1-10-3.四月二十二日

「ふぅ、もういいか」


「どうしたんですか? さっきの志絵莉しえりさん、なんかめちゃくちゃ怖かったんですけど」


 わたし自身も、かなり気を張っていた自覚がある。相手の一言一句、一挙一動に集中していたし、自分がボロを出さないようにも気を付けていた。

 その上で思うが、彼女は恐らくシロだ。事件に全くの無関係かどうかはわからないが、少なくとも殺人は犯していない。向こうはわたしが警戒心を丸出しにしていたことに、恐らく気付いている。もちろんわたしだって、簡単に気取られるようなヘマをしたつもりはない。だけれど、わたしの警戒心に気付いていてなお、わたしに全てをさらけ出そうとしていた。これはわたしを舐めてかかっている余裕か、逆に、敵ではないと示しているようだった。


「ごめんね、せっかく念願のお姉さんに会えたのに、あまり話させてあげられなくて」


「いえ、それは別にいいんですけど……何かあったんですか?」


一紀かずきくんは本当に、わたしをよく見てるんだね。でも大丈夫。わたしもちょっと思うところがあっただけで。心配掛けてごめんね」


 初対面の彼女にはわからなくても、普段のわたしを見ている一紀くんには気付かれてしまうとは思っていた。それにしても、あのわたしを“怖い”と評すとは思わなくて、実に興味深い。今だって、何をそんなに怯えているんだろう。彼の目には、わたしはどんな風に映っていたのだろう。


「志絵莉さんが大丈夫ならいいんです。あのお姉さんに会ってみてよくわかりました。本当に顔が似ているだけだなと。顔が似ていても、あのお姉さんと志絵莉さんは全然違いますし、昔助けてくれたお姉さんとも違う。わかってはいたことでしたが、やっと、実感を持ってわかった気がします」


 彼だって彼女の名前を聞いたはずなのに、頑なに憩都けいとさんの名を口にしようとしない。曲がりなりにも彼女の前で他の女の名を出さないようにしているのだろうか。


「そっか。ちなみに、同じ顔でも憩都さんとわたし、どっちの方が好みだった? 怒らないから正直に言っていいよ」


 試すようにそんなことを聞いてみると、彼はそれを軽快に笑い飛ばした。


「悪いですけど、比較にならないですよ。顔だって、確かにすごい似てはいますけど、同じじゃない。中身なんて、もう全然違います。ちょっと会っただけでもわかりますよ。どちらがいいかと言えば、その差は圧倒的です」


 それって、結局どっちがいいか言ってくれてないじゃない。


「で、どっちがいいの?」


「それはもちろん、志絵莉さんです」


「本当に~? 別に本当のこと言っても怒らないってば」


「本当ですよ。むしろ俺がそんな忖度しないって、志絵莉さんならわかってるでしょ? 彼女になってくれたのが志絵莉さんで、俺は本当に幸せだなと思います。俺はもしあのお姉さんと先に出会って、今と同じように彼女と仮初の恋人関係を築いていたとしても、志絵莉さんを選んだと思いますよ」


 そうだ。わかっている。彼はこういう時、嘘を吐かない。そんな彼だから、わたしだってこうして隣に置いているのだし。でも一つ言いたいが、その言葉はもう告白と同義じゃないだろうか。自分が何を言っているか、彼自身は正しく理解しているのだろうか。理解していないから、そんな平然と言えてしまうのだろう。しかもこんなことを言うのは、わたしに対してだけなのだろう。恐ろしい。対わたし用の、歩く兵器だ。


「そんなのわかんないでしょ。もっと関わってみたら、憩都さんの方がいいってなるかもしれないじゃん」


「いや、それはないですよ。あの人は“姉”なんです。でも志絵莉さんは“お姉さん”なんですよ。わかりますか?」


 わかりますか? じゃないよ。何言ってんだこいつ。そんな大真面目に、馬鹿じゃないのか。面白過ぎる。


「言いたいことは何となくわかったけど……ううん、まあいいや。わたしを選んでくれたのは、素直に嬉しかったって言っておく」


「それじゃあ気を取り直して、続きも回りましょうか。一通り回ったら、お昼にしましょう」


 わかった、とわたしはそれに答えてまた歩き出す。


 彼はわたしのことが好きではないかもしれないが、わたしを捨てたりはしないだろう。きっと今の彼は、わたしのことを友達以上家族未満として見ているのだ。そもそも彼の中に恋人という概念があるのだろうか。彼を惚れさせるのは、なかなか困難な道のりになりそうだ。


 わたしたちは一度 駅前まで戻り、駅ビルのレストランで昼食をとることにした。


 わたしは一紀くんがトイレに席を立った際に、に“雨村憩都”について調べるように依頼しておいた。ここのところに依頼をし過ぎている。後で多大なツケにならなければ良いけれど。


「志絵莉さん、目線ください」


 そしてわたしの彼氏はと言えば、チョコレートソースのかかったベリーパフェにありつこうとするわたしを一生懸命写真に収めようとしている。

 一紀くんは今日は隙あらばわたしを撮ろうとしてくる。そんなに今日のわたしがお気に入りなのだろうか。悪い気はしないけれど、さすがに食べているところを撮られるのは少し遠慮してもらいたい。


 わたしはスマホを構える彼の手を掻い潜って、彼の口までスプーンを運ぶ。抵抗せずにそれを口に含んだ彼は、スマホのカメラのシャッターを押した。


「今の撮るところだった?」


 撮れた写真を見せてもらうと、わたしの腕が手前に映り、それを辿るように奥にわたしの顔が見える。なるほど、主観的な画が撮れたわけか。


「ちなみに、この後はどうするか考えてある?」


 わたしはパフェを貪りながら、その様子を手持無沙汰そうに眺めている一紀くんに尋ねてみる。

 予定より早く済んでしまった。わたしも一紀くんも、本当はもう少しかかるだろうと思っていたが、朝が早かったせいか、意外とすんなり回り切れてしまった。


「えーっと……実は、特に考えてなくて……」


「じゃあ、動物園の方も行かない? っていうか、嫌だって言っても無理やり連れてくけど」


「そんなに行きたいんですか?」


「もちろん。動物園に行くのも初めてだから」


 一般的な動物園というものは、本やインターネットで見て知ってはいる。だけれど、実際にこの足で訪れたことはない。そもそも動物と触れ合う機会すらろくになかったから、そんな状態で“あにまる保育園”に行って大丈夫かと思っていた。せっかくの機会だから、少しでも人間以外の動物を間近で見ておきたい。


「動物園も行ったことないって、監禁でもされてたんですか?」


「え、そんなレベルなの?」


「監禁は冗談ですけど、志絵莉さんって意外と経験値少ないんですね」


 悪意はないんだろうけれど、何だかムカつく。確かにわたしは理論ばかりで経験は少ない。人間との関わりだって、極端なものばかりだ。ムカつくはムカつくけれど、反論はできなかった。


「そう、わたし経験少ないからさ。ねえ、ダメかな? わたしと一緒に動物園、行こ?」


 上目遣いで目一杯あざとく強請ってみる。彼にはこういうの、通じるのだろうか。あまり効かなそうだなと思いながらも、試してみた。


「いいですよ。別に俺も行きたくないわけじゃないですから」


 彼は至って冷静に、というよりほとんどスルーされた形で、端的に返す。これはたぶん、効いていないな。やはりダメか。もっとお姉さんらしさのあるお願いの仕方じゃないと、彼には響かないのだろう。難しい。

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