第4話 素晴らしきかな日常

ルイは宿屋『銀介の宴』の食堂で、いつものように朝食を摂っていた。

湯気を立てるスープを口に運び、無骨なパンを千切る。

周囲では他の宿泊客たちが、この街の日常茶飯事である脅威について、どこか慣れきった様子で語り合っていた。

しっかし、この前のスタンピードの騒ぎは凄かったな。

外壁があそこまで削られたのは久しぶりだ。治癒師様たちの祈りがなけりゃ、今頃このスープも啜っちゃいねえな。

そんな世間話を耳に流しながら、ルイは木匙を置いた。

やっぱり、ここのスープは少し塩気が強いな。

独り言を呟く。

カウンターの向こう側では、主人のウィストが昨夜の騎士団の来訪を気にしてか、しきりにルイの方を伺っている。

おい、ルイ。お前を訪ねてきたあの大男……バウトラントとか言ったか?

あの手の連中に目をつけられると厄介だぞ。本当にお前、ただの道案内で済んだのかよ。

ふっ、俺みたいな中堅どころの顔なんて、すぐ忘れるだろ。

ルイは鼻で笑って受け流すと、懐から乾燥した葉と紙を取り出した。

指先で手際よく丸め、器用に形を整える。

そのとき、店の外の空気がわずかに揺れた。

冬の冷気に紛れて、重い気配が一つ。

騎士の歩き方だ。

気配を消しているつもりなのだろうが、あの重心の置き方は隠しきれない。

(……まだ見張ってやがるのか)

ルイは気づかないふりをして煙草を巻き続けた。

ウィストは気づいていないらしい。

街の人間にとっては、ただの寒風にしか感じられないのだろう。

ま、精々気をつけろよ。聖教会の連中は、一度目をつけたら骨までしゃぶり尽くすのが仕事なんだからな。

分かってるさ。……ごちそうさん。

ルイは椅子を引いて立ち上がると、壁に立てかけてあった片刃を腰に差した。

宿を出ると、ひんやりとした冷気が肺を満たす。

通りにはいつも通りの活気があった。

外壁の外に魔物の群れが迫ろうと、一度それが退けば、人々は何事もなかったかのように今日を始める。

それがこの辺境の街、リステアの逞しさであり、ルイの気に入っている点でもあった。

ただ、今日はいつもと違うものがあった。

通りの角に立つ影。

鎧の軋む音を必死に抑えようとしているが、隠しきれていない。

視線を向ければ、影はすぐに建物の裏へ消えた。

(……あれも第四師団か。バウトラントの命令だろうな)

ルイは肩をすくめ、冒険者ギルドへと足を向けた。

おはよう、ルイさん。今日は早いですね。

受付のエミが、いつものように明るい声でルイを呼ぶ。

ああ。……何か、手頃なのはあるか。昨日の酒代を稼ぎたい。

ふふ、相変わらずですね。

ええと、月見草の採取か、西の草原での薬草採取はどうですか?

ルイは依頼板に目をやり、「西の草原での薬草採取」の紙を抜き取った。

これで頼む。……今日は一人で静かに仕事をしたい気分なんだ。

分かりました。気をつけてくださいね。

最近、少し空気が冷え込んでますから。

ギルドを出ると、また一つ気配が揺れた。

さっきの影とは別の方向から。

(……二人か。いや、三人か)

騎士団の監視は、どうやら本格的になってきたらしい。

ルイは煙草を咥え、火を灯した。

冬の風にけむりが溶けていく。

(……まぁ、好きにさせておくか)

一時間後。

リステアの西に広がる草原は、穏やかな風が枯れ草を揺らしていた。

ルイは無言で腰を下ろし、土に隠れるように生えている薬草を一つずつ丁寧に摘み取っていく。

かつての戦場の喧騒とは無縁の、単調で、しかし確かな時間の流れ。

ふと、ルイは手を止めて空を見上げた。

冬の澄んだ空には一点の雲もなかった。

その背後、遠くの丘の上で、鎧の光が一瞬だけ揺れた。

(……見張りはまだ続いてるか)

ルイは小さく笑い、再び薬草を摘み始めた。

静かな日常は、今日も続いていく。

ただ、その裏側で、確実に何かが動き始めていた。

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