。
その瞬きのタイミングすら、整いすぎていた。
「……どうしたの」
息子が言った。
その声は優しい。
優しいのに、私の背中を冷やした。
私は息子の頬に触れた。
柔らかい。温かい。
でも、その皮膚の下に「何もない」感じがした。
骨がない、というのではない。
何か――詰まっていない。
そこにあるはずのものが、大切なものが、欠けている。
私は、息子の肩を掴んだ。
揺さぶるほど強くはできない。
それでも、確かめずにはいられなかった。
「ねえ、ねえ……」
声が震えた。
「あなた……」
息子は、困ったように笑顔を作った。
あの、人間らしくない笑顔で。
その瞬間、私ははっきり分かった。
この子は、私の子供の形をしているだけだ。
周囲は誰も気づかない。
夫も、先生も、祖母も、近所も。
私だけが、これを見てしまった。
私は、椅子から崩れ落ちた。
息子は立ち上がり、私の前にしゃがんだ。
そして、教科書の挿絵みたいな顔で、劇の主人公の様な優しい声で言った。
「だいじょうぶ?」
その言葉が、決定的だった。
私の子は、そんな声で私に話しかけない。
私の子は、そんな綺麗な、お手本みたいな優しさなんて知らない。
泣きながら怒って、怒りながら甘えて、矛盾のまま生きている。
カッコウという鳥は、他の鳥の卵を蹴落として自分の卵と交換するらしい。
私は息子を見上げた。
息子の顔は、ちゃんと息子の顔だった。
他の誰が見ても、ただの子供だ。
だからこそ、私は叫んだ。
私の世界にしか通じない言葉を。
私の子を、返して。
咲き替わる花 綴葉紀 琉奈 @TuduhagiLuna
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