7.天宮景の弱み

 家へ別れを済ませて、正門を出る。これで本当に、もう二度とこの門をくぐることはないのだろう。そう考えたらまた悲しくなってきてしまう。だから、もう家のことは考えない。これからは新しい自分の生活のことだけ考えなければ。もう後ろは振り返らないって決めたんだ。


「もっとグズるかと思ったが、やけに素直に去るんだな」


「バカにしないでよ。もう覚悟はできてるって言ったでしょ」


「そうかい、それは嬉しいな。嫁入りを受け入れてくれたようで何よりだ」


 そんなことを言いながら、彼はトラックの助手席から降りて、車の後ろの方へ歩いていく。このまま彼が住んでいるという信元しんげん様の家に向かうのだと勝手に思っていたが、そうではないのだろうか。


「ちょっと、どこ行くの?」


 声を掛けて呼び止めても、彼は立ち止まらずに荷台の扉に手を掛けた。


「お前が助手席に座れ。そうすると乗るところがないからな。俺は荷台にでもいるさ」


「……何それ。じゃあわたしも荷台に乗る」


「何でだよ」


 咄嗟に軽快なツッコミを入れた彼は、小さく咳払いして言い直す。

 こうして聞くと、これまでの彼の口調は少し意識して作っているものなのだと感じた。弱みになると思って素を出さないようにしていたのだろうか。父様の前ならまだしも、彼の嫁になるこのわたしに対してもそれを続けるつもりなのだろうか。

 わたしを嫁にすると言って家の秘密を暴いておきながら、自分の本性は見せずに隠すのは、軽く見られたようでいい気持ちはしなかった。


「お前、いきなり随分と積極的じゃないか。暗闇の密室で俺と二人きりになりたいだなんて」


 そうやって茶化すのは、都合が悪いことを誤魔化しているのだろうか。そう言えば、わたしが退くとでも思っているのだろうか。


「変な勘違いしないでよ。わたしの荷物に変なことされたら嫌なだけ」


 本当は荷台に人乗せちゃいけないんだけどね、という信元様にはちゃんと謝罪して、わたしは天宮と一緒にトラックの荷台に乗り込んだ。

 扉を閉めれば微かな隙間から光が入ってはくるが、そもそも外も暗い上に、この程度では視界を確保するには至らない。ただ気配だけで、隣に天宮が腰を下ろしたのがわかった。


 やがてトラックが動き出し、暗闇の中で揺られながら、わたしたちの間にはただ沈黙が広がっていた。それが居心地悪く感じたのか、彼の方からそれを破る。


「……お前、こういうところ、苦手じゃないのか?」


 まだ走り出して少しもしないうちに、既に随分と弱り切ったような声が投げかけられる。心なしか呼吸も少し早い。息苦しいのだろうか。


「わたしは別に平気だけど……大丈夫? あんたは苦手なの?」


「いや、まあ……暗所とか閉所とか狭所とかは、平気なんだが……乗り物酔いが酷くてな」


「えっ、ちょ、こんなところで吐かないでよ?!」


 しかし乗り物酔いが酷い人にそんなことを言っても酷なだけだ。ただでさえちゃんと座れているわけではない貨物の中。揺れも酷い。外が見えないから、次に来る揺れを想定することもままならず、余計に気持ち悪いのかもしれない。どうしたらいいだろう。わたしに何ができるだろう。


「姿勢 楽にするとか、話してたら気が紛れるとか、あと何だろ……そういうのない? 何かわたしにできることある?」


「……姿勢としては、横になってる方がマシ、かも」


「わかった。ほら、おいで」


 暗闇の中、手探りで彼の身体を抱き寄せて、自分の膝の上に寝かせる。この荷台の中はどれくらい汚れているかはわからないけれど、今はそうも言っていられない。

 わたしの膝の上に頭を乗せて仰向けに寝転んだ彼は、少し楽になったのか、呼吸が穏やかになっていた。


「……お前、無理、してないか? お前にはまだ、俺に優しくする義理なんてないだろ」


 わたしが彼の嫁になったから、無理して甲斐甲斐しく世話を焼いていると思っているらしい。そんなことをしてわたしに何の得があるのか。

 いやきっと、これはわたしに対して言っているのではない。わたしに優しくされた彼が、自分自身を卑下しているのだ。自分はまだ、わたしに優しくされる資格なんてない、と。何故だかわからないけれど、わたしにはそう聞こえてならないのだった。


「ふふん、考えが浅いわね。わたしは誰にでも優しいのよ」


「そうか……それは恐れ入った」


「それでもまさか早々に、あんたのこんな弱ったところを見るとは思わなかったけどね」


 彼はこの先しばらく、わたしに弱みなんて見せてくれないんだろうと思っていた。きっと何かあっても、この人はわたしに隠すんだろうと思っていた。だからこの際はっきりと、わたしの前で弱みを隠すのはやめなさいって、言わないと。

