第19話 影は揺らぎを追う

街の喧騒が戻りつつある中、その裏で静かに動き始める者たちがいた。

セバス直属の密偵――影と呼ばれる者たちだ。

彼らは黒いフードを深くかぶり、人混みに紛れながらも決して気配を漏らさない。

今日の任務はただ一つ。

ルイという男の行動を追跡し、正体を探ること。

セバスの命令は簡潔だったがその声にはいつも以上の緊張があった。


「……あの男はただの冒険者ではない。だが敵意は感じられない。

ゆえに慎重に見極める必要がある」


密偵たちはその言葉を胸に刻み、街へ散っていった。

――その頃。

ルイは昼食を終え、煙草をくわえながら街を歩いていた。


「さて……次はどこ行くか」


特に目的はない。ただ街の空気を感じながらのんびり歩いているだけだ。

だがその背後には三人の密偵が距離を保ちながらついていた。

一人は屋根の上。

一人は人混みの中。

一人は路地裏。

三方向から死角を潰し、決して見失わないように。

そのはずだった。


「……ん?」


屋根の上の密偵が眉をひそめた。

さっきまで見えていたルイの姿が、人混みの中に溶けるように消えていた。


「見失った?そんなはずは……」


すぐに別の密偵へ合図を送る。

路地裏の密偵が応じる。


「こちらも……姿が見えません」

「人混みに紛れたのか?」

「いや……気配が消えた」


密偵たちは互いに視線を交わし、すぐに周囲を探り始めた。

だがルイの気配はどこにもない。

まるで最初からそこにいなかったかのように。


その頃、ルイはというと。


「……あ、あれ食ってみるか」


屋台の前で、串に刺さった肉を眺めていた。

密偵たちが必死に探していることなど知る由もなく、

のんびりと煙草を吸いながら新しいグルメを開拓していた。


「兄ちゃんこれ新作だよ。猪肉を香草で漬け込んで焼いたやつ」

「……一本」


肉を受け取り、かぶりつく。


「……うまい」


その一言に屋台の主人は満足げに笑った。

ルイは煙草をくわえたまま、ゆっくりと街を歩き出す。

その歩き方は特別速いわけでも怪しいわけでもない。

ただ――気配が薄い。

あまりにも薄すぎる。

密偵たちが追えないのも無理はなかった。


「……おかしい」


屋根の上の密偵が呟いた。


「気配が薄すぎる」

「そんな馬鹿な。あの距離で見失うなんて……」

「いや、これは意図的ではない。自然に気配が薄いんだ」


密偵たちは困惑していた。

追跡のプロである彼らが普通に歩いているだけの男を追えない。

そんなことはこれまで一度もなかった。


「……報告するしかないな」


密偵の一人が小さく息を吐いた。


「セバス様もこれは予想外だろう」


三人はそれぞれの持ち場へ散り、セバスのもとへ戻る準備を始めた。

だがその時――


「……ん?」


路地裏の密偵が、ふと視界の端にルイの姿を捉えた。

煙草をくわえ、のんびりと歩いている。


「見つけた」


密偵はすぐに追跡を再開した。

だが次の瞬間、ルイの姿はまた消えていた。


「……は?」


密偵は呆然と立ち尽くした。


「今の距離で……?どうやって消える……?」


理解不能だった。

これがルイという男の日常なのだ。

密偵たちは一度集合地点に戻り、短く状況を共有した。


「……全員、見失ったのか」

「はい。誰一人として継続して追跡できませんでした」


報告を受けたリーダー格の密偵は、しばし沈黙した。

彼はセバス直属の中でも特に腕が立つ男でこれまで数多の標的を追ってきた。

だが今回の状況は異常だった。


「……あの男、何者だ?」

「分かりません。ただ気配が薄すぎます。

あれは意図的に隠しているのではなく、自然に消えているような感じがします」

「自然に、だと?」


密偵たちは互いに顔を見合わせた。

追跡のプロである彼らが同じ感想を抱いている。

それはつまりルイという男は、そもそも追跡される前提にない存在だということだ。


「もう一度だけ試す。今度は距離を詰めるな。遠くから気配だけを追え」

「了解」


密偵たちは再び散り、街の各所へ配置についた。


ルイはというと、街外れの小さな川沿いを歩いていた。

煙草をくわえ、川の流れを眺めながらのんびりと歩く。


「……やっぱり、ここは静かでいいな」


川辺には人影が少なく、風が心地よく吹き抜けていく。

ルイは煙草を指で弾き、灰を落とした。

そのとき密偵の一人が遠くから気配を捉えた。


「……いた。川沿いだ」

「距離を保て。絶対に近づくな」

「了解」


密偵は屋根の上から遠くに見えるルイの姿を確認した。

今度こそ見失わないように慎重に距離を取る。

だが――


「……あれ?」


ほんの一瞬、視線を外しただけだった。

風が吹き、木の葉が揺れた。

そのわずかな隙にルイの姿が消えていた。


「……嘘だろ」


密偵はすぐに周囲を探った。

川沿いの道、草むら、橋の下。

だがどこにもいない。


「気配も……ない」


まるで風に溶けたように。

まるで最初から存在しなかったように。


「……また消えました」

「位置は?」

「分かりません。完全に消えました」

リーダー格の密偵は、深く息を吐いた。

「……戻るぞ。セバス様に報告だ」


夜。

領主邸の一室で、セバスは密偵たちの報告を静かに聞いていた。


「……つまり誰一人として追跡できなかったと」

「はい。視界に捉えても気配を追っても、必ず途中で消えます。意図的な気配遮断ではありません。自然にです」


セバスは目を閉じ、しばらく沈黙した。

密偵たちの実力は誰よりも知っている。

その彼らが揃って「追えない」と言うのだ。


「……やはり、ただの冒険者ではないか」


セバスは椅子から立ち上がり、窓の外を見つめた。


「その男は、街に害をなす者ではない。

兵士を助け、討伐にも協力している。だが……」


セバスの瞳が細くなる。


「力が強すぎる。気配が薄すぎる。行動が読めない。――危険性は否定できない」


密偵たちは黙って聞いていた。

セバスはゆっくりとマントを翻し、部屋を出る準備をした。


「……もはや私が直接接触したほうがいい」


その声は静かだが、決意に満ちていた。

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