第8話 図々しい迷子
部屋の中は、司官様が用意してくれたのか、今からでも不便なく生活できるように、一通りの家具が揃っていた。
それどころか、ソファに並べられたクッションは乱雑に転がり、布団も乱れている。まるで既に誰かが生活しているかのように感じられる。
……もしや、侵入者だろうか。
そんな嫌な予感がして、俺は足音を殺して恐る恐る、部屋の中を見回ってみる。ソファやテーブルの下、クローゼットの中、カーテンの後ろ。隠れられそうなところを片っ端から確認したが、誰もいない。後はベッドを確認して、それで何もなければこの部屋にはもういないのだと思うことにしようと、そう思っていた。
ところがベッドを見てみると、掛け布団の丸まったところが、静かに膨らんだり萎んだりしている。そのリズムはまるで寝息のよう。どうやら侵入者は、悠長にもベッドで眠っているらしい。
思い切って、掛け布団の端を掴み、一気に捲り上げた。
ベッドの中にいたのは、猫のように小さく丸まって寝息を立てている、愛らしい少女だった。
白地に水色のアクセントの入った清楚なワンピースに、彩度の低い栗色の長い髪が、絡みつくように乱れている。
ワンピースのスカートから伸びる細い脚は、黒いタイツに覆われ、時折もぞもぞと動いているのが目につく。掛け布団を剥がされたことで肌寒くなり、暖を求めているのだろうか。
ウエストにはワンピースと同じ色の帯が巻かれ、その細さと、その上の胸部の息を呑むような大きさが強調されていた。
まったく起きる気配はなく、事情を聞くにもどうしたものかと逡巡した結果、とりあえず身体を揺すって起こすことにした。
しかし彼女に触れた途端、すぐに異変を感じて手を引っ込めた。冷たすぎるのだ。とても人の体温とは思えない、不気味なくらいにひんやりとした感触。
もしかして、生きていないのかと思い、改めて彼女の姿を眺めてみる。そのあどけなさの残る顔立ちは、見れば見るほどに引き込まれる。
本来の目的を忘れそうになったところではっと我に返り、彼女の呼吸を確認してみれば、息はしているようである。
息をしているなら、生きてはいるのだろう。気を取り直してもう一度、身体を揺すってみる。
すると、少女は眠そうに目元を擦りながら、身体を起こした。うーんと伸びをして、乱れた髪を簡単に整える。俺のことなど視界に入っていないらしい。
「あの……」
声を掛けてみると、少女は驚いたように目を見開き、俺がさっき引っぺがした掛け布団に慌ててしがみついた。突然現れた俺の存在に、混乱しているというより怯えたような目で、こちらを見上げてくる。
「あー……その……、君はこんなところで何を?」
色々と聞きたいことは山積みだが、とりあえず敵意はないことを示すためにも、できるだけ表情を柔らかくしようと意識してみた。
口角を上げ、笑顔を作ろうとするも、かえって不気味に見えるかもしれない。
「……寝て、ました」
怯えているように見えて、なかなかに肝の据わった返事だ。
少女からの回答にキレそうになるのを抑えて、再度問い直す。
「うん……そう、みたいだね。君はどうしてこの部屋にいたの? 迷子?」
「実は……はい。司官様に用事があったんですけど、ここはあまり来ることがないので迷っちゃって……」
司官様の言っていたことから察するに、彼女も恐らく
「司官様はここの隣の部屋にいるってよ?」
「そうだったんですね……! 惜しかった……。でももう遅いので、司官様へはやっぱり明日お会いすることにします」
少し悔しそうにしているのが、何だか可愛らしい。この子はこの子で癖が強そうだが、ミルフィエール様やアイリスさんとはまた違ったタイプのようだ。
「こちらの部屋は使われてないようだったので、今晩使わせてもらおうと思いまして」
しかし困ったことになった。
確かにこの部屋は、今日から俺が使って良いと司官様に与えられた部屋だ。だがそれは、数ある部屋のうち、たまたま空いているこの部屋を割り当てられたのか、
なにせこの部屋を“使用されていない部屋”だと思って、先に押さえていたのはこの少女なのだ。彼女からすれば、俺の方が後からやってきて、ここは自分の部屋だと主張し始めたよそ者なのだ。
司官様に一度相談するべきなのか……いやしかし、彼女の言う通り、外はもうすっかり夜も更け、時間も遅いのだということがよくわかる。別れ際の司官様は少し疲れている様子でもあったし、もし寝ているのだとしたら、起こすのも申し訳ない。
「あなたは? どうしてこの部屋に?」
考え込んでいたら、逆に彼女に尋ねられてしまった。ここでどう答えるかで、その先の未来が大きく変わりそうな予感がする。
「実は……この部屋、今日から俺が使っていいって、司官様に言われてまして……」
考えた結果、素直に話すことにした。この子も星姫なのだとしたら、変にごまかす方が後々面倒なことになりそうな気がしたのだ。
「あ……そう、なんですね……」
少女は落ち込んだように表情を曇らせながらも、何かを考え始めた。素直に出ていくことを即決はしないらしい。
それもそうか。出ていったところで、彼女にも今夜を明かす伝手はないのだろう。
「……ここにいたら、ダメですか?」
やはりそういう結論になるか。彼女が先にいたのだから、後に来た俺は部屋を譲れと、そう言いたいのだろう。星姫様とやらはどうにも身分が高いようだし、そのくらいの図々しさは持ち合わせていても何ら不思議はない。
控えめに言ってはいても、折れるつもりなどそうそうないのだろう。となれば、当然根負けして折れることになるのは俺の方だ。なら、さっさと諦めて彼女に部屋を譲ってしまうのがいいかもしれない。
早くもその扱いに慣れつつあるのが、少し悲しい。
「ご迷惑なのはわかってるんですが、わたしにとってもここは異国の地ですから、行く当てもなく……。寝て起きるだけですし、どうしてもダメですか……?」
「わかりました、いいですよ」
「ありがとうございます……!」
ぱあっと嬉しそうに顔を綻ばせる少女を余所に、俺は部屋を出ようと立ち上がる。
その俺の様子から何かを感じ取ったのか、彼女は咄嗟に俺の服の裾を掴んだ。
「……どこ行くんですか?」
「今夜はこの部屋を使ってください。俺は別の寝床を探しますから」
「でも、この部屋は貴方の部屋なんでしょう? なら、貴方が出ていく必要はないはずです」
どうやら何か思い違いがあるらしい。俺はこの部屋の主なのだから、俺がこの部屋で寝るのは当然だ、というのが彼女の主張。しかし、彼女は行く当てがないのでこの部屋に寝泊まりさせてほしい、と。
一見矛盾しているようにも聞こえるが、その両方を満たす方法が一つある。それはつまり……。
「……今夜はこの部屋で一緒に過ごすってこと?」
改めて言われると恥ずかしいようで、彼女は顔を赤らめながら、無言でこくこくと頷いた。
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