6.おくり灯
わたしの荷物をすべてトラックに運び終わっても、父様は群棲霊を祓うには至らない。むしろこのままでは、父様の方がやられてしまうのではないだろうか。
父様のことが心配だ。だけれどどうしてだろう、心のどこかで引っ掛かりを覚えた。まるで小さな穴の開いた障子から風が入り込むように、わたしの心をすっと冷ましていく。父様への気持ちが込み上がってこない。どうしてしまったのだろう。
「気になるのか?」
「まあ、うん……」
返事だって、無意識に曖昧になっている。自分でも自分の気持ちがわからない。頭で思っていることと、心が感じていることは違うように感じてしまう。
そんな混沌としたわたしの胸中をまっさらに一掃するかのように、
「なら、お前があれを祓ってみせろ」
一瞬、言っている意味がわからなかった。いや、意味はわかる。言葉の意味は。ただそれを、うまく飲み込めなかった。
だってあれは、
「……そんなことできないか?」
思わず息を呑んだ。わたしの考えていることなんて、簡単に見透かされているのだろう。もしかして顔に出やすかったりするのだろうか。
彼のその言葉は言外に――そんなこともできないのか、
だけれどわたしは、あれだけの
ずっと気付かなかった。志岐家が隠していたあの幽のおかげで、本当に強力な幽は寄ってきていなかったんだ。だからずっと弱い幽だけを狩り続けていられた。その結果、家の祓霊能力は衰え、名門とは名ばかりになってしまっていたんだ。
今のわたしには、今の志岐家には――あの幽を祓うだけの力はない。
「祓霊師として生きていく以上、知人の幽を祓う可能性は避けて通れない。大切な人をこの手で祓うなんてことも、この界隈じゃ珍しくないことだ。今は呪いたい相手に殺意を向けているからまだいいが、年月が経てば自我が薄れて何を呪いたいのかわからないまま呪い続ける怨霊になる。お前はそれでいいのか?」
怒っているわけでも、呆れているわけでもない。子どもを
「わたしだって祓ってあげたいよ。けど、父様でも祓えない幽……わたしじゃとても無理だよ。今までにあんな強力な幽、祓ったこともないし……」
「大丈夫、お前なら祓えるさ。自分が父親より優れていることを自覚していないだけだ。お前は志岐家の歴代で、最も優れた祓霊師になるはずだったんだからな」
わたしを励ましてくれているようなのに、その彼自身はどこか寂しそうに目を細めていた。
どうして――そう問い返す間もなく、彼はわたしを幽の前に追い立てた。
「さあ行ってこい、志岐
そう背中を押されては、幽と対峙する他なかった。それにこれは、できることなら他には譲りたくない役目だ。星菜さんたちを楽にしてやるのは、わたしの役目だ。そうでありたいと思った。できるできないの話じゃない。やらなければいけないことなんだ。
彼は、これまでに言われたことは、誰の言葉も信じなくていいと言った。そして、自分だけを信じろ、と。
初心にかえってやってみよう。幽の祓い方はどんなだった? 初めて幽を祓った時の感覚は?
…………あれ、初めて祓った時って、いつだろう。どんな幽を祓った時だったっけ……。思い返そうとしても、何も浮かんでこない。思い出せないほど前の話だっただろうか。いや、思い返せるのは最近のこと、ここ数年のことばかり。もっと昔のことは、どうも覚えていない。
仕方がないので、思い出せる範囲で一番古い記憶を辿ることにした。
わたしの魂の力――“
その魂の一つひとつに優しく触れるイメージで、そっと手を伸ばす。その一つに指先が触れたその途端に、彼らの情動がわたしの中に流れ込んでくる。
ごめん、ごめんね。わたし、もう一度みんなを死なせなくちゃいけないんだ。でも今度こそ、みんなを安らかにしてあげられるから。そうしたら、ずっと見ててね。わたしは自分の運命に負けないで、最高の祓霊師になってみせるから。
その想いが届くか届かないかのうちに、わたしの指先から
炎が消えたと同時に、幽の気配も消えた。彼らの魂はちゃんと
「いいもの見せてもらったわァ。キレイな送り火だったわよ、郁夜ちゃん」
静かな拍手と共に正門の方から現れたのは、長い髪を後ろで結わえた中年くらいの男。いや、肌艶が良くて身なりが整えられているから若く見えるが、実際にはもっと老齢かもしれない。父様よりもっと上くらいだろうか。
女性のような話し方で場の緊張を和らげるも、その身のこなしにはまったく隙が感じられない。ただ歩いているだけなのに、相当な手練れであることが窺い知れた。もしやこの人が……。
「
「いいのよ、
天宮と親し気に話すこの人こそ、かの有名な
「
わたしが幽を祓ったことで命拾いした様子の父様は、もはや目の前の信元様の登場で、あれこれ考えを巡らせている余裕はないようだった。
天宮にすべての荷物をトラックに運んでもらい、わたしも最後のお別れを告げる。本当はもっとたくさんの人に、お礼と謝罪と、そして抱負を告げるつもりだった。それが今や、数えられるくらいしか、屋敷には残っていない。
「これまで育ててくれてありがとう。わたしがこうして元気に大きくなれたのも、お母さんや父様、お屋敷のみんなのおかげです。これからは志岐家の人間ではなくなるけれど、それでも精一杯自分の人生を生きていきます。こんな形でお別れになってしまってごめんなさい。みんなのこと、忘れないから」
お母さんは泣きながら何かを訴えかけようとしたが、父様に制された。最後の最後まで、わたしを引き留めようとしてくれたのだろうか。
そして屋敷の玄関の方から、勢いよく飛び出してくる少年。危ないからと屋敷の中へ避難させられていた彼は、わたしの元へ駆け寄り、勢いのままに抱き着いてきた。そんな彼を、わたしも抱き締めてやる。
「……姉ちゃん、お家出ていくの、嫌じゃないの?」
「嫌だよ。でも、これが正しいの。いつか、
いや、こんな苦しみ、彼には一生わからなくていい。家の秘密が一つ消えたことだし、以前よりは当主の肩に圧し掛かるものも小さくなるだろう。だから、彼に任せても大丈夫。こんな、押し付けるような形になってしまったのは申し訳ないけれど、彼ならきっと立派に当主の務めを果たせると、不甲斐ない姉としては信じている。
「何かあったら、凍夜がお母さんを守ってあげるんだよ。できる?」
「僕だって、父さんみたいに、姉ちゃんみたいに強くなるから、できるよ」
「ありがとう。じゃあ、お姉ちゃんとの約束ね」
わたしに抱き着いたままの小さな頭が、一度だけ縦に振られる。言葉はなかった。でも、彼の意思は充分に伝わった。
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