12.禊の火よ、焼き祓い給え

「さて、依頼のマンションは村小女むらさめの方だから、“境界はざま”を通っていく」


 “境界”は文字通り、この世とあの世の境。あらゆるものの中間に位置し、あらゆる存在、概念が曖昧化する。この世からもあの世からも、この世へもあの世へも干渉できる場所とされ、かくりがこの世へ干渉してくる場合、大抵は境界に潜んでいる場合が多い。


「え、境界に入るの?」


「普通に行ったんじゃ間に合わないからな」


 境界ではあらゆる概念が曖昧化される。つまりは距離も時間も曖昧になる。通常の物理法則は通用せず、特殊な通り方をすることでショートカットが可能ではある。ただ、境界で迷ってしまったが最後、二度と出ることは叶わなくなる。そうした危険も孕んだ場所だった。だから父様からは、そう気軽に入っていい場所ではないと教えられていた。

 しかし、今となって考えれば、父様から教わったこと、志岐家で教わったことは、一度頭の隅にけて、異なる考え方も取り入れていくべきだ。あの家で教わったことは、全部が全部ではないにしても、偏った考え方だったという認識を持つべきなのだ。あの家で起きたことを思うと、今のわたしはそう考えていた。


「まさか、境界に入るのが初めてなんて言わないよな?」


「そんなわけないでしょ。ほら、行くんでしょ?」


 わたしが手を差し出すと、彼は少し怪訝そうにしながらもその手を取ってくれた。もしかして、これも一般的ではないのだろうか。境界でははぐれたが最後、二度と会えなくなるかもしれない。だから、先導する者が手を取って、離れないようにするのだと教わった。これは理にかなっていると思ったのだが、彼の反応を見るに、どうもそういうわけではないらしい。

 とは言え、一度繋いでしまった手をこちらから放すというのはあまりにも態度が悪い。彼も手を取ってくれたということは、嫌ではないのだろうし、わざわざ放す必要もないかと納得させた。


 天宮あまみやがぼそぼそと何か呟くと、彼の足元から同心円状に波紋が広がり、辺りはあっという間に境界の中へと移り変わる。見た目の上ではさして変わらない。けれどもどこか色褪せたような、モノクロの世界。数えるほどしか来たことはないが、これが境界の特徴だということは、わたしにもわかっていた。

 そのまま彼が先を歩くので、遅れないように、手を引かれるままについていく。


「歩きながら聞け。今日の祓いの依頼は三件。どれも同じ、“スカイウェールズよもぎ”というマンションの各部屋だ。事前にざっくり話を聞いた感じだと、恐らくは“ヒトガタ”、それも“生前種”だと思われる」


 同じマンションで祓いの依頼が三件。それだけ聞いても、何か異常な事態が起こっていそうなことが容易にわかる。人の形をした幽――“ヒトガタ”で、死亡当時ではなく生きていた頃の姿をしているもの――“生前種”ともなれば、比較的穏やかな幽と相場は決まっているのだが、そう楽にいく仕事でもないのだろう。


「お前は……昔のことは思い出せないんだったか。今でも、何も思い出せないか? 祓ったことがある幽のこととか」


 言われて思い返してみるが、特別何も思い出せない。昔のことが完全に思い出せないわけではない。家族での思い出とか、学校のこととかは思い出せる。だけど、祓霊に関することはほとんど思い出せない。何か過去に、幽に関連してトラウマになるようなことでもあったのだろうか。だとすれば、変に思い出さない方が良いのではないだろうか。


 わたしが力なく首を振ると、天宮は、そうか、とどこか寂しそうに呟くだけだった。



 やがてしばらく歩いた先で天宮が立ち止まり、再び何かを呟くと、辺りの景色が途端に色付いて見える。どうやら境界を抜けたらしい。ということは、ここが目的地なのだろう。


 八階建てくらいの大きなマンション。横にも広く、部屋数も多そうだ。親子世帯を想定しているのか、敷地内には小さな公園があり、立体駐車場や駐輪場、ゴミステーションも完備されている。なかなか設備が整ったところだ。

 こんなところに三件も事故物件があるというのだから、少し驚いてしまう。


 正面入り口に行くと、オートロックのガラス扉が閉まっており、中には入れない。天宮が扉脇の小窓を覗き込み、声を掛ける。


高見たかみさん、いる?」


 するとすぐに、背の低い小太りの中年男性がオートロックの向こう側から扉を開けて出てきた。天宮に親し気な態度を取っている彼が、今回の依頼人のタカミ不動産の人なのだろう。


「悪いねー、わざわざ来てもらっちゃって。迎えに行ければ良かったんだけど」


「いや、いいって。高見さんも忙しいでしょ」


 ふと、高見さんがこちらを覗き込む。天宮の背に隠れるような形になっていたわたしに、ようやく気付いてもらえたのだ。天宮はわたしに比べて随分と背が高く、わたしがヒールでも履かなければ、並ぶとわたしの姿を隠してしまう。


