第7話 闇の貴族と毒の杯
大広間には、戦の喧騒とは無縁の静けさが戻っていた。
高い天井から吊るされた魔法灯が、白い石床に柔らかな光を落としている。
壁には新たに掲げられた戦勝の旗。その鮮やかさが、つい数刻前まで流れていた血の色を覆い隠していた。
長卓の中央、王と王妃が並び、その左右に王族と重臣たちが席を占める。
笑顔はある。だが誰ひとり、心から安堵してはいない。
勝利は祝うべきもの――その理屈を、誰もが理解している。だが王族にとって勝利とは、次の責任の始まりでもあった。
やがてエドウィンが立ち上がり、杯を掲げる。
「この勝利は、王国のものだ。剣を振るった者たちの勇気に、敬意を表そう」
控えめな拍手が広間に響いた。
魔石の青白い光が控えめに揺れる中、黒や濃紺の礼装に身を包んだ貴族たちの視線は、リーフィスに注がれるたびに冷たく、疑念の炎を灯していた。
リーフィスは、エドウィンの玉座横に設えられた豪奢な椅子に腰かける。
純白の魔力は闇の装飾に覆われ、外界からは見えない。
彼女は倦怠感を覚えていたが、それを顔に出す余裕は無かった。
――この宮廷では、常に「王の核」として存在することが求められる。
晩餐が進むにつれ、貴族たちの視線は鋭さを増す。
リーフィスは異質な存在。王の命の源として、この宮廷で最も危険な「異物」だ。
重鎮の一人、宰相ギルベルトが進み出る。
「陛下、オリセア征服、誠におめでとうございます。王女殿下も、遠路はるばるご到着、歓迎いたします。」
微笑を浮かべつつも、冷たい視線はリーフィスを射抜く。
ギルベルトは二つの杯を差し出した。
「ささやかではございますが、我が領地の古酒で陛下の勝利を祝したいと存じます。王女殿下もぜひ。」
エドウィンは表情を変えず、杯を受け取る。
リーフィスは拒否できない――この晩餐会は、王の寵愛を示す儀式でもあるのだ。
杯がリーフィスの手に渡った瞬間、彼女の体内に、微かな異変が走る。
(待って。これは……)
杯のワインを覗き込むと、深紅の液面に微細な毒の魔力の震え。
闇の王の力で分解されることを見越した、純粋な「生命を断つ毒」――
だが、リーフィスの命はすでにエドウィンと直結している。
この毒が王に届けば、彼女の命も危険に晒されるのだ。
躊躇は許されない。
リーフィスは咄嗟に、杯をエドウィンの手に押し戻す。
「陛下、待ってください!」
王の行動を遮る無礼に、広間は凍り付く。
「何をする、鍵よ。」
リーフィスは、もう一方の杯を奪い取った。
広間に静寂が落ちる。
貴族たちの顔から血の気が引く。
「これは…陛下を狙った、毒です。」
リーフィスの声は震えず、ただ王の命を守る使命感だけが響いた。
エドウィンはゆっくりと顔を上げる。黄金の瞳は怒りに燃え、広間を凍りつかせる。
「ギルベルト、この杯を捧げたのは貴様か。」
宰相の顔は蒼白。最後の抵抗を見せる。
「陛下、これは…!王女殿下による濡れ衣でございます!」
「黙れ。」
黒い魔力がギルベルトの身体から噴き出し、一瞬で塵となる。
その存在は、広間から完全に消え去った。
エドウィンの激怒は、広間にいるすべての貴族への警告だった。
リーフィスはもはや単なる王女ではない――
王自身の命そのものなのだ。
王は再びリーフィスに視線を戻す。
「鍵よ。よくやった。お前は、この宮廷で価値を示した。」
強く抱き寄せ、冷徹に告げる。
「決して私の許可なく、王権を代行するな。
お前が生きるのは、私の命を繋ぐためだ。そのことを忘れるな。」
リーフィスは、体温のない抱擁の中で静かに頷く。
毒殺未遂という試練を乗り越え、王の庇護という鎖を、さらに強固にしたのだ。
彼女の瞳は、毒の杯の残骸を見つめる――
王宮の闇の奥に潜む、次なる戦いの始まりを告げていた。
リーフィスは、執務室の椅子に深く沈むように座っていた。
体は冷え、倦怠感が全身を包む。
髪は根元から三分の一ほどが漆黒に染まり、毛先は青黒い光を帯びていた。
毒殺未遂事件の負荷と、エドウィンの呪いの暴発を防ぐ二重の負担で、魔力は枯渇寸前だった。
「…陛下。今日はもう、限界です。」
リーフィスの手のひらからは、逆に冷たい闇の魔力が逆流してくる。
エドウィンは書類を乱暴に払いのけ、リーフィスを一瞥した。
その瞳は人間を見るものではなく、重要な道具を見る目だった。
「これでは、呪いの進行を止められん。昨夜も魔力は安定しなかった。このままでは、核の移植が不完全に終わる。」
リーフィスは、力を振り絞って言い返す。
「貴方は、私を心配しているわけではないでしょう。」
立ち上がったエドウィンは、彼女の前に立つ。
「お前が倒れ、呪いが暴発すれば全てが終わる。核が完全に結びつくまで、絶対的な安定を維持しろ。」
細い顎を掴まれ、冷たい体温が肌に突き刺さる。
「お前は、この闇の国で誰より価値がある。食え。休め。そして回復しろ。これは、命令だ。」
召使が特製の高濃度生命力食を運ぶ。
リーフィスは、冷徹な監視のもと、それを無理やり飲み込んだ。
夜。寝台で丸くなったリーフィスは、咳と寒気に襲われる。
生命力が低下している証拠だった。
エドウィンは隣の寝台から移動し、背後から抱き寄せた。
冷たい胸に身体を預けるしかない状況。
「私の魔力が、体を温め、安定させる。拒否するな。これは自己防衛だ。」
彼の言葉は論理的だが、行動には剥き出しの恐怖が混じる。
それは、彼自身の命の核が危険に晒されている証でもあった。
⸻
リーフィスは咳をしながら問いかける。
「貴方の呪いは…血族の誰かが犠牲になった結果では?」
数秒の沈黙。心臓の鼓動が耳元で速くなる。
「関係ない。過去は、王にとって意味はない。お前が知るべきは、私の命が続く未来だけだ。」
しかし、抱きしめる力は無意識に強まる。
黒く染まった髪の根元が、彼の闇の魔力と共鳴するように光った。
(過去に何かを失ったからこそ、彼は自らの命の核に執着する…)
リーフィスは、彼の支配欲の裏に潜む孤独と深い傷を感じ取る。
⸻
その夜、彼女の夢は炎ではなく、冷たい闇に包まれていた。
命が、ゆっくりと、しかし確実に、闇の王の鎖に絡め取られていく――
リーフィスは、生き延びるため、そして世界を守るために、闇と命を結びつける役割を果たし続けるのだった。
純白の偽りの鍵は漆黒の檻に囚われる〜捨てられた王女と呪われた闇王〜 籔北 ぽん @pon_yabu
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