7.日常の風景に恋人を添えて
ありとあらゆる感情が教室中に飛び交う。学校一の美少女が、こんな冴えない同級生が恋人だと暴露したのだ。皆、何かしら思うことはあるだろう。
僕の目の前にいる拓馬は、驚きのあまり言葉も出ないようで、半開きにした口をそのままに固まってしまっている。
彼には黙っていて申し訳なかったと思う。先ほどまでの話を思い返せば、彼に隠してあんなことを聞いてしまった僕を、彼はどう思っただろう。
「……北川さん、良かったの? 皆に言っちゃって」
僕は彼女に耳打ちするが、彼女は意味ありげにウインクするだけで、それ以上は言わなかった。
「これで納得してくれた?」
志乃さんが岩嵜くんに不敵に微笑むと、教室は再び静まり返る。このやり取りの結末を、皆も見守ろうというのだろう。
「ほ、本当にそいつが恋人なのか? 恋人のフリをさせてるだけじゃないのか?」
岩嵜くんとしては、素直に引く気はないらしい。だけどたしかに、相手が僕のような冴えない男だし、そう思うのもわからなくはない。
「じゃあ、どうしたら信じてくれるの? わたしとしては、周りに言うつもりはなかった彼氏のことを話したし、充分痛い目を見たけれど、これ以上わたしがどうすれば君は満足する?」
この志乃さんの文言も大衆の前だからこそより効果を発揮する。これは暗に自分はあくまで被害者だと主張しているのだ。そうすることで、ごく自然に岩嵜くんへ非難の目が向くことになる。志乃さんはそこまでわかった上で言葉を選んでいるんだろう。我が恋人ながら、恐ろしい。
岩嵜くんも、薄々嘘ではないことを感じ取っているのだろう。その表情が苦々しく歪んでいき、言葉も出せずに歯を食いしばっている。
「あーあ、せっかく二人だけの秘密だったのにねぇ……」
そんなことを言いながら、志乃さんは僕の首に抱き着くように腕を回してくる。さらに僕の肩に頭を乗せて、頭に頭を擦りつけてきた。僕の髪と、彼女の髪が擦れ合う。
なんか、すごくいい匂いがする。心臓がばくばくと逸って、身体中が熱くなっていくのを感じる。こんなに近くに志乃さんを感じられる時が来るなんて。でも、緊張してしまってとても彼女を直視できる気がしない。
「言葉でどれだけ尽くしたって、わたしが毎日どんな想いで過ごしているかなんて、君にはわからないよ。こうして触れ合っていたって、なかなか全部は伝わらないんだから」
耳元でそんな艶やかに囁かれて、話がまるで頭に入ってこない。脳が溶けるとはよく言ったものだと感心してしまう。
普段の志乃さんが絶対見せないような艶っぽい姿を見せられて、岩嵜くんは認めざるを得なかったのだろう。何も言わず、逃げるように教室を出ていってしまった。
「あははっ、楽しかったね。みんなの驚きようったら、まさかわたしが君と付き合ってるなんて、思いもよらなかったんだろうね」
昨日も待ち合わせた例の公園で、さも可笑しそうに笑う
結局あの後クラスメート達から質問攻めに遭うも、僕は志乃さんと密着している緊張感でまともに受け答えができず、対応をほとんど志乃さんに投げることになってしまったのだった。
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何でもお見通しらしい。するつもりはないけれど、彼女には隠し事一つできる気がしないな。
「僕の方こそ、一言聞けばよかったのに」
「気にしないで。ねえ、今日この後って、征都くんのお家行ってもいい?」
ダメな理由はないけれど、急な展開に少しばかりの不安がよぎる。志乃さんはどういうつもりなのだろうか。付き合っているとは言っても、少し特殊な間柄。そういったことはもう少し段階を踏んで、と思ったのに、彼女としては早く距離を近づけたいのだろうか。
思えば、時間が掛かるかと思っていた“手を繋ぐ”はすんなりクリアしている。僕の方から繋いだことはないけれど。この関係を持ちかけたのは僕なんだから、僕の方からも彼女に歩み寄っていかなければ。
「いいよ。うちはいつ帰っても誰もいないし」
言ってから、しまったと思った。決してそういうつもりじゃなかったんだ。変な意味に捉えられないといいけど。
「どうして? って思ったでしょ。顔に出やすいよ。気を付けてね。理由はいくつかあるけど、一番は遅くなっちゃうと悪いから、かな」
「うちのこと、気にしてくれてたんだ。ありがとう」
相変わらず、彼女の方から手を差し出してくれて、僕はその手を取って歩き出す。彼女の優しさに甘えてばかりいるなぁ。こうしていると、彼女が人を殺したという事実を忘れてしまいそうになる。本当に、こうしていれば普通の可愛い女の子なのに。
そんなに新しくもないアパートの一室に、彼女を案内する。父さんと二人だけで暮らしているのであまり部屋は広いとは言えないが、物は多くなく、狭さを感じづらい。と、僕は思っているのだが、志乃さんは物珍しそうに部屋の中を見回しているので、やはり普通とは違う暮らしの様相が見て取れるのだろうか。
「お父さんと二人暮らしっていうから、もっと散らかってるのかと思ってたよ。家事は征都くんがほとんどやってるんだっけ?」
二人暮らしなことも、僕がほとんどの家事をしてるってことも、彼女に話したことはなかったはずだけれど。
「まあ、うん。お茶持ってくるから適当に座っててよ」
「ありがとう」
麦茶をコップに注いで居間に戻ってくると、ふわっと彼女の香りが鼻いっぱいに広がる。扇風機の風に当たっていたらしく、その風に乗って彼女の香りも部屋中に行き渡ったのだろう。
「ねえ、征都くん。今日のお昼、どうだった? その……さ、ぎゅってしたでしょ? 嫌、じゃなかった?」
「い、嫌じゃないよ! むしろ……すごく、ドキドキした」
彼女の香り、温もり、感触。今でも消えずに残っている。彼女に囁かれた耳がまだこそばゆく感じるほどだ。
「そっか、よかった。わたしも、実は結構ドキドキしてたんだよ?」
「え、そうだったの?
「ふふっ、言ったでしょ? わたしは顔に出ないように気を付けてるから」
気を付けてるとそんなに顔に出ないものなのだろうか。あまり何とも思っていないのかと思っていた。でも、志乃さんもそう思ってくれていたのなら嬉しいな。
「もし、できたらなんだけど……二人でいるときは、顔に出してくれると嬉しい、かな」
「うん、二人の時は、ね。なんか、それって恋人っぽいよね」
彼女のその可愛らしい笑顔を見ていると、心が穏やかになって落ち着くような、それでいてどこかくすぐったいような、そんな気持ちになる。これが幸せというものなんだろうか。
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