「そこの子は? 知り合いかい?」


「あー……えっと、まあ、新人を雇ったんで。今日はその研修も兼ねて」


「何だい、カノジョなのかと思ったのに。ま、お前さんが仕事にカノジョなんか連れてくるわけはないわな」


 なんて声を上げて笑っているが、このおじさん……なかなかに鋭い。気を抜いたらわたしたちの関係なんて、あっという間にバレてしまいそうだ。

 いや、隠す必要もないのだろうか。彼はどうしたいのだろう。少なくとも今は隠した。新人というのも間違ってはいないが、親しい人にならおめでたい話はしてもいいはずなのに。


「これ、お願いする部屋の鍵な。終わったら声掛けてくれ。管理人室にいるから」


「はいよ、どうも。行くぞ」


 高見さんから三部屋分の鍵を受け取って、天宮は先を歩くので、わたしも慌てて追いかける。さっきまで手を繋いでくれていたのに、今は少し早足になって、わたしと歩調を合わせてくれない。どうして急に、こんな無愛想になってしまったんだろう。まさか、高見さんの前だからって照れ隠しのつもりだろうか。


 すると、天宮がある部屋の前で急に立ち止まり、早足になっていたわたしは止まれなくて、彼の背にぶつかってしまう。


「痛っ、急に止まらないでよ」


「ああ、悪かった。大丈夫か?」


 彼は振り返って、わたしの顔をまじまじと覗き込んでくる。他意はないはずだ。怪我でもしていないか確認しているだけだ。なのにどうして、そんな熱っぽい視線を向けてくるのだろう。


「あ、の……天宮?」


「大丈夫そうだな」


 わたしが声を掛けると、はっとしたように視線を逸らして、部屋のドアにカギを差し込み、開錠した。


 当然ながらこの部屋は空き部屋になっており、電気も止まっている。室内の焼けを防止するために、窓には仮の日除けがかかっていた。だからか、まだ昼過ぎだというのに室内はそこそこ暗い。そこで天宮が、持ってきていた懐中電灯の一つをわたしにくれる。使わないかもしれないが、一応渡しておいてくれるらしい。


 気配としては確かにここに幽が潜んでいることはわかるのだが、その姿を一向に現そうとはしない。“生前種”という天宮の想定通り、臆病な幽なのかもしれない。


「“此方こなたに巣食う彼岸ひがんのものよ、闇より出でて我が前に現せ”」


 天宮が呟くと同時に、またしてもモノクロの世界の中へ入り込む。そして悲鳴にも似た甲高い音が部屋中に響き、徐々に幽の気配が濃くなっていく。天宮が使ったのは御霊法みたまのわざの一つ、“明前みょうぜん”。気配を隠している幽を強制的に境界はざまに引き込むものだ。特に弱い幽にはよく効き、強制力が強い。


 その術によって姿を現したのは、大人の男女と幼い男の子の三人。どれも苦しそうに泣いていて、しかしながらこちらを拒絶するような強い感情が伝わってくる。


「この部屋で心中したらしい。何が心中のきっかけになったのかはわからないがな。感傷に浸っている暇はない。さっさと祓って次に行くぞ」


 そう冷たく言い放つ彼が薄情だとは思わない。幽と対峙する時は、情を持って接してはいけないのは基本中の基本だからだ。肉体を失ってもなお留まってしまった魂たちは、多くの場合、身体を求めている。もしくは魂として生きながらえるため、より多くの魂を吸収しようと考えている場合が多い。

 隙を見せたら、喰われるのはわたしたちの方なのだ。一方的に祓うだけが祓霊ふつれいではない。祓うこちらも死と隣り合わせだということは、片時も忘れてはならないと教わった。


「わかってる。気を抜いたりなんかしてないよ」


 少しずつ、いろんなことを思い出してきた。祓う時は、冷静に、冷徹に。ただ祓うことだけに集中する。


「“みそぎの火よ、焼き祓いたまえ”」


 そんな祝詞のりとが、自然と口をついて出た。まるで、今まで何度もこうしていたような感覚。何だろう、この懐かしさは。わたしはやっぱり、昔にもこうして幽を祓ったことがあるのだろう。


 祝詞を唱えると同時に、わたしの両の指先から手首にかけて、灰色の炎が灯る。それは静かにふつふつと燃えて、何の熱も感じない冷酷な炎だった。


「お前、それ……。思い出したのか?」


 思い出した――そう評すということは、やはりわたしは過去にもこれができたのだろう。そして彼は、そんなわたしを知っている。まあ志岐家の人間というだけで、何かと有名になりやすいから、それで知っていたのかもしれない。信元しんげん様もいたわけだし、信元様に聞いたのかもしれない。

 ただ一つ確かなことは、わたしは、この力をもって幽を祓ったことがあるということだ。

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