8.五言絶句

「それで、征都くん。暗号解読の方は順調?」


 その口元には、もう解読されたとは露ほども思っていない余裕が伺える。実際、まだ解読しきれたわけじゃない。


「犯行は六月の晴れた日じゃないかって。あと、白き花嫁はシロツメクサのことだって言ってたよ。あとは……フォーマルハウトがどうとかって。南の海岸線が犯行現場になりそうってことらしいけど」


「ふーん、なるほど。そっかぁ。それ以外はまだってわけね」


 僕の返答に、何かを思案しつつ、やや満足そうに微笑んでいる。ただ、それ以上のことは言ってくれなかった。あくまで、答え合わせはしてくれないつもりらしい。大城おおしろくんの推理状況の進捗確認ということみたいだ。


「北川さんは大城くんのこと、どのくらい警戒してるの? 大城くんって、実際警察とかより推理力あるの?」


「そうねぇ……捜査力ならもちろん警察の方が厄介かな。人員の量が違うし、専門機材とかの環境的な面も、権力的な面から見てもね。でも、純粋に頭が回るという点では、警察以上に厄介な相手かもなぁって思ってるよ」


 だからこそ、警察の後ろ盾を得た大城くんは、なおさら侮れないということなのか。


 志乃さんのやっていることは紛れもなく犯罪で、悪であることは否定のしようがない。だけれど僕は、できるなら志乃さんの力になりたい。そんな厄介な相手と対峙することになるというのに、僕が彼女のためにできることはないのだろうか。


「北川さんは、捕まるの怖くないの?」


 そうだねぇ、と少し考えて、彼女は再び口を開いた。


「怖くないってことはないけど、捕まったらどうしようとか、そういうことはあまり考えないかな。捕まらないように最善を尽くしてるつもりだし。それに、わたしはまだ捕まるわけにはいかないから」


 彼女のやり遂げたいことって何なんだろう。“トリカゴ”のボスってことは、“トリカゴ”の目的は彼女の目的ってことになるだろうし、人を殺してまで達成したい目的って何なんだろう。


「この世界は正常に見えて、根本は腐りきった狂った社会なの。だから正しいやり方じゃ、この世界は変えられない。時間もかかるし、簡単に悪に負けてしまう。大きな犠牲を払ってようやく得られるものは、多くはない。だったらわたしは正しくなくていい。間違ったやり方で、世界を正す」


「それが北川さんの――“トリカゴ”の目的?」


「そう。びっくりした? 世界を正すだなんて大きな目標でしょう?」


 笑顔を浮かべながらも、彼女の表情はどこか切なく、哀しそうだった。間違った世界を正すために、間違ったやり方で戦うというのは矛盾していると、彼女にも自覚があるのだろう。


「うん。でも、僕は北川さんを応援するよ。北川さんの力になりたいから、できることは何でもしたい。北川さんが作る新しい世界を、僕も見てみたい」


「ありがとう。……でも、正直なことを言うとね、君には、わたしのすることを見ていてほしくないなって思うんだ。悪いことをしているときの自分って、何だかとっても汚らわしいものな気がして、そんなわたしをあんまり見てほしくない。綺麗なわたしだけ、見ていてほしい。そう思うのは、愛がない……のかな?」


「何を言ってるの。どんな北川さんだって綺麗だよ。汚らわしくたって、綺麗だよ。世界が汚れた北川さんを否定して、受け入れなかったとしても、僕は北川さんを好きでいる。どんな北川さんも、愛してみせる」


 ほんの数秒、だけれど彼女にしては長い間、呆気にとられたような表情で沈黙した。まるで時間が切り取られてしまったかのように。

 しかしすぐに、口元を緩めて蕩けたような笑みを向けてくる。


「ありがとう。……そんな君を、わたしもずっと愛していたいな」


 そんな意味深な言葉を呟いて、彼女は僕の膝の上に頭を乗せて寝転がる。腕で目元を覆い隠し、目を合わせてはくれなかった。



 それからどれくらいの時間が経っただろう。彼女はそのまま動かなくなってしまった。いや、息はしている。が、何も言葉を発することなく、僕の呼びかけにも応じない。煩い扇風機の羽音に紛れて、静かな呼吸音だけが聞こえてくる。


