10.新しい仕事

 ◆◇



 翌朝目が覚めれば、既に隣の布団は畳まれていた。そんなに遅くまで寝ていたかと思ったが、時計を見ればまだ七時過ぎ。天宮あまみやは一体何時に起きたのだろう。


 わたしも布団を畳んで洗面所で顔を洗い、昨日の道筋を思い出しながら居間へ向かった。居間ではちょうど天宮と信元しんげん様が朝食を摂っているところで、わたしも一緒に食べることになった。


「おはよう、郁夜かぐやちゃん。昨日はよく眠れた?」


「ええ、まあ」


 寝室を天宮と同じにされたのを受け入れるわけではないが、よく寝れたのは事実だった。そんなに遅くまで寝ていたわけではないのに、寝起きはすっきりしていた。

 本当に、昨晩で“志岐しき郁夜”は死んだのだなと、なんとなく感じた。すっきりした目覚めを迎えて、今日から新しいわたしとして生きていくのだ。


「ほらよ。好きなのかけて食べな」


 そう言って、天宮は焼きあがったトーストをわたしの皿に乗っける。皿にはレタスやトマトから成る簡単なサラダと、ベーコンとスクランブルエッグが既に乗っており、わたしは先にそれを食べていた。

 トーストを乗っけた後で、何種類かあるジャムとバターをこちらに差し出すので、わたしはブルーベリージャムを手に取った。


「ありがとう」


 ジャムをトーストに塗って頬張ると、何だか視線を感じて正面に目線を向けると、その先に座る天宮と交わった。


「……何? 何かついてる?」


 あまりにまじまじと見つめてくるもんだから心配になって聞いてみたが、彼はふいと視線を逸らしてしまった。


「別に、何も」


 何だったのだろう。しかしそれを見ていた信元様が、こらえられないように口元に笑みを浮かべながら、天宮の肩を叩く。


郁夜かぐやちゃんがあまりに可愛くて見惚れてたって、はっきり言えばいいのに~」


「そういうんじゃねぇし」


 信元様も何を言うのかと思えば、場を和ませようとわざと茶化したのだろうか。しかし、それに対する天宮の反応がまさに反抗期の息子のそれだ。それってつまり、本当はそうだけど反論しちゃったってこと?

 いや、さすがにそれはわたしが都合よく考え過ぎか。信元様も天宮をからかってみただけだろうし。


「じゃあ何、郁夜ちゃん、可愛くないの?」


 その信元様の問いの答えは、わたしも少し興味があって、何も言わずに天宮の答えを待つ。何と答えるだろう。誤魔化すにしてもどう誤魔化すのか。

 なかなか答えないので彼の方へじっと視線を向けると、一瞬目があったが、すぐに逸らされる。これはどういう反応なのだろう。さっきも同じようなことをされた気がするけれど。


「……可愛くない女を嫁にしようとなんか思わねぇっつーの」


「何で素直に可愛いって言えないかねぇ、この子は」


 信元様がそう言わなくても、それってつまり、わたしを可愛いと思ってるって認めたも同然だ。つまり天宮のこの態度は、全部照れ隠しってことなのだろうか。

 少なくとも天宮の方は、ちゃんとわたしに多少なりとも好意を持ってくれているようで安心した。これでお互いに愛のない状態だったら、恋や愛になんて発展するわけもない。



 朝食を食べ終えたところで、天宮が今日の予定について切り出した。昨日彼が言っていた仕事というのも気になっていたので、わたしはそのまま席に着いて、彼の話を聞く。


「今日はタカミ不動産から事故物件の祓いの依頼が入っている。それに、お前も同行してもらう。今後はお前もうちの一員として仕事を請け負ってもらうから、しばらくはこうして俺か信元様に付いて依頼をこなしてもらうから、そのつもりでいろ」


「はーい。こういう依頼って、結構来るの?」


 わたしの素朴な疑問には、隣で聞いていた信元様が答えてくれた。


「そりゃあそうよ。なんたってここは、真庭まにわ祓霊ふつれい事務所よ? まあ、家自体がおっきな祓霊機関になってた郁夜ちゃんに比べれば、それほど規模の大きいものじゃないんだけどね」


 そうか。やっぱり志岐家は特殊なんだ。確かに他の祓霊師はどうやって仕事を取ってくるんだろうって不思議だったけれど、事務所を開いていたのね。


「うちは個人から企業、役所まで、多くの依頼を受ける事務所だ。正直人手は多いに越したことはないが、使えない奴を雇って質を落としたくはない。その点で言えば、お前なら何の問題もないだろう」


 相変わらず買い被られている。昨日はたまたま上手くいったけれど、今後も毎回同じように祓えるとは限らない。どうして彼はそんなにわたしの腕を信用してくれているのだろう。わたしが祓うところだって、昨日初めて見たくせに。


