第3話 聖教会の騎士団と聖女

薬草の籠を背負い、ルイがギルドへ戻ると、朝の喧騒は一段と熱を帯びていた。

しかし、その熱は活気というより、どこか「焦燥」に近い。


「あ、ルイさん。おかえりなさい。無事だったんですね」


受付のエミが、書類の束を抱えたまま駆け寄ってきた。


「……何かあったのか? 随分と慌ただしいな」


ルイはカウンターに薬草の籠を置き、報酬の銀貨を受け取る準備をする。


「それが……昨日のスタンピード、やっぱり異常だったみたいで。北方の防衛都市がいくつか陥落したっていう急報が入ったんです。ここリステアにも近いうちに調査団と聖教会の『騎士団』が来るって噂で」


ルイが銀貨を掴もうとした指先が、わずかに止まった。


「……聖教会。あいつらがこんな辺境まで来るのか」


この世界において、唯一の「奇跡」を独占する組織。

人は、傷を癒やす力以外の魔法を持たない。炎を放つことも、雷を呼ぶこともできない。だからこそ傷を塞ぎ、病を退ける「治癒魔法」を操る聖教会は、神にも等しい権威を持っていた。裏を返せば、この世界の戦争は、どこまで行っても泥臭い鉄と血の殺し合いでしかない。


「……しばらくは街の近くから離れないほうがいいですよ。身元にうるさい騎士団長が来るそうですから」

「ああ、分かってる。俺は元から、目立つのは嫌いだ」


ルイは銀貨を懐に放り込み、足早にギルドを後にした。

聖教会の騎士。その名を聞くだけで、古傷が疼くような錯覚に陥る。

ルイは街の外れにある臨時の救護所へ向かった。

そこには、昨日の戦いで傷ついた兵士たちが、身を寄せ合っていた。


「……あ、あの方は……」


兵士たちの視線の先には、一人の少女がいた。

真っ白な法衣を纏い、祈るように両手をかざす少女。彼女の指先からは淡い光が放たれ、兵士の深い傷を塞いでいく。

だがその顔色は土を捏ねたように蒼白で、額には大量の汗が滲んでいた。


「……無茶だな。あれじゃあ傷を治す前に倒れるぞ」


この世界の魔法は、全能ではない。

欠損した部位はもとには戻らない。


「……いいえ。まだ、助けられる命があるので」


少女が顔を上げた。透き通るような碧眼がルイを捉える。


「……これを使え」


ルイは懐から、薬屋から仕入れたばかりの葉ではなく、別の小さな包みを取り出した。


「それを噛んでおけ。気休めだが、魔力の循環を助ける薬草だ。あんたが倒れたら、残りの連中を励ます奴がいなくなる」

「あ、ありがとうございます。あなたは……?」

「ただの、酒好きの冒険者だよ」


ルイはそれだけ言うと、人混みの中へと消えた。

少女の視線が、ルイの腰に差された「片刃」に止まる。


「あの刀……」


夕刻。

リステアの空は、老婆の予言通り、不吉な紫色の雲に覆われ始めていた。

ルイは宿屋『銀介の宴』の屋上に立ち、再び煙草を巻いていた。


「……嫌な風が吹いてやがる」


街の正門の方角から、規則正しい蹄の音が聞こえてくる。

白銀の甲冑を纏った騎兵団。その先頭には、聖教会の旗が翻っていた。

その後ろには、豪華な装飾が施された馬車が続く。


「調査団……か。それにしては、物々しすぎるな」


ルイは、吸いかけの煙草を指先で揉み消した。

その夜。

宿屋の主人ウィストが、深刻な顔でルイの部屋の扉を叩いた。


「ルイ、起きてるか。……客だ。お前を指名してる」

「俺を? 冒険者ギルドを通せと言ってくれ」

「……いや、そうはいかない。相手は、さっき街に入った聖教会の騎士団長だ。それと……さっきのお嬢ちゃん、あの治癒師の聖女様も一緒だ」


ルイは深いため息をつき、壁に立てかけてあった片刃を掴んだ。

階下へ降りると、そこには大男と昼間に救護所で会った少女が立っていた。


「私は聖教騎士団、第四師団を率いるバウトラントだ。貴殿の名を伺いたい」


その声は低く、宿の空気を震わせるほどの威圧感に満ちていた。ルイは気圧される様子もなく、気だるげに言葉を返す。


「……ルイだ。ただのしがない冒険者だよ」


バウトラントは、ルイの目を射抜くように見据えた。


「我々は、ある者を探している。昨夜放たれたであろう熱と光だ。鉄を溶かし、肉を焼いたと聞く。この世界に攻撃魔法は存在しない。癒やす力しか持たぬ我らにとって、それはこの世の摂理を逸した力だ」


バウトラントの視線が、ルイの腰に差された独特の反りを持つ「片刃」に止まる。


「貴殿の得物、そして街の兵士たちの証言……特徴が一致しているのだが心当たりはないか?」

「……何のことか分からないな。俺は昨日の騒ぎを遠巻きに見ていただけだ」


ルイは応じず、静かに新しい煙草を口に咥えた。


「団長、この方は私を助けてくれました。悪い人ではありません」


聖女と呼ばれた少女が、縋るような瞳で二人を交互に見た。彼女もまた、控えめに一歩前へ出る。


「私はエルナ。聖教会の治癒師です。先ほどは、お薬をありがとうございました」

「……気にするな。ただの気付け薬だ」


ルイは視線を逸らした。バウトラントは疑念を抱いたまま、ゆっくりと剣の柄から手を離した。


「……ルイと言ったか。貴殿を、しばらく監視させていただく。聖女よ、下がりなさい。真実がどうあれ、不穏な影を放置するわけにはいかん」


知らずのうちに冷静を欠いていたと気づいたバウトラントはそれ以上追及せず、重い甲冑の音を響かせて宿を出て行った。エルナは申し訳なさそうに一度だけ深々と会釈し、騎士の背中を追う。

一人残されたルイは、うんざりした様子で煙草に火を灯した。

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