 もし仮に、この先彼との関係が良好なものになった時に、そうでなくては困るから。


「……俺だって、見せるつもりはなかったさ。お前がこっちに乗るって言うもんだから」


「なら、あんたが助手席に行けば良かったじゃん」


「……嫁を荷台に乗せて、自分はシートに座るとか、嫌に決まってるだろ」


「変なところこだわるのね。別にいいのに」


 そういえば、彼の真意も未だにはっきりしない。彼は対価にわたしを要求し、まんまと手に入れた。恐らくこれはその場の思い付きではなくて、入念に練られてきた計画だと思う。ということは、前々からわたしを手に入れることを計画してきたということだ。

 わたしは彼と面識はない……と思う。一方的に知られていたならともかく。


 頭をお花畑にして考えれば、彼は一目惚れしたか何かで前々からわたしのことが好きで、わたしと結婚できるよう計画を立てて、見事に成功させた。だからきっと、彼はわたしのことが大好きなのだ、ということか。そんなに愛されているなら、それはそれで嬉しくはあるけれど。


 でもそんな単純な話なわけがない。これによって得する人間は誰だろう。志岐家に敵対していた者か? 志岐家を弱体化させることに何らかの意味があって、志岐家からわたしを切り離す目的もあって、だとしたら彼は、そこまでして何を成し遂げようというのだろう。


「……お前、今 何考えてる?」


 言われて、思わず心臓が跳ねる。まさか心の中を見透かすことはできないはず。この暗闇では表情だって見えない。変な間を作ってしまったから、勘繰られてしまったのだろうか。


「別に。わたしと結婚するつもりがあるんだったら、金輪際こんりんざいわたしに隠し事するのはなしにして。弱みくらい、見せたっていいじゃん。カッコつけたいのか知らないけど、別に弱みを見せたってカッコ悪くなんかないよ」


「……悪かった。ごめん。でももう少しだけ、隠し事させてくれ。すぐには全部話せない。でも必ず、ちゃんと全部話すよ。俺のことも、お前のことも」


 わたしのことで何か隠していることもあるんだ。すごい気になるけど、必ず全部話してくれると言ってくれているのだから、焦らずに待つことにしよう。せっかちになって、せっかく話してくれようとしていたことを聞けなくなってしまうよりかはずっといい。


「そういうあんたは、何考えてたの?」


「別に、何だっていいだろ」


「ほら、隠さない隠さない」


 言ったそばから隠し事しようとするんだから。

 そうは言ってみても、彼は答えてくれるわけではなく、言い辛そうにぼそっと返した。


「……言ったら、気持ち悪いって思うだろ。俺とお前は形式上、契約上は婚約関係にあるが、はっきり言ってまだ全くの他人も同然だ。こうして膝に乗せてもらえているだけでも、充分譲歩してもらえていると思ってる。お前だって、まだ俺に気を許したわけじゃないだろ?」


 やけに真面目な答えが返ってきて、少し意外だった。わたしを無理やりに嫁がせた男が、まさかこんなにわたしを気遣うような言葉を吐くだなんて、思いもよらなかった。

 というか、そんなに言い辛いことを考えていたのだろうか、彼は。


「まあ、確かにわたしも、まだ気を許したわけじゃない。でも何て言うかな。両親の再婚で突然兄弟ができた、みたいな感じ? 信元しんげん様ともそうだし、兄弟とは違うけど、これから一緒に暮らす家族になるわけでしょ? それだって、まだ受け入れ切れたわけじゃないよ」


 わたしだって、好きでもない男と結婚なんて嫌だ、ましてや付き合う前から同棲なんてあり得ない、そう感情のままに喚き散らせたらどんなにいいか。でもそうもいかない。わたしもいい加減、年齢的にも大人になったわけだし、次期当主という立場だってある。


「でも、あなたが契約を持ちかけてからの一週間、わたしの中でたくさん考えて、葛藤して、それでも自分の中で一応の答えを出した。その覚悟は、決して安いものじゃない。だから、わたしの中ではもう、あなたと家族になることを前向きに受け止めてる。まだ愛だとか恋だとかって気持ちは持てていないけど、いずれはそういう気持ちも持てたらいいなとは思ってる。あなたは思っていたより、悪い人じゃなさそうだしね」


「そうか、それは……ありがとう、と言えばいいのか。俺も強引なやり方をした自覚はあるんだ。俺の嫁になるよう契約を交わしたが、俺を愛することは条件に含まれていない。契約上、お前が俺との結婚を受け入れたとしても、愛のない関係になるということも、覚悟はしていた。だからお前が愛することを前向きに考えてくれているのは、素直に嬉しいよ」


 わたしもそれは考えた。彼の契約の盲点だと思ったし、むしろ彼がわたしの逃げ道として残しておいてくれた抜け穴なのかもしれないとも思った。


 形式上、彼と結婚してさえいれば、それ以上は契約では求められていない。それ以上のことをするかどうかは、わたし個人の裁量にかかっているのだ。形だけの結婚をして、愛のない関係を築いたってわたしの人生は潤わない。どうせなら、わたしだって幸せになりたい。

 最初は好きでも何でもなくても、いずれはちゃんと愛のある結婚になったらそれが一番だと思う。無理するつもりはないけれど、わたしからも歩み寄って、天宮けいという人間を知っていきたい。だから今は、どんなことでも彼のことを知りたい。そう思っていた。

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