第9話 雪肌の少女

 それはそれで図々しいと思うが、同時に、彼女の身が心配になってくる。見ず知らずの男と一夜を共にするということがどういうことか、穢れのない高貴なお嬢様は理解していないのだろう。

 というよりも、そこに何も感じないという方が問題だ。一体どんな環境で育ったというのか。


 勘違いをしていたとはいえ、一度いいと言ってしまった手前、撤回はし辛い。ええい、一晩くらい、どうにでもなれ。そんな投げやりな気持ちで、観念してベッドに腰を落とした。


「わたしはここで待ってますから、支度が済んだらいらしてくださいね」


 どうやら同じベッドで寝るつもりらしい。もう何を言う気も失せて、とりあえずシャワーでも浴びようと、ベッド横にあったクローゼットを物色し始める。

 司官様も俺の身体のサイズはわからないだろうし、服まではさすがに用意できなかったらしい。バスローブのようなフリーサイズの羽織とタオルを見つけ、脱衣場へ持ち込んだ。


 風呂場は家の風呂というよりホテルの風呂のようで、一面綺麗に磨かれた真っ白な石でできており、随分と広い。浴槽はあるがシャワーはなく、わざわざ湯を張らなければならないらしい。

 だが、よくよく見まわしてみても、給湯設備のようなものは見当たらない。その上蛇口もないときたもんだ。どうやって水を出すのか、お湯にするのか、まるでわからない。


 異国であっても風呂の造りは大体同じじゃないのか。そもそもシャワーは外国から由来しているんじゃないのだろうか。そんなことを思っても、身体は温まらない。


 よく見れば、壁にボタンのような薄い丸型の出っ張りが並んでいるが、どうにも数が多すぎる。横に五列、それが三段で、全部で十五個ある。水やお湯が出るとしても、残りは何が出るんだろうか。

 試しにその一つ、一番上の右側を押してみた。ボタンを押せば、淡く点灯したが、何も起こらない。もう一度押すと、ボタンの光は消えた。他のボタンを押してみても、同じように光るだけで何も起こらなかった。


 諦めて、恥を忍んで助けを求めることにした。一応、腰にタオルを巻き、風呂場から顔だけを覗かせて、ベッドにいる彼女へ呼び掛ける。


「あのー……お湯の出し方を教えてもらえませんか?」


「……えっ? あ、はい、今行きますね」


 どうしてそんなことがわからないんだろうか、そんな疑問を浮かべたようなまま、彼女は迷いなく風呂場まで来てくれた。

 風呂場までは来て、彼女は躊躇うように立ち止まった。いくら図太い彼女であっても、さすがに裸の男と同じ空間には入れないか。


 そう思ったが、彼女は何かを決めたように黒いタイツを一気に脱ぎ下ろし、タイツの下に隠されていた白い素脚が露わになる。ワンピースのスカートの裾を短く持って縛ろうかとしていたが、諦めたようにワンピースも脱ぎ始めた。

 あまり見てはいけないかと思って背を向けると、ぺたぺたという足音がこちらへやってくる。


「大丈夫ですよ、下着は着てますから」


 そう言って例のボタンのところにしゃがみ込んだのを、視界の端に捉えた。水色のレースのついた白い布地が、必要最低限の肌色を覆っているだけ。長い髪で肩紐が隠れ、何も身に付けていないようにも見える。

 何が大丈夫なのか、よく意味がわからない。 


「このコントロールボードを使うんです。この一段目は一番左が冷水、その隣が水、その隣がお湯、さらにその隣が熱湯です」


 と、指をさして示してくれる。極力彼女の方を見ないように、彼女の指先へ視線を集中させる。

 さっき押したけど何も出なかった、と言う前に、彼女は言葉を続けた。


「一段目を選択したまま二段目の一番左を押すと、止めるまで出続けます。その隣を押すと、浴槽の方に出ます。その隣は、霧状になって出てきます。ミストシャワー、おすすめです。気持ちいいですよ」


 なぜか聞いてもいないのにおすすめを教えてくれた。

 複数押さなければいけないものだったらしい。そりゃあ一つだけ押しても出ないはずだ。


「最後に一番下の段で、出てくる量を調節するんです」


 一番下の段は五段階で調節できるらしい。蛇口のように繊細な調整ができないのは不便なような便利なような。


「それだと結構ボタン余ってません? この残りを押すとどうなるんです?」


「それは各々で設定できるように多く作ってるだけなので、何もないかもしれませんし、設定していれば、何か出るかもしれませんね」


 なるほど、下手に押さない方が良さそうだ。


「それにしても……コントロールボードは初めてですか?」


「あー……えっと……」


 これを知らないのって、やはり異常だったりするのだろうか。それほど常識的なことだったりするのだろうか。

 日本とは大きく文化も技術も違うこの国の常識など、まったく想像がつかない。


「別に恥ずかしいことではないですよ。そんなに広く普及しているものでもないですし。ただ、都会に限って言えば、お風呂以外にもほとんどの施設でコントロールボードが採用されていますから、このボードを見かけることが多いかもしれません」


 都会の人間にとって当たり前となっている場所ほど、このように何の説明書きもなくただボタンが並んでいるだけだったりするのだろう。

 このボタンを見ても訳のわからない田舎者をふるいにかけるかのような、恐ろしいシステムだ。


 試しにボタンを押してみる。一番上の段は三番目のお湯、二番目の段は一番左。すると、三段目を押す前に頭上からお湯が降ってきた。コップからこぼしたかのような、大したことない量が、ずっと頭上に降り続く。

 見れば、一番下の段は一番左のボタンが淡く光っている。デフォルトでは一番弱い水量に設定されているらしい。


 弱い水量とは言っても、俺の頭に当たって撥ねた水滴が、少し彼女にもかかってしまった。


「ふふっ、やっぱり服を脱いでおいてよかったです」


 そう言って微笑む彼女は、濡れてしまった箇所を拭こうと脱衣場からフェイスを取ってくる。どうやら風呂場に入る前、服が濡れることを懸念して躊躇っていたらしい。

 いったんお湯を止めて彼女に謝罪すると、彼女の身体には、飛び撥ねた水滴以上に、水の粒が付いていた。


「気にしないでください。わたし、そういう体質なので」


 何も言っていないが、俺の視線で言わんとしていることが伝わってしまったらしい。


 そういえば、彼女を揺り起こした時も、その身体は異常に冷たいと感じた。体温が低めとかでは済まされないほど、異常な冷たさだった。この水滴は、湯気が冷たい彼女の身体に触れて結露しているものなのか。


 どこか寂しいようにも悪戯っぽいようにも見える笑みを見せる彼女は、何を思ってか、唐突に俺の二の腕を掴んできた。

 そのあまりの冷たい感触に、思わずヒッと小さな悲鳴を上げてしまう。


「どうです? 冷たいでしょう? びっくりしました?」


「びっくりしました……何するんですか、急に」


「やっぱり、雪肌種シュネーブリュメに会うのも初めてなんですね。ちょっとした悪戯です」


 また何かあったら呼んでくださいと、彼女は幼げな顔に艶っぽい笑みを浮かべて、風呂場を出て行ってしまった。


 今になって気付いた。ずっとドキドキしっぱなしだった。顔も赤かったかもしれない。彼女の方をろくに直視できなかったにも関わらずこれだ。みっともないと思われただろうか。


 そんな恥ずかしさや惨めさを洗い流すように、俺は再びボタンを押して、降り注ぐお湯を頭から浴びた。

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