4.初デート
下校時刻になって、僕はいつも通り一人で昇降口へ向かう。
しかし今日は、帰りに少し寄り道していく所があった。学校のすぐ近くの団地内にある、寂れた小さな公園。一応やや錆びた遊具があるが、ここで子供が遊ぶとはとても思えない、存在意義が疑わしい場所だ。今日はここで待ち合わせがある。
僕が到着してすぐに、彼女はやってきた。昨日見せた不敵な笑みを湛えて。
「お疲れ。ちゃんと渡してくれた?」
「うん、言われた通りにしたよ。それに、北川さんの予想通り、すぐに暗号を解いてたよ」
「一段階目の“翻訳”は、でしょ? 翻訳した後の文は、いくら彼でも少し手こずるんじゃないかな。頑張って考えたんだもん。そう簡単に解かれちゃ敵わないよ」
昨日、北川さんの正体を知った僕は、彼女の協力者となることを選んだ。
そして彼女との取引で、僕は彼女の秘密を守る上で一つの条件を出した。対して北川さんも、秘密を知った僕を殺さないための条件を一つ提示した。お互いにそれを呑むと約束して、秘密を共有し、共犯関係になったのだ。
その北川さんが出した条件が、大城くんへのスパイとなること。彼の動向、掴んでいる情報、推理の経過を彼女に報告することが、僕に与えられた使命。今回の一件は、僕が大城くんに信頼されるための足掛かりに過ぎないのだそうだ。
「……ねえ、本当に殺しちゃうの?」
「まだ誰も殺すとは言ってないじゃない。それは、暗号を解いてからのお楽しみだよ。……やっぱり怖気づいちゃった?」
僕が大城くんに信頼されるためには確かに必要なのかもしれない。だけれど、人を殺す必要はあるのだろうか。いや、彼女の言う通り、まだ人を殺すと決まったわけじゃない。それに、僕は彼女が何者でも受け入れるって決めたじゃないか。
「……ちゃんと、意味はあるんだよね?」
「ええ。少なくとも、わたしにとっては」
「なら、大丈夫」
彼女のその答えに自分を落ち着かせて、笑顔を見せる。すると、彼女も愛らしく微笑んで、僕の手を取った。
「じゃあ、この後ちょっと付き合ってくれる?」
彼女の用事は僕が与えられた任務をこなせたか確認するだけだと思っていただけに、まだ何かあるのだろうかと一瞬構えてしまう。
「せっかく待ち合わせしたのに、このまま帰ろうと思ったの? まあ、それでいいならいいんだけど」
どうやら北川さんの方も、僕が提示した条件をきちんと守ってくれるつもりらしい。
「どこ行くの?」
「駅前。の、ちょっと入ったところ。美味しい生クリームのお店があるの」
そう言って連れてこられたのは、確かに駅前のちょっと入ったところ。あまり目立つような通りではないが、小さな喫茶店や雑貨屋が並ぶ商店街のような場所。その一角のハイカラなお店は、生クリーム専門店と銘打っており、そこが今回の目的地だった。
僕はシンプルにパンケーキに生クリームとチョコレートソースがかかったものを注文し、北川さんはワッフルに生クリームとバニラアイス、その上からベリーソースがかけられたものを注文した。
「どう? 美味しい?」
僕が一口食べるのを見て、彼女は目を輝かせて感想を所望する。確かにこれは、市販の生クリームとは格が違う。口当たりがしつこくなく、それでいて濃厚。一体どれだけのカロリーがあるんだと思いたくなってしまうほどの美味しさだ。
「うん、すごい美味しい。こんな生クリーム初めて食べたよ」
「だよね! わたしも初めて食べたとき、同じこと思った。こっちも食べてみる?」
「あ、美味しい……」
「わたしにも、そっち一口ちょうだいよ」
甘えたような声でねだる彼女へ、僕も自分の皿のパンケーキの一片を、フォークで刺して彼女の口へ運ぶ。
「ん~、やっぱシンプルなのもいいねぇ~」
幸せそうに甘味を頬張るその姿は、疑いようもなく年相応の女の子で、僕がずっと恋焦がれてきた北川
「……人殺しは美味しいもの食べちゃいけない?」
