王都密室殺人編

第4話 結界の中の孤独な死

 王立騎士団本部の地下深く。かつては備蓄庫として使われていたその場所は、今や鼻を突く薬品の臭いと、冷徹な静寂が支配する「検死室」へと変貌していた。


「……失礼するわ。住み心地はどう、シンジ殿」


 階段を降りてきたフェリシアが、戸口で足を止めた。

 部屋の中央には、磨き上げられた石造りの解剖台。その傍らで、シンジは見たこともない複雑な形状のガラス器具をいじっている。


「最悪ですよ。湿気は多いし、死体(検体)よりも生きている騎士たちの視線の方が冷たい。……まあ、死体を扱うにはこれくらいの室温が丁度いいですがね」


 シンジは振り返りもせず答えた。

 あの日、広場での大立ち回りの後、シンジは国王直属の「特別検死官」という前代未聞の役職を与えられた。だが、教皇庁が国教であるこの国において、死体に刃を入れる男への風当たりは依然として強い。


 フェリシアは、無機質な部屋に佇む彼の背中を見つめながら、内心で複雑な感情の渦に呑まれていた。

 この男の技術は、間違いなく真実を暴く。だがそれは、私たちが「騎士」として信じてきた世界を壊すことでもある。ガイウス閣下の事件まで、私は「密室」とは絶対の安全であり、英雄の死は常に誇り高いものだと信じていた。その無垢な信頼を、彼はメス一本で切り裂いたのだ。

 信頼している。けれど、彼が遺体に触れるたびに、私の倫理観が「それは禁忌だ」と警鐘を鳴らし続ける。この不安は、彼を助手として支える限り、消えることはないのだろう。


「助手、ですか。なら、まずはそのあふれんばかりの正義感をどこかに置いてきてください。現場で必要なのは、感情ではなく客観的な事実だけですから」


 シンジがようやくこちらを向いた。その時、地下室の扉が激しく叩かれた。


「フェリシア分隊長! 緊急事態です! アリステア公爵閣下が……公爵閣下が、お亡くなりになりました!」


 アリステア公爵邸の最上階。そこは、一種の異常事態に包まれていた。

 公爵の寝室の扉の前には、武装した騎士たちと、そして見慣れぬ黒い法衣をまとった一団が陣取っていた。


「……教皇庁の人間か」


 フェリシアが低く呟く。一団の中から、一人の女が進み出た。眼鏡の奥の鋭い瞳が、シンジを値踏みするように見据える。


「私は教皇庁直属の調査官、エルザと申します。……あなたが、ガイウス閣下の遺体を辱めたという『修復師』ですね?」


 エルザの声には、冷徹なまでの自律心と蔑みが混じっていた。


「辱めたつもりはありませんが。……調査官様がこんなところで何を? ここは騎士団の管轄のはずだ」


「公爵閣下は、教皇庁への多大な寄進者でした。その死に不審な点がある以上、我々には見届ける義務があります。……特に、得体の知れない者が『証拠を捏造』しないよう、厳重に監視せよとの命を受けております」


「捏造、ですか」


「ええ。修復師さん。あなたが掲げる『証拠』とやらは、いかようにも作り変えられる暴力です。死者の魂が去った後の抜け殻を弄び、自らの都合のよい物語を語らせる……。それは神への冒涜であり、何より遺族への残酷な裏切りです。不確かな知恵で真実を歪めるくらいなら、沈黙して祈るほうがどれだけ慈悲深いか、思い知っていただきます」


 エルザの言葉は「正論」の重みを持っていた。それは、この世界の秩序を守る側が持つ、鋼のような正義の論理だった。


「……勝手になさい。それより、現場を見せてもらえますか」


 シンジは表情を変えず、寝室の扉へと視線を向けた。

 寝室の周囲には、青白い光の膜がゆらめいていた。古代遺物(アーティファクト)によって生成される「イージスの結界」。

 物理的な侵入はもちろん、外部からの魔法干渉、さらには空気さえも完全に遮断する、文字通りの『絶対隔離領域』だ。


「結界の仕様を確認します。……起動中、内部の空気はどうなる?」


 シンジの問いに、控えていた結界師が淀みなく答えた。


「『完全循環モード』です。外部との物質交換を一切断ち、内部の空気を浄化・循環させ続けます。本来は暗殺者による毒ガス散布や、数日間に及ぶ攻城戦に耐えるための最高峰の防護魔法……。起動者の心音や魔力反応が途絶えない限り、内部は神の懐にいるよりも安全なはずなのですが」


