法医学者は異世界でも「死者の声」を聴く 〜魔法殺人の証拠は、細胞に刻まれていた〜
ソラ
聖騎士暗殺事件編
第1話 異世界に「病理学」は存在しない
煤けたランプの灯りが、冷たくなった「それ」を照らしていた。
場所は王都の片隅、吹き溜まりのような裏路地にある古びた地下室。表向きは「遺体修復師」の看板を掲げているが、ここを訪れる者は少ない。
シンジ――真島信司は、銀色に輝く執刀用のメスを傍らに置き、丁寧に糸を引いた。
「……よし。これで、家族も君だと判別できるはずだ」
台の上に横たわっていたのは、魔物に襲われ、顔半分を欠損した若い冒険者の遺体だった。シンジが施した「修復」により、その表情には生前のような穏やかさが戻っている。
現代日本で監察医として数千体の遺体と向き合ってきた彼にとって、この世界の「死」はあまりに雑に扱われていた。
魔法がある。奇跡がある。ゆえに、死は「神の御心」か「呪い」の二文字で片付けられる。死体の内部で何が起きているかを探る「解剖」など、この世界では神への冒涜に等しい禁忌だった。
突如、地下室の扉が激しく叩かれた。
「おい、遺体修復師! 開けろ! 騎士団の者だ!」
不機嫌そうに眉を寄せ、シンジが重い扉を開けた。そこには、白銀の甲冑に身を包んだ若き女騎士、フェリシアが立っていた。彼女の顔は蒼白で、瞳には隠しきれない動揺が走っている。
「……騎士様が、こんな掃き溜めに何の用ですか」
「貴殿が、死体を『生前と同じ姿』に戻すと噂の修復師か」
「仕事の内容によりますが」
フェリシアは縋り付くような勢いで言葉を続けた。
「来てくれ。広場だ。……聖騎士ガイウス閣下が、倒れられた。いや……死んでしまったのだ」
ガイウス。この王国の英雄であり、最強の魔法騎士と謳われた男だ。
シンジは無言で道具箱を手に取った。死体の修復なら、急ぐ必要はない。だが、その「死」に違和感があるのなら、話は別だ。
中央広場は、静まり返った群衆の恐怖で満たされていた。
噴水の前で、黄金の鎧を纏った大男が仰向けに倒れている。彼を囲むように、数人の司祭たちが祈りを捧げ、呪文を唱えていた。
「退け! 修復師を連れてきた!」
フェリシアの声に、司祭の一人が顔を上げた。教皇庁の司教、ヴァルトゥスだ。彼はシンジを汚物を見るような目で見据えた。
「修復師だと? 愚かな。ガイウス閣下は『暗黒神の呪い』によって魂を焼かれたのだ。もはや人の手でどうこうできる段階ではない。これより、この聖なる地で火葬し、浄化を行う」
「待て、司教! まだ死因もはっきりしていないのに……!」
「異端なことを言うな、フェリシア分隊長! 魔法障壁に守られた閣下に、物理的な攻撃が届くはずがない。傷一つない死こそが、強力な呪いの証左ではないか」
シンジは司教の言葉を無視し、遺体のそばに膝をついた。
「おい、触れるなと言っているのが聞こえんのか!」
司教の怒号を背に、シンジの観察眼が「検死」を開始する。
確かに、鎧に傷はない。魔法の衝突跡もない。だが、シンジの目はごまかせなかった。
(顔面に軽度の鬱血。眼球の結膜には微小な溢血点……。唇の色は、わずかに暗紫色を帯びている)
シンジは鼻を近づけた。微かに漂う、アーモンドに似た匂い。
さらに、手袋を嵌めた指でガイウスの首筋に触れる。そこには、小さな、本当に小さな針の跡のような赤みがあった。
「……呪い、ですか。便利な言葉だ」
シンジが低く呟くと、広場に緊張が走った。
「何だと?」
「司教様。魔法騎士の障壁というのは、目に見えないほど小さな『物質』の侵入も防げるのですか?」
「……何を言っている。障壁は魔力を持つ攻撃を防ぐものだ。塵や空気まで防げば、閣下は息ができなくなるだろう」
「なら、話は早い」
シンジは立ち上がり、フェリシアと司教を交互に見た。
「ガイウス閣下の死因は、呪いでも神の審判でもない。……『呼吸不全』による急性中毒死。もっと噛み砕いて言えば、毒殺だ」
周囲がざわめき、司教の顔が怒りで赤黒く染まる。
「馬鹿なことを! 閣下は倒れる直前まで、大勢の前で演説をされていたのだぞ。毒を盛る隙など、どこにもなかった!」
「ええ、食事からでは無理でしょう。だが、この首筋の跡……極細の針か、あるいは魔法で加速させた小さな弾丸で、猛毒を直接血管に撃ち込まれたとしたら?」
「そんなものは妄想だ! 証拠がどこにある!」
シンジは迷いなく、道具箱から一本の鋭利なメスを取り出した。
「皮膚の下にあります。体内を巡った毒が、心臓をどう止め、臓器にどんな痕跡を残したか。……それを見れば、毒の正体も、犯人が使った手法もすべてわかります」
「貴様、何を……」
「今から、この場でガイウス閣下を『解剖』する」
その瞬間、広場には悲鳴のような沈黙が訪れた。
司祭たちは十字を切り、騎士たちは剣の柄に手をかける。この国において、英雄の死体に刃を入れるなど、最大級の冒涜に他ならない。
「狂ったか、修復師! 貴様を即座に処刑してくれる!」
騎士たちが一斉に距離を詰める。だが、その前にフェリシアが立ちふさがり、自身の長剣を抜いた。
「退くな! 私の責任で、この男に許可を与える!」
「フェリシア、貴様まで正気を失ったか!」
「死因も分からぬまま英雄を焼くことこそ、騎士の恥辱だ! ……シンジ、やれ。真実が暴けなかった時は、私も貴殿と共に首を差し出そう」
シンジはわずかに口角を上げた。
「……死体は、嘘を吐きません。嘘を吐くのは、いつも生きている人間だけだ」
シンジの手の中で、銀のメスが夕陽を反射して鋭く輝いた。
魔法が支配するこの世界で、一人の男が「科学」という名のメスで、神の領域に踏み込もうとしていた。
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