僕があまりにもじろじろと見ているもんだから、不審に思われてしまったらしい。でも彼女を眺めていた僕が思っていたのは、そんなことじゃない。
「いや、そうじゃなくて、その……可愛いなぁ、と、思って」
「あはは、ありがと。君も大概、変わり者だね」
照れ臭いことを精一杯に言ったつもりが、なぜか呆れたように微笑み返されてしまった。
「わざわざ自分から鳥籠の中へ入ってくるなんて。そこにどんな鳥がいるとも知らずに、とんだ命知らずだよ」
僕と視線も合わさずそう呟いた彼女の声は、どこか弱々しく、微かな悲哀を感じさせた。
「お願いしておいてこんなこと言うのも悪いと思うけど……無理、してる?」
「本当、お願いしておいて意地悪なこと言うね」
弱みにつけこんでこんなことをお願いするなんて、自分でも卑怯だと思う。だからこそ彼女のその献身的な振る舞いが、どこか無理しているように感じてしまったのかもしれない。彼女からすれば、精一杯の努力なのかもしれないのに。
口に出してしまってから、こんなこと、聞かなければよかったと後悔が募ってくる。
「まあ、確かに驚いたよ。恋人になってほしいなんてことを要求されるとは思わなかったし。だって普通、いくら弱みを握っていたって殺人鬼に付き合ってほしいなんて言う? まあおかげで、君がわたしのことが好きだってことは重々わかったけどね。でもわたしのことをもっともっと知っていっても、同じように思ってくれるのかなっていうのはあるし、わたしとしても君のことはまだまだわからないから、もっと知っていきたいと思ってるよ。前向きにね」
彼女は特別感情を込めずに、淡々とした様子でそう話してくれた。きっと、繕わない、ありとあらゆる“北川志乃”からの言葉なのだろう。
「正直に言えば、恋愛なんてものはわたしの計画には邪魔なだけ。だけど、わたしの秘密を知って、それを受け入れてくれる君なら、恋愛対象にしてもいいのかな、とは思うかな。だから、できればわたしは君のことが好きになりたいし、わたしは君に嫌われたくない。君も、この関係を続けたいのなら、わたしに嫌われないように、それから、わたしをずっと好きでいてね。じゃないとわたし、君を殺さなきゃいけなくなっちゃうから」
「もちろん、ずっと好きでいるよ」
考える間もなく即答していた。普段なら絶対なんてないと思うけれど、これだけは、あえて絶対だと言い切れる。僕はこれからもずっと、北川さんのことが好きだ。これからどんな酷い結末が待ち受けていようとも、僕は彼女を裏切らない。それだけは、絶対だ。
「あんまり遅くなっちゃ悪いよね。
あまりに情報量の多い一言に、僕は言葉にならない声を漏らしてしまう。
「ああ、何で知ってるかって? そりゃあ、わたしを誰だと思ってるの?」
北川さんにかかれば、僕の家族構成や家庭環境のようなプライベートな情報までも、すべて筒抜けということなのか。いや、単に僕が父子家庭だということだけ知っていて、そこから推察して……なのか? それとも……。
いやいやそれよりも、あの北川さんに、名前で呼ばれてしまった。なんとも言い表しがたい感慨が溢れてくる。僕も、名前で呼んでいいんだろうか。いいのだろう。今の僕と彼女は、恋人関係なのだから。
「し、し……っ、北川さん、は、何でもお見通しなんだね」
頑張って名前で呼んでみようと思ったけれど、結局 普段通りの呼び方に逃げてしまった。我ながら情けない。
「あらあら、わたしの名前は呼びたくない?」
「そういうわけじゃ……」
「わかってるって。呼べるようになったら、呼んでね」
僕の横を並んで歩く屈託のない笑顔に、せめて心の中では名前で呼ぼうと決めた。そうすれば、そのうち口から自然に名前を呼べるかもしれない。
「それじゃあ、また明日ね」
「うん、今日はありがとう」
こうして、僕の愛らしい恋人との初デートは幕を閉じ、僕は夕食の買い出しにスーパーへ寄って帰るのだった。
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