 彼女には申し訳ないが、そろそろこの体勢もキツくなってきた。足も痺れ始めている。


「あの、北川きたがわさん……?」


 やはり、呼びかけてみても応答はない。そうっと彼女に触れて、目元を覆う腕を下ろしてみる。

 その腕に力は込められておらず、簡単に下ろすことができた。すると、安らかに瞼の下ろされた両目が見える。やはり、彼女は眠ってしまっているらしい。


 しかし、どうにも変な気分だ。あの志乃さんが、僕の前だからってこんな無防備な姿を晒すなんて。彼女だって寝ることくらいあるだろう。人間なんだから、休息だって取るはず。だけれど、彼女はいつも隙が無いというか、周りで何かがあったとしてもすぐに対応できるような、どこかそんな余裕を感じさせる。


 それが今はどうだろうか。今の彼女は、僕の膝の上で穏やかな寝息を立てて、腕を下ろされたくらいじゃ起きる気配はない。無防備にも膝を立て、スカートの裾が下がってその白く美しい素足のほとんどが露わになっている。


 今なら、僕が彼女に何をしたって気付かないのではないか。

 そう思って、それをすぐに振り払った。彼女がこんな無防備な姿を晒してくれるのは、僕への信頼の証だ。それを裏切るようなことはしたくない。


 とは言え、このままでは僕の足が限界だ。僕は手近にあったクッションを持ってきて、僕の足の代わりに志乃しのさんの頭の下に滑り込ませた。少し違和感を覚えたのか、彼女は言葉にならない声を漏らすも、姿勢を整えて再び寝息のリズムを戻す。


 どうやら起こさずに済んだらしい。


 彼女が自分で目を覚ますまでこのまま寝かせてあげたいと思った僕は、できるだけ静かに過ごそうと思い、何をしようかと考えを巡らせてみる。


 考えた結果、僕も志乃さんの暗号を解いてみようと思い立った。予告状の原本は大城おおしろくんに渡してしまったが、文章自体は実はノートに控えておいたのだ。


“天高くして馬肥ゆる朝

きよくして一つ星

白き花嫁の守りをって

四の誓約を果たさんとほっす”


 表面的に見てみても、やっぱりよくわからない。大城くんは漢詩に似てるって言ってたけど、漢詩の技法を参考にすれば何かわかったりするのだろうか。

 漢文のように書くと、こんな感じか。


 欲 以 雲 天

 果 白 浄 高

 四 花 一 馬

 誓 嫁 星 肥

 約 守 落 朝


 五言絶句だと、対句はないが、偶数句末に韻を踏むことになっている。これで言うと、“落”と“約”だろうか。たしかに音は同じ気がする。

 ……ん? 対句はないのか。パッと見た時、一行目と二行目は対句のように見えた。引用元の詩では当然対句になってるから、これもそう思ったんだ。でもよく見ると、構造的に同じ部分って、“~くして”のところまでだ。その後は、二行目は体言止めになっていない。


 そうなると、一行目と二行目は関連がありそうで実は別のことを指していたりするのだろうか。逆に、韻を踏んでいる二行目と四行目の方が関連していたり……?

 どちらも文末は述語で終わっている。何らかの動作を表している文だ。“一つ星落つ”と“果たさんと欲す”はどちらも同じようなことを指しているように思えなくもない。


 四の誓約はシロツメクサの花言葉、“復讐”だって大城くんが言っていた。でも、これを実行するのは“トリカゴ”、志乃さんだ。“復讐”はなんか違う気がする。むしろ“一つ星”のフォーマルハウトの方が関係あるのだろうか。


 さすがにフォーマルハウトのことについては詳しく知らず、ネットで検索してみる。“フォーマルハウト”……みなみのうお座の一等星で、大城くんの言う通り、秋の星座の唯一の一等星。名前の意味は、“大魚の口”。……ダメだ、ますますわからない。大魚の口が落ちるって何だ?

 イラストを見てみると、みずがめ座の壺から零れる水を飲んでいるみたいに描かれているのか。名前の通り、水を飲んでいる口の部分がフォーマルハウト。たしか、みずがめ座の壺の中は、水じゃなくて神々の酒・ネクタルが入っているんじゃなかったっけ。

 酒、か。なんか偶然じゃなさそうな気がしてきた。フォーマルハウトは標的で間違いないんだろうけれど、酒が好きなのか? それとも神々、つまりは偉い人のお零れに預かっていると解釈するのか。


 それ以上は、考えてみても広げることはできなかった。後で志乃さんが起きたら、ダメ元で聞いてみよう。答えを教えてくれはしないかもしれないけど、僕の着眼点はいい線いっていないだろうかと、ちょっとだけ自信があった。

 空は陽が落ちたのか、段々と暗くなってきた。気温も少しずつ下がってきて、扇風機も消した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る