「それで、ここからが肝心の話だ」


 天宮が改まって言うと、食器を片付け終わった信元様も、神妙な面持ちで席に着き直した。大事な話なのだろうと思って、わたしも姿勢を正して彼の話を待った。


「お前、家事は何ができる?」


 そんな深刻そうな顔で何を言われるのかと思ったら、そんなことか。拍子抜けもいいところだ。


「家事なんて、やったことないからわからないわ」


「だろうな。そんな気はしていたが」


「じゃあ分担は今まで通り、アタシとけいちゃんでやるしかないわね」


 そうか、そういうことか。当然のように答えてしまったが、二人の冷めたような反応で察してしまった。わたしがすべき回答は、これじゃない。


 わたしだけ何も家事をしないというのは、住まわせてもらっている身で心苦しい。とは言え、元々わたしは婿をもらう予定の身で、当主として家の長になるはずだった。家事はお手伝いさんがやってくれるので、自分自身ではまるでやったことなどない。それが当然にまかり通る予定だったのだ。


 嫁になる身として、何も家事ができないというのも情けない。しかしその分わたしが稼ぐ、というわけにもいかない。なんせ同居人は、かの高名な真庭信元と、うちに封印されていたあの幽を一瞬で祓ってみせたほどの実力者。

 下手をすれば、仕事の面でもわたしの方が足手纏いかもしれないのだ。せめて何かしら家事ができるようにならないと、本当にただの穀潰しになってしまう。


 せっかく新しい生活が始まって、わたしも覚悟を決めて臨んだというのに。何も役に立たず、ただただ金のかかるだけの女ならいらないと、早々に捨てられてしまうんじゃないか。そんな不安が頭を過る。


 既にわたしを蚊帳の外にして、二人で家事について話し込んでいる様子が、余計にわたしの心を抉る。今まではあまりにも環境に甘え過ぎていた。思い返してみれば、わたしは誰かの助けなしで生きていけるのだろうか。家の庇護なしで、社会でやっていけるのだろうか。それにいいえと答えるのは、あまりにも恥ずかしすぎる。


「あの……わたしも頑張って何かできるようするから、見捨てないで。すぐにはできないかもしれないけど、必ずできるようにするから……!」


 そんな懇願するように言うわたしを、二人は振り返って怪訝そうな目で見つめてくる。みっともなさ過ぎただろうか。そんなことを言ってももう遅いだろうか。何か言ってくれるまでのこの間が、息が詰まるほどに苦しかった。


「別に家事ができないくらいで見捨てねぇよ。さっきも言ったけど、それくらい想定通りだし」


「でも、わたし何も役に立たないのにこの家にいていいのかな。みんな仕事を分担してるのに、わたしだけ何もしないなんて……」


「お前には事務所の仕事を手伝ってもらうと言っただろう。他に仕事がしたくて仕方ないなら勝手にしろ」


 最初こそ優しく言ってくれていたが、わたしがしつこく食い下がるから、彼も少し苛立ったように口調が強くなる。

 彼がいいと言うのだから、それを甘んじて受け入れれば良いのだろうか。それはそれで、肩身の狭い思いをしながら毎日を過ごすことになりそうで、息苦しい生活になる気がする。


けいちゃん、そんな言い方はないでしょう? あなたの嫁が不安がっているのよ? 男なら、ちゃんと正直に話しなさいよ」


 どことなく互いに消化不良のような重い雰囲気になったところで、信元しんげん様が天宮を叱りつけた。何だかお母さんみたいだ。それを受けて、天宮は渋々といった様子で口を開く。


「お前に家事をさせたくて嫁にしたわけじゃない。家事は俺ができるから、別にできないなら無理にしなくていい。嫁としてこうあるべき、みたいな考えがあるなら、それは捨てろ。そんなんじゃ、当主だとか家だとか、そうした型に囚われたままのお前から何も変わらない。俺はもっと、こう……何て言うかな……」


 天宮は肝心のところを濁した。いや、意図的ではなくて、本当に言葉が出てこなかったのだろう。それでも気を遣って話してもらえていたのはわかったし、言いたいことは何となくわかった。


 確かにわたしは、嫁として、嫁らしくあらねば、と気負い過ぎていたかもしれない。まだ初日だというのに。張り切り過ぎて空回りしていたみたいだ。

 無理やりにでもそうして頭を納得させなければ、切り替えられなかったのかもしれない。無理はしていないなんて昨日は言っておきながら、無意識では無理をしていたのだろう。


「お前には、自由に生きてほしい」


 そう言う天宮の言葉で、わたしは改めて気付かされる。わたしは、不自由だったのだと。

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