第2話
「大丈夫?」
車内で初めて聞いた優しい声色に混乱し一瞬だけ安堵が過る、その後現状認識が追いつくと再び恐怖が襲い掛かってくる。
ドアロックの音が不気味に響き、逃げ道を塞がれた事を思い知らされる。
ハンドルを握る彼の手の甲に浮かんだ血管の筋を見つめながら自分がいかに無力化を痛感した。
「あ...あの...わたし...迷子になっちゃって...」
途切れ途切れの説明を試みようとうして、舌がもつれる。
車外から聞こえていた住民たちの話声も次第に遠ざかり、車内は二人だけの密閉空間へと変貌していく。
エアコンの微かな送風音も大きく聞こえ、太ももの内側からじんわりと汗がにじみ出る感覚に思わずスカートの裾をぎゅっと握りしめる。
「どこに行きたかったの?」
彼から返って来た優しい言葉が恐怖と混ざる。
この状況で優しい言葉は反則だ....そんな理不尽な感情が生まれる。
信号待ちで止まった車体の揺れに合わせて、無意識のうちに座席の背もたれに体重を預けた。
フロントガラス越しに見えるコンビニエンスストアの看板がちらつき、日常と非日常の境界線がのやけていく。
彼の質問に答えなければと思う一方で、喉の奥で言葉が詰まったまま出てこない。
「東京の...親戚の...家に行かなきゃ...いけなくて...」
ようやく絞り出せた声は蚊の鳴くような音量だった。
シフトレバーに置かれた彼の指先が動くたびに背筋がピンと伸びる。
鞄の中で財布を探す手が震え、硬貨の硬質な感触が手に伝わった。
あと数枚しか残っていない現実が、絶望的なまでに重い。
ふと見上げた彼の横に浮かぶ疲労の陰に、なぜか親近感のようなものを覚えてしまった自分が怖くなった。
「親戚のおうちの場所わかる?」
ナビ画面の青白い光が車内をぼんやり照らす中、彼の問いかけは天使の囁きにも悪魔の誘惑にも聞こえた。
目的地を入力しようとする指が宙で止まり、住所の記憶が曖昧模糊としている事実に愕然とする。
液晶に映る自分の顔はひどく幼く見え、現実離れした状況下での無防備さを突き付けられた気分だ。
「だいたい...分るんですけど...正確な番地とか...知らなくて...」
嘘ではない。
ただ、自信がないだけ。
彼の呼吸音が静かすぎる車内で強調されて聞こえる。
ふと、助手席のグローブボックスが目に入る。
そこには線香の束とライターなどの小物たちがしまわれており、よく見ると彼の腕には蚊に刺された跡がいくつも残っている、線香で防げなかったのを想像し心の中で笑ってしまった自分がまた怖くなった。
自分のスマートフォンのバッテリーが完全になくなり画面が暗くなる、頼れるものが目の前の人物だけという残酷な真実が胃の底に沈んでいく。
私の視線に気が付いたのか彼はスマートフォンの充電ケーブルを取り出した。
信号待ちで停車中に助手席へと移りシートベルトをつける。
ケーブルを差し出す手つきの滑らかさに一瞬だけ見惚れてしまった自分に気づく。
ダッシュボードの照明が彼の指先を黄金色に染め、その温もりが充電器を通じて自分の端末に流れてくる錯覚を覚える。
助手席の座面は予想以上に柔らかく、自宅のソファーよりもずっと快適かもしれない。
「あ、ありがとう...ございます」
素直な感謝の言葉が口を突いて出た。
彼の匂いが車内にこもり、それがタバコ臭でも芳香剤でもない独特な個人の香りだと理解する。
窓の外を流れる街灯が流星群のように過ぎ去っていく光景を眺めながら、ふと疑問が沸く。
《なぜこんな見知らぬ男が親切にしてくれるのだろう?そして、どうして自分はこんな簡単に信用してしまっているのか》
足元で絡まったスカートの裾を直すふりをして、脹脛のあたりの緊張感を紛らわそうと試みた。
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