5.約束の日

 そしてついに、約束の期日を迎えた。


 今日は最後だからと、お母さんが自ら調理場に立ち、夕飯を作ってくれた。わたしが小さい頃に好きだったものばかり。そういえば小さい頃は、わたしや父様のために、お母さんが自ら料理をしてくれていた。いつからだっただろうか、お母さんが料理を作らなくなったのは。


 部屋のものはすっかりダンボール箱にまとめられていて、わたしは本当に今日ここをつのだと、嫌でも思わされる。天宮あまみやの居住が正確に知らされていないため事前に荷物を送ることができず、後日に送るか、当日に彼の案内で屋敷の者が荷送の車を出してくれる予定になっていた。


 あれから一週間が経った今日もまた、夜空はすっきりと晴れていて月が眩しい。もう半分ほどにまで欠けてしまっていても、わたしたちを白々と照らしていた。まるでたばかられたはかりごとを、すべて暴いてしまうかのように。


 この前はどこからともなく現れた天宮けいは、今日は正々堂々、うちの正門からやってきた。驚いたのは、まさかの小型トラックでやってきたことだ。


「約束通り、用意はできてるんだろうな?」


「もちろんだ。客間へ案内させよう」


 天宮の問いに、父様は堂々として答える。事前に天宮を殺害する計画は失敗に終わったのだろうか。それとも、今夜ここで彼を殺害しようと企んでいるのだろうか。


 まず第一に、自分に有利な場に誘い込む。暗殺における基本中の基本。まったく不自然ではないやり取りのはずだったが、父様の狙いに気付いていたのか、天宮はその申し出を断った。


「いらねぇ。誓約書と空蝉丸うつせみまるをここに持ってこい。それから、志岐しき郁夜かぐやもな」


 正門が見える部屋の窓からこっそり様子を窺っていたが、彼は目聡めざとくこちらへ視線を向けてそう言った。

 これには父様も仕方なしに、それぞれを用意するしかなかった。ここで変に食い下がっては、それこそ彼の疑念を強めるだけだ。当然の選択だとわたしも思う。


 部屋を出ていこうとすると、隣に寄り添っていたお母さんが、わたしの袖を掴んで引き留めた。

 お母さんだって、あれからわたしの前で泣いてみせたりなんてしなかったのに。今さっきだって、笑顔で送り出そうとご飯を振舞ってくれていたのに。今この時に限っては、顔をぐしゃぐしゃにして、涙を流していた。声を押し殺して、子供みたいにしきりに首を振っている。消え入りそうな声で、何度も懇願していた。


――いかないで。


 初めて見るお母さんの表情に、わたしは一瞬の躊躇いを生んでしまった。だけれど、それでも躊躇いは一瞬で拭い去った。わたしは行かなくちゃならない。それが、この家を救うためだから。


「ごめんね、お母さん。わたし、行くよ。ちゃんと元気で長生きするから、お母さんだって、早々にかくりになって会いに来たりなんかしちゃダメだよ?」


 縋りつくようなお母さんの手を払い、天宮の待つ正門へ向かった。同じく星菜せいなさんが、空蝉丸を持ってわたしの隣を並んで歩く。

 何か声を掛けようとしたが、わたしは思わず言葉を呑み込んでしまった。彼女がわたしの方を向くこともなく、小さく謝罪の言葉を口にしたのだ。

 どうして――そう尋ねる間もなく、意地の悪い笑みを浮かべた男と対面することになってしまった。


「少し顔つきが変わったな。覚悟は決めたのか?」


「覚悟ならとっくにできてたわ。納得はしてないけどね」


「恨むなら恨んでくれて構わない。これからは、本当の幸せとは何なのかを探し続け、自分なりの答えを出せ。それが、これからの志岐郁夜が生きる意味だ」


 頭一個分も違う高さから見下ろしながら、天宮は偉そうにそんなことを言う。わたしの幸せを奪ったのは、他ならぬ彼自身なのに。


 隣の星菜さんが彼に空蝉丸を手渡したその時、隅に控えていた屋敷の者数人が、突然倒れ始めた。見れば、彼らは目を見開いて血を吐いていた。

 彼らの魂魄はすうっと身体から抜けて、やがて一つに交じり合う。


 何が起きているのか状況を把握する前に、すぐ隣でも、人が倒れる気配がした。星菜さんだった。同じように、彼女も目を見開いて血を吐いていた。もう事切れていることが見ただけでもわかった。彼女の魂魄も、身体から抜け出ていってしまっていたのだ。


「これはどういうつもりだ? 随分と派手な送別会じゃないか」


 天宮が鋭い視線を父様へ向ける。わたしもほぼ同じくして、父様へ視線を寄越していた。

 これが父様の謀略か。よりにもよって犠牲者を出すなんて。なぜ星菜さんを……。そんな思いがい交ぜになって、段々とそれは、怒りへと変わっていっていた。


「私の指示ではない。彼らの独断によるものだ。何をするつもりなのか、私にも見当がつかない」


 父様の指示ではなかったのか。決めつけてかかってしまい、途端に申し訳なくなる。しかし天宮は父様の言葉に思うところがあるようで、さらに食い下がった。


「どうしてこんな行動に出たのかぐらい、見当は付いているんじゃないのか?」


「お前が襲撃してきて郁夜を攫おうとするからこうなったのだろう。元凶が知ったような口を……」


「この期に及んでまだ白を切るつもりか。いい加減、隠し事はやめたらどうだ? 隠したところで――」


 天宮がそこまで言ったところで、一つに交じり合っていた魂魄がこの世に留まり、一つの幽へと成っていった。複数の魂魄が融合して生まれた幽——群棲霊ぐんせいれいだ。まさかその発生をこの目で見るなんて。

 群棲霊は通常、一体の幽が持つよりも遥かに多量のはくを有している。それも若くして亡くなった者や、強い意志を残したまま亡くなった者の幽は強力になりやすい。目の前に現れた群棲霊もその例に漏れず、わたしでもその濃密なエネルギーをぴりぴりと肌に感じるほどだった。


 これほどまでの存在を前にしても、天宮は特に狼狽うろたえた様子もない。それもそのはず、わたしは群棲霊は天宮を襲うのだとばかり思っていたが、あろうことか、父様を狙い始めたのだ。


 大きな人型を形作った群棲霊は、その大きな腕を父様へ向けて振り下ろす。それを間一髪で避けると、父様はらしくもなく声を荒げて叫ぶ。


「おのれはかったな、小僧! お前が操っているのだろう! 私を始末して家ごと乗っ取る気か!」


 その叫びにはまったく聞く耳を持たず、天宮は何事もなかったかのようにわたしに向き直った。そして開け放たれた玄関の方とわたしとの間で視線を行き来させ、驚くほど優しい調子で尋ねてきた。


「荷物は、あれで全部か?」


 群棲霊の敵意の矛先が自分に向くことはないと確信しているのだろうか。そうとしか思えないほどの余裕ぶりで、父様と群棲霊の凌ぎ合いには見向きもしていない。


 わたしがほとんど反射的に首を縦に振ると、天宮は玄関に積まれた段ボールや家財の山を、トラックへ積み込んでいく。さすがの彼でも何度かに分けて往復して運んでいた。一度に抱えて持っていくなどという離れわざをすることはなく、彼も一応人間なのだと不思議と安堵した。

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