第5話 純白を隠す闇
リーフィスは寝台へ運ばれていた。
気を失いかけるほどの疲労。
だが意識は途切れず、全身の血管から魔力が抜かれていくような倦怠感に震えていた。
どれほど時間が経ったのか。
目を開けると、部屋の隅にあの側近が立っていた。
冷たい眼差しのまま、盆を手に近づいてくる。
「王からだ。食え。」
盆の上には、異様に大きな塊肉と鮮烈な赤い果実。
オリセアでは見たこともない食材。
「これは……?」
「闇の国には治癒を扱う魔獣師がいる。これは奴らの知恵だ。お前の魔力を短時間で回復させる。――王の命を繋ぐには、お前の健康が必要だからな。」
“お前のため”ではなく
“王のためにお前を維持する”という論調。
冷たさが皮膚に刺さる。
それでも拒否権はない。
リーフィスは肉を口に運んだ。
柔らかく、熱が体に染み渡るような味だった。
リーフィスは口を開いた。
「……王は、どうして自分の呪いを私に話してくれたの?」
魔王が敵国の王女に弱点を晒すなど、常識ではあり得ない。
側近は眉を動かし、すぐに元の無表情に戻る。
「王は無駄な駆け引きを嫌う。お前が本当に“鍵”なのか見極めるためだ。そして、鍵に治癒の意思があるかどうかもな。」
側近は懐から分厚い古文書を取り出した。
黒ずんだ羊皮紙から、重苦しい魔力が滲んでいる。
「これは呪いの起源に関する唯一の記録だ。我々では解読できん。オリセア王家の教育を受けたお前に任せる。」
古文書が、リーフィスの手にずしりと重く落ちた。
巻物を広げる。
そこには遥か古代――
炎、闇、土、氷の四大元素が均衡を失った時、
世界に顕現した “原初の闇” の記述。
一節が、リーフィスの心を掴んだ。
――闇は光を渇望する。光なき闇は、主をも喰らい尽くす。
さらに続く。
呪いは魔法でも病でもない。
“強大すぎる闇” を持つ王族に課される、
世界の均衡を維持するための反作用。
そして、それを相殺できるのは――
「四大元素の調和を象徴する、生命の白光のみ」
胸に戦慄が走る。
……私の白の魔力は、炎の国の血ではなく……もっと古い、もっと根源的な……
側近は淡々と告げた。
「次の治療は、明日の日没後だ。それまでに読み込め。――王は待たない。」
一礼もせず、部屋を去っていった。
古文書を読みながら果実を口に入れる。味は頭に入らない。
私は……オリセアの末女として生まれたのではない。四大元素の均衡のために生まれた“白”……道具……?
故国が、炎の“赤”と異質な彼女を疎んだ理由も腑に落ちる。
彼女の魔力は、王族の規格から外れた、もっと危険で、もっと重要な“何か”だった。
目の前の古文書が告げるのは――
エドウィンを救うこと。闇が彼を呑めば、世界が闇に沈むこと。
そしてその未来を止められるのは、
この白い光を持つ、自分ひとりだという残酷な事実。
リーフィスは震える手を見つめた。
(……この世界の運命が、私に……?)
