第3話

「悪い、待たせたな。家は? 橘前たちまえの方?」


「いえ、もうちょっと先の、はらの方です」


 そうか、とハルはルリの手を取って歩き出した。


 店で働くリフレ嬢の大半は、吟から紹介してもらった人材で、彼女らの居住は橘前町に集中していた。ルリも吟の紹介による人材だったので、ハルには彼女の家の方向の見当はついていた。


「お昼はありがとうございました」


「気にするな。それがオレの仕事だからな」


 ぺこりと改めて頭を下げるルリに、ハルは素っ気なく返す。それを、ルリは照れ隠しだと思ったようで、ふふっとほほ笑んだ。


「私、吟お嬢様からここで働くようにって言われたとき、正直ちょっとショックだったんです。でも、借金の肩に売られた私は、結局風俗で働くしかないのかなって」


 それを聞き、彼女の身の上の悲しさを感じさせない待遇をしていた吟の様子が窺えて、ハルは彼女らしいとしみじみ思っていた。


「でもお店のみんなは優しくて、思ってたのと全然違って。毎日が夢みたいだったんです。だから今日は……一気に現実に戻されたような気がして」


 マリエで働く嬢の多くは何らかの事情を抱え、売られてきた者たち。シズが接触禁止のルールを作ったのには、彼女らの傷をこれ以上抉らないための配慮でもあった。

 本来ならこういうお店の営業自体、彼女らに手伝わせるのは気が引けたが、マリエの裏の仕事・・・・のため、シズはできるだけの配慮はしたいと、常々ハルに話していた。


「確かにルリは、借金の代わりに売られた。そして、この店で働くことになった。それは普通の人とは違うかもしれない」


 厳しい現実を突きつけるように言うハルに、ルリは少し悲しそうに顔を歪める。


「でもそれを負い目に感じる必要はない。その運命は、お前のせいじゃない。だから何を言われても、堂々としてていいんだ。心が参ってしまうと、身体もついていかなくなるぞ」


「そう、ですよね……わかっては、いるんですけど」


 そんなこんな話し込んでいるうち、彼女の住む家に着いてしまった。新しくはないが、古すぎもしない二階建てのアパート。この物件も吟の所属する黒瀧くろたき組の所有物で、家賃や光熱費は、半分を給料から天引きし、もう半分は吟が負担していた。


「今日はありがとうございました」


「万が一何かあったらすぐ連絡しろよ? 粘着質な客も、たまにいるからな」


「はい。おやすみなさい」


 部屋に入っていくルリに小さく手を振って、その姿を見届けるハル。


 彼も自分の家に帰るかと思いきや、少し遠回りをして、またこのアパートの近くに戻ってくる。二、三軒離れたアパートの駐輪場に身を潜め、遠目からルリの暮らすアパートの様子を窺っていると、何者かに背後からポンと肩を叩かれる。


「お疲れ様。おかげ様でこっちの準備は万端よ」


 相変わらずの女言葉で話す屈強な男——シズだった。


『例の男、来ました。“卵紋”も確認。もうすぐそちらからも目視できるかと』


 シズのインカムに通信が入る。彼女の連絡通り、昼間にルリにちょっかいをかけていた男の一人が、ふらついたような足取りでこちらへ向かってきていた。一見すれば、ただの酔っ払いに見えるが、見える者が見れば、彼が何者なのかは一目瞭然だった。