「つまり、起動者の生命反応と連動している。公爵が死んだ今も、結界が解けていないのはなぜだ?」


「……それが、謎なのです。通常、術者が死ねば結界は崩壊する。ですが、この結界は今もなお、閣下が生きているかのように強固に機能し続けています。……内部からしか、解けない仕組みなのです」


 ネズミ一匹入り込めず、死してもなお術者を守り続ける結界。

 結界師たちが到着し、複雑な詠唱と共に光の膜が霧散していく。


 開かれた扉の先。豪華な天蓋付きベッドの上で、公爵はのけ反るような姿勢で固まっていた。

 シンジは周囲の静止を振り切り、遺体のそばに膝をつく。


「……っ。ひどい顔だ」


 フェリシアが思わず目を背けた。

 公爵の顔は暗紫色にうっ血し、両眼の結膜には鮮烈な溢血斑が無数に散っている。唇は剥け、口角からは少量の泡が混じった唾液が垂れていた。

 何より異様なのは、その喉元だ。自らの爪で激しく掻きむしったような血筋が、深い溝となって刻まれている。


「典型的な窒息の所見だわ。……でも、誰が? 結界を破らずに首を絞めることなど、魔法でも不可能なのに」


「神の御心でしょう」


 背後でエルザが冷ややかに断じた。


「外傷はなく、結界に異常もない。公爵閣下は、死の恐怖に悶えながら、自らの命を神に返上された。……窒息に見えるのは、急な心不全に伴う肺の苦しみでしょう。これを殺人と断じるのは、それこそ捏造だ」


「……まだ、分かりませんよ」


 シンジが遺体の指先に触れる。

 爪床(つめしょう)はどす黒く、死後硬直の進み方は異常に速い。

 さらにシンジは、公爵の舌の位置を確認した。舌は奥に引き込まれ、何かを拒絶するように硬直している。


(窒息……。だが、肺に水が入った形跡も、頸部に索溝(さっこう)もない。何より、この『絶対密室』で酸素を奪う手段が限定されすぎている)


 シンジの視線は、部屋の隅々をスキャンするように動いた。

 暖炉の中の灰。テーブルの上に置かれた飲みかけのワイン。

 そして、ベッドの脇。公爵の遺体のすぐそばに置かれた「加湿用の水瓶」の前で、彼は動きを止めた。


「フェリシア分隊長、灯りをこちらに」


 灯火に照らされた水瓶の縁。そこには、目に見えるか見えないかというほどの「白い粉末」が付着していた。


「……面白い」


「不謹慎な。何が面白いというのです」


 エルザが鋭く問い詰める。シンジは彼女を振り返らず、水瓶の底に沈んだ白い層をじっと見つめた。


「調査官様。あなたの言う通り、結界は完璧だったようですね。魔法も、毒も、刺客も……外部からこの部屋を攻め落とすことは、この世界の理では不可能だ」


 シンジはピンセットでその白い粉末を採取し、鼻先でわずかに扇いだ。


「ですが、犯人は魔法なんて使いませんでした。……犯人が使ったのは、この世界の誰もが信じ切っている『安全』という名の盲点。そして、この結界が持つ『完璧すぎる循環システム』そのものです」


「……どういう意味?」


 フェリシアが問いかける。シンジは公爵の死体の瞳孔を覗き込み、確信を持って告げた。


「この密室は、魔法で作られた。……ならば、その魔法のルールこそが、公爵を殺した凶器だ。今夜から、解剖を始めます。……死体の喉から、犯人の『名前』を取り出してみせましょう」


 教皇庁の監視、絶対の結界、そして沈黙する公爵。

 異世界法医学の第二の戦いが、今、幕を開けた。

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法医学者は異世界でも「死者の声」を聴く 〜魔法殺人の証拠は、細胞に刻まれていた〜 ソラ @Jasnon

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