だが、後戻りはできない。ソレイユの犠牲も、彼女自身の命も、ここで途切れるわけにはいかない。
リーフィスは深く息を吸い、古文書を読み進めた。
漆黒の宮殿で、白の少女は――世界の命運を知る“鍵”となっていく。
治療から三日。
リーフィスの身体には、まだ深い疲労の残滓が渦巻いていたが、与えられた食事と部屋は、オリセア王宮でのどの部屋よりも豪奢で、彼女の回復は驚くほど早かった。
──彼女は生かされねばならない。「鍵」だからだ。
その午後、静かに扉が叩かれた。
「王は今宵の晩餐に、お前を同席させる。」
入ってきたのは、初日に彼女を案内した側近だった。
死人のような顔色は以前と変わらず、声だけが刺すように冷たい。
「晩餐…?誰が来るの?」
側近は無表情で答えた。
「闇の国を支える主要な貴族だ。彼らは、お前が本当に和平のための王女なのか、それとも王を呪い殺すためのスパイなのか、疑念を抱いている。……判断材料が欲しいのだ。」
胸の奥がきゅっと縮む。
敵国の中心で、彼らの目は刃になるだろう。
「王からの命だ。
──お前の白の魔力と純粋さを、闇で覆い隠せ。」
合図とともに侍女たちが入ってきた。
彼女らが差し出した衣装は、リーフィスの息を止めるほど美しく、そして冷酷だった。
私に与えられたのは、漆黒のドレス。
光を吸い込む布地は、黒曜石の刃のように鋭い。
胸元から裾にかけて流れるラインは、彼女の色素の薄い肌をいっそう際立たせ、まるで「闇が白を飲み込む」意図が露骨だった。
髪には深い闇色の飾りが挿され、瞳には濃紫の色を宿すレンズ。
鏡に映ったリーフィスは──まるで別の生き物のようだった。
「本当に……私?」
その呟きに、側近は感情なく答えた。
「王の傍に立つ『偽りの華』……それがお前の役目だ。」
——
晩餐会の大広間は、息を呑むほど冷たかった。
黒曜石の柱が並ぶ空間は、炎ではなく青白い魔石の光で照らされ、明るいはずなのに影が濃い。
貴族たちは皆、暗色の礼装を纏い、リーフィスの姿を見るなり、ざわりと空気を揺らした。
エドウィンが、黒の正装に身を包んで現れる。
その瞬間、広間の温度が変わった。
王の威圧が満ち、誰もが口を閉ざした。
リーフィスは、彼にエスコートされ中央へ歩む。
触れた指先に、エドウィンの魔力が流れこむ──冷たい、底のない闇が。
(……白を、隠している……?)
彼女は悟った。
これは、彼女の本質を隠蔽し、貴族たちに「王の支配下にある従順な女」と誤認させるためだ。
エドウィンは堂々と宣言した。
「紹介しよう。オリセアとの永続的な和平の礎──リーフィス王女だ。今後は私の傍で、ナスリー王国を支える。」
王が肩に触れた瞬間、ざらりと闇が肌に這った。
(これが……“役目”)
リーフィスは微笑んだ。それは気品に満ちた微笑でありながら、内側はひどく孤独だった。
貴族の一人が鋭く問う。
「王よ。あのオリセア王国の王女が容易く下るものか。裏切るのでは?」
エドウィンは、リーフィスの腰を軽く引き寄せた。
その動きは優雅だが、支配者のそれだった。
「裏切り? 彼女は故国に力を理解されず、冷遇されていた。故国への愛などとうに潰えている。今、彼女が愛するのは──私だけだ。」
胸の奥が痛む。
その言葉は「虚構」ではない。
塔に幽閉され、理不尽な扱いを受け続けた記憶が、彼女の心に黒い影を落とした。
この闇が、リーフィスを誘導し覚悟を決めさせる。ここで、この渦中で、生きていくのだと。
リーフィスは、貴族の視線を正面から受け止めた。
「オリセア王国は、色のない力を不吉と決めつけました。私は、力の意味を理解し、必要としてくださるエドウィン王に仕えるだけです。どうかご安心を。」
その声には、エドウィンの魔力が微かに宿り、冷ややかな響きを帯びていた。
貴族たちは、それ以上踏み込むのを諦めた。
しかしリーフィスの注意は別のところへ向いていた。
──エドウィンの右腕。
闇の気配は隠されているが、呪いの脈動が微かに伝わる。
また悪化している……?
そのとき。
広間の扉が勢いよく開かれた。
「王! 緊急の報告です!」
伝令の兵士が駆け込み、息を荒げながら叫ぶ。
「オリセアとの国境に……騎士団長を名乗る者が現れました! 宣戦布告の文を携えて、ただひとりで侵入してきたと!」
その言葉に、リーフィスの心臓が跳ねた。
ソレイユ……!
エドウィンは、そのわずかな震えを逃さない。