「ありがと、ユキちゃん。カガミちゃんと合流して、後は打ち合わせ通りに」


 了解しました、と一言だけ通信が入り、それ以降の通信は途絶えた。


「お疲れのとこ悪いけど、頼むわよ、ハルちゃん」


「大吟嬢のお人形に何かあったらまた怒られるしな。残業手当だけで勘弁しとくよ」


「何言ってんのォ、こっちが本業でしょ?」


 気怠そうに見えてもハルの目にはしっかりと闘志が燃えている。それを見逃さなかったシズには、昼の彼と夜の彼、どちらが天職なのか、もはや考えるまでもなかった。


「さァて、狩りを始めるとしましょうか……!」


 標的がハルたちの潜む駐輪場の前を通り過ぎたのを確認して、ハルとシズの二人は背後から男に襲いかかる。


「何だ、お前たち?!」


「ハルちゃん、君影香きみかげこうを!」


 シズに言われるまでもなく、ハルは男にある香水を噴霧する。すると途端に男は苦しみだし、何かを吐き出そうと口を大きく開けた。

 それを見て、ハルは再度香水を噴き付ける。


 それに追い立てられるように、それを忌避するように、男の喉奥から人の腕が伸びてきて、強引に口を開かせた。続いて、頭、胴、足が出てくる。柔らかくしなやかな肉感のそれは、男の喉を壊さないように、身体を収縮させ、外に出たと同時に本来の形に戻っていく。


 ハルたちはその様を何度も目の当たりにしてきたが、その悍ましく気持ちの悪い光景は、何度見たところで一向に慣れることはないのだった。


 男の粘液に塗れて出てきたのは、一糸纏わぬ若い女の姿。背丈はルリとそう変わらないくらいで、体格的にも成人女性のそれに近い。


「実体化?! こいつ……七日目・・・か!」


「ハルちゃん、下がって! アタシがこいつの相手をするから、ハルちゃんはそいつ食われないように見張ってて。あと、万が一逃がしたら、お願いね」


 了解、とハルは女の足元に転がる男を掠め取り、女と距離を取る。

 

「返せ……! あたしの獲物ッ!」


 奪われた男を取り返そうと、女がハルに飛びかかる。大地をたった一蹴りしただけで、瞬く間にハルに肉薄した。女の鋭い爪がハルに届く前に、背から腹を突き破った刃の切先が、女の眼下に映る。


「あんたの相手はアタシよ。アタシだって、一応オトコなんだから。心はオトメだけどね」


 茶目っ気たっぷりな口調とは裏腹に、シズは女の腹をそのまま横薙ぎに裂いて、胴の半分を寸断した。傷口から血の代わりに溢れ出たのは、墨のような真っ黒な泥。黒い闇に還っていくかのように、零れ出る泥は滴り落ちる前に、宙に消えていく。


 口からも泥を吐きながら、女はシズへ反撃を試みようと振り返る。ところが、既に振り返るという動作自体が、シズに次の一手を準備させるだけの大きな隙になり得た。

 シズは拳を振りかぶり、女の口の中に無理矢理ねじ込みながら、地に押し倒した。そして、拳の中に握った香り玉を一気に握りつぶす。するとたちまち凝縮された香りが辺りに広がり、女の身体に染み入っていった。


 みるみるうちに、女の身体はひび割れていき、組織が砕けて崩れ落ちていく。と、朽ちた肉体の中からぼんやりと光る球体が一つ、浮かび上がってくる。それは徐々に人の形を成し、先ほどの女よりも一回り小柄な少女の姿を取った。


「逃がさないわよ。ハルちゃん、お願い」


 はいよ、とハルは拳銃を取り出し、倒れている男の元を離れて、浮遊する球体目掛けて振り下ろした。

 この銃には弾丸が込められておらず、ただの重い金属の塊としての能力しかなく、鈍器として扱われていた。


 ハルの一撃が球体を捉えると、球体は破裂したように飛び散って、今度こそ闇に消えていった。

 それを遠くから観測していたユキから通信が入る。


『消失を確認しました。お疲れ様です』


「ありがと、ユキちゃん。カガミちゃんも。二人はそのままあがっていいわよ。お疲れ様」


 俺も帰ろうかな、と立ち去ろうとするハルを、シズが引き留める。


「ちょっとォ、アタシにやらせるの? 車持ってくるから、痕跡消しといてよね」


 そう言って、シズは駐車場の方へ駆けていく。それを見届けて、ハルは辺りに君影香のスプレーを吹きかけ、倒れている男を道路脇に寄せておいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ルミナス 斎花 @Alstria_Sophiland

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