第2話 消えた毒の正体

  白昼の広場に、異様な静寂と殺気が渦巻いていた。

 王国最強の聖騎士、ガイウス。その黄金の鎧が剥がされ、白い死装束がシンジの振るうメスによって切り裂かれていく。  


「やめろ! その不浄な手をどけろ!」

「神への冒涜だ! 英雄を切り刻むなど、正気の沙汰ではない!」


 司教ヴァルトゥスの叫びに同調し、群衆からも罵声が飛ぶ。石が投げ込まれてもおかしくない状況だったが、それを食い止めているのは、シンジの前に立ちふさがる女騎士フェリシアの背中だった。

 彼女は一歩も引かず、抜いた長剣を構え続けている。その震える肩が、彼女自身の恐怖と覚悟を物語っていた。


「……うるさいですね。集中させてください」


 周囲の喧騒を、シンジは冷徹な一言で切り捨てた。

 彼の意識はすでに、眼下の「検体」にのみ向けられている。

 シンジはガイウスの胸骨の感触を確かめ、正中線に沿って深くメスを入れた。筋肉の層を分け、肋骨を専用の器具で切断していく。この世界の人々が初めて目にする、生々しく、そして精緻な「解剖」の光景。


 ヴァルトゥスが顔を背け、えずく。

 だが、シンジの手は止まらない。


「心臓は……肥大なし。弁膜症の兆候もありません。少なくとも、持病による突然死ではない」


 シンジはガイウスの肺を慎重に観察し、次に心臓を取り出した。その断面を確認した瞬間、彼の細い目が鋭く光った。


「フェリシア分隊長、ここを」

「な、何だ……? 私は、その……医学的な知識は……」

「見るだけでいい。この心臓の中の血液。色が『明るすぎる』とは思いませんか?」


 フェリシアが恐る恐る覗き込む。

 通常、死体から流れ出す血は酸素を失い、どす黒い赤紫色に変わるものだ。しかし、ガイウスの心臓から溢れた血は、まるで生きている人間のように、鮮やかな鮮紅色を保っていた。


「これは……確かに、妙だ。なぜ、こんな色をしている?」

「細胞が酸素を受け取るのを拒否した証拠です。これほど鮮やかな赤は、ある特定の毒物に見られる特徴的な反応です」


 シンジは次に、遺体の頸部――先ほど見つけた微小な針跡の周囲を、ピンセットで慎重に探った。

 魔法騎士の強靭な皮膚。そのわずかな隙間、血管の深くに「それ」は埋まっていた。


「……見つけた」


 シンジが引き抜いたのは、長さ一センチにも満たない、透明な「結晶」の破片だった。

 それは太陽の光を浴びて、一瞬だけ青白く輝き、そのままシンジの指先で霧のように消えてしまった。


「消えた!? 今のは何だ、修復師!」

「魔力の結晶……『魔石』を加工した針です。司教様、これでもまだ『呪い』だと言い張りますか?」


 シンジは立ち上がり、血に濡れた手袋を脱ぎ捨てた。その視線は、震える司教を射抜いている。


「ガイウス閣下の死因は、魔石に封じられた『高濃度シアン化合物』の注入による急性中毒死。犯人は、魔法障壁に感知されないほどの微小な弾丸――おそらくはバネ式の暗器を用いて、閣下の首筋を狙った」


「シ……シアン? 何のデタラメを! そんな名前の魔法も毒も、聞いたことがないわ!」

「この世界の名では、おそらく『魔銀草(まぎんそう)の滴』と呼ばれているものでしょう。ですが、自然界のそれとは純度が違う。人工的に精製し、凝縮しなければ、これほど瞬時に人を殺すことは不可能です」


 シンジの言葉に、周囲の空気が変わった。

 単なる「呪い」という曖昧な恐怖が、具体的な「暗殺」という現実味を帯び始める。


「そんなはずはない……! 閣下の魔法障壁は、あらゆる物理攻撃を弾くのだ! 小さな針だろうと、魔力が込められていれば弾かれるはずだ!」


「ええ、その通りです。だから犯人は、針そのものに魔力を込めなかった。……代わりに、針が『肉体に刺さった瞬間に溶ける』よう、体温で発動する時限式の溶解魔法だけを付与しておいた」


 シンジは周囲に転がっている黄金の鎧を指差した。


「魔法障壁が反応するのは『害意あるエネルギー』に対してだ。しかし、この針はただの微細な物質として、空気抵抗すら受けない速度で放たれた。閣下の障壁は、これを『ただの埃』や『羽虫』と同じだと誤認した。……違いますか?」


 司教は言葉を失い、後ずさりした。

 シンジの指摘は、魔法の特性を逆手に取った、あまりにも冷徹で論理的な「穴」の証明だった。


「フェリシア分隊長。ガイウス閣下が倒れる直前、彼の右側に立っていた人物をすべて洗ってください。この角度、この刺入経路……犯人は閣下の右斜め前方、わずか三メートルの距離から放っている」


「……わかった。ただちに騎士団に包囲網を敷かせる!」


 フェリシアが力強くうなずき、部下たちに指示を飛ばそうとしたその時。


「待て! 勝手な真似は許さん!」


 再びヴァルトゥスが声を張り上げた。その顔には、先ほどまでの恐怖とは異なる、冷酷な光が宿っていた。


「証拠は消えたと言ったな、修復師! ならばそれは貴様の妄想に過ぎない。英雄の体を切り刻んだ大罪人として、直ちに捕らえよ!」


 司教の合図とともに、教皇庁直属の「聖典騎士」たちが、抜刀しながらシンジを包囲する。

 彼らの目的は、もはや真実の追求ではない。不都合な事実を掘り起こしたシンジの口を封じることだ。


 絶体絶命の瞬間。

 だが、シンジは慌てることなく、死体の横に置いた自分の道具箱へ手を伸ばした。


「……証拠なら、まだ他にもありますよ。私がここへ来る前に、何をしていたか忘れたのですか?」


 シンジが取り出したのは、一本の小さな試験管だった。その中には、先ほどガイウスの胃から採取した、無色の液体が入っている。


「閣下は、演説の直前に『聖水』を飲まれましたね。教皇庁が用意した、喉を清めるための水を。……司教様、あなたの手が震えているのは、武者震いですか? それとも、自分の用意した毒が私に見つかるのを恐れているからですか?」


「な……っ!」


 広場に、再び激震が走る。

 その瞬間、ヴァルトゥスの瞳に、底冷えするような狂信の火が灯った。

 神の名の下に築き上げた「美しい奇跡」を、卑賤な男の汚らわしいメスで切り裂かれた――その屈辱が、彼を獣に変えた。


「……不浄の輩め。神の沈黙を、貴様のような泥の手で暴くことなど、断じて許さん」


 司教の顔から一切の感情が消え、その手に禍々しい魔力の光が宿った。

 シンジは、血に汚れたメスをゆっくりと司教に向けた。


「死体は、すべてを語ってくれました。……次は、生きているあなたの番だ。ヴァルトゥス司教」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る