1-10-4.四月二十二日
会計を済ませて、今度は動物園の入園ゲートをくぐって中に入る。午後になっても相変わらず人は多い。また一紀くんに手を引かれて、わたしは順々に回っていくことにした。
園内マップの冊子を手に、次は何の動物が待っているのか楽しみにしながら進んでいくと、両生類・爬虫類館なる建物が見えてきた。
「志絵莉さん、爬虫類系は平気な人ですか?」
「わたしは大体何でも平気だよ。爬虫類も両生類も虫も大丈夫」
「さすが、強いですね。じゃあ、行きますか」
強いってどういうことかと思ったけれど、問う間もなく一紀くんに連れられていくので、気にしないことにした。
「今はどうかわからないんですけど、俺が通っていた頃の“あにまる保育園”では、ヒキガエルを飼ってたんですよ。可愛かったんですけど、結局最後は死んじゃって」
またしても、一紀くんは“あにまる保育園”の話をさもいい思い出のように語る。そのヒキガエルも例に漏れず、“お見送り”によって安楽死させられているだろうに。それがすなわちどういうことか、今になればわかるだろうに。
「ねえ、一紀くん。少し休憩しようか。どこか座れる場所ないかな?」
「ここを出ると、たぶんベンチがあると思います。行ってみましょう」
一紀くんの言った通り、出てみるとちょっとした屋台とベンチ、パラソルテーブルがあり、休憩できるようになっていた。空いている席を探して、腰を下ろす。
「一紀くんは、この動物園を見ても何も思わない?」
「どういうことですか?」
本当にわからないというように首を傾げられるので、少し丁寧に話してあげる。
「いやね、“あにまる保育園”の教えって、自然のままでいるのが良いというような教えだとわたしは思うんだ。無理に延命せずに、自然に弱っていくままに死なせてやることを美徳としている。でも、その考えを良しとするなら、この動物園は許せるのかなって。自然のままとはかけ離れてると思うんだ、ここは」
「確かに……そう、ですよね。考えもしませんでした。俺にとっては“あにまる保育園”での生活は当たり前にあって、そして同時に、こうした動物園というものも当たり前にあった。その両者が矛盾していても、同時に当たり前に存在していることに、何の疑問も持っていませんでした」
そうか、わかってくれたのか。このことを彼にわかってもらうのは無理なんじゃないかと、この間 彼の家に行った時に思ってしまった。だけれど彼は、ちゃんと理解してくれている。わたしが伝えたかったこと、わかってほしかったこと。
「それに気付いてくれたならいいんだ。わたしはね、“あにまる保育園”で教わったことを鵜呑みにするのは危ういと思うんだ。別に“あにまる保育園”が悪だと言ってるわけじゃない。だけど、全てに当てはまるわけじゃないってことも、知っておいてほしい、理解しておいてほしいんだ。こうして当たり前に動物園というものが存在しているようにね」
いや本当は、“あにまる保育園”は悪だと思うけれど。ただ“あにまる保育園”の悪の部分は彼は知らないかもしれないし、知る必要もないからこれでいいんだ。
「志絵莉さんが前に言っていた話ですか? もし大切な人が目の前で死にかけていたら、志絵莉さんなら必死に助かる方法を探すだろうって。あの後、俺も自分で考えてみたんです。昔に起きた、お姉さんが俺を助けてくれた事故がまた起きたなら、俺はきっと、お姉さんを助けようとするだろうと思ったんです。おかしいですよね。言ってることが矛盾してる」
彼の心境の変化を聞いて、わたしは思わず涙が出てしまいそうだった。
彼を変えるには、実際にわたしが死にかけてみるしかないのかなと思ったくらいだ。
「おかしくない。それでいいの。わたしは一紀くんに、そう思ってほしかったんだ。だからもし、わたしが一紀くんの目の前で死にかけてても、わたしを生かすことを諦めないでね。わたしはまだ死にたくないから。まだまだこれから、一紀くんとしたいこともいっぱいあるんだ。だからどんなことをしてでも、わたしを助けてね」
「俺も、できるだけ長く志絵莉さんと一緒に居たいですから。簡単には死なせませんよ」
相変わらず一紀くんは、自分の言っていることが自覚できていないみたいだ。せっかくだから、ここは一つ、彼がどれだけ恥ずかしいことを言っているか思い知らせてやろう。
「それってプロポーズってことでいいの? わたしが寿命で死ぬまで一緒に居てくれるんだよね?」
慌てるような反応を期待したが、意外にも冷静に返される。揶揄っているわたしに対して、真剣に答えてくれる。これじゃあわたしがただ意地悪しているみたいだ。
「プロポーズってわけじゃないですけど……欲を言えば、こんな時間がずっと続けばいいなとは思います」
「そっかそっか。ねえ、そろそろわたしのこと好きになった? それとも、好きでもないのにずっと一緒に居たいの?」
今度は純粋に聞いてみた。揶揄っているわけではない。彼の本心を聞きたくなったのだ。
「好きかどうかは、わからないです。誤魔化してるわけじゃなくて、俺も好きってものがよくわからなくて。もしかしたら今抱いている感情が既に好きなのかもしれないですが、それが自覚できた時に、ちゃんと改めて言いますよ。そういう約束ですからね」
彼は約束をきちんと守ってくれる。焦らなくて良さそうだ。それがわかっただけで充分。いつになるかは知らないけれど、気長に待っていよう。
「じゃあ、わたしもそうする」
「じゃあって何ですか。志絵莉さんは俺のこと、好きなんですか?」
「好きって言われないってことは、まだ好きじゃないんじゃない?」
一紀くんはわたしの答えに苦笑いする。しかしそれは、悲しそうな笑みへと移ろった。その笑みは、彼自身に向けられたものなのだろうとわたしはすぐに気付いた。
「なんか他人事ですね。まあいいですけど。志絵莉さんこそ、勝手に俺を捨てないでくださいよ?」
「何言ってるの。約束が守られる限り、お願いされても捨てたりなんかしないよ」
「それはそれで怖いですね……」
どちらからともなく立ち上がると、園内巡りが再開される。妙に胸の内がざわざわするような話はこれで終わりだ。今日は楽しみに来ているんだから。
あらかた回り終わる頃には日も傾き始め、橙の西日が差してくる。暑さはまだ引かないが、日が暮れるにつれて人は段々と少なくなってきていた。
「一紀くんは、今日は何時に帰るとかってお家に連絡してあるの?」
「いえ、特には。最悪 夕飯も冷蔵庫に入れておくって言われてますし」
「じゃあさ、今日は晩ご飯まで、このまま一緒にどう? お母様には悪いけど、作ってもらったお夕飯は明日にでも食べるとして」
一紀くんの表情がぱあっと明るくなったように見えた。彼も、ここで終わりにしてしまうのは名残惜しかったのかもしれない。
「いいですよ。一応、家にも連絡しておきます」
さて、どうしようかな。わたしには二つの選択肢がある。普通に過ごすか、攻めるか。それによって、行き先も変わってくる。一紀くんがお母様にメッセージを打っている間に決めなければ。
「どこか、場所は決めてあるんですか?」
なんて、彼に尋ねられる。もう送り終わったのか。長々と悩んでいる暇はない。
「この間は一紀くんのおすすめのお店に連れていってもらったでしょう? だから、今度はわたしが連れていってあげようと思って。好き嫌いやアレルギーは特にないんだっけ?」
「はい、大丈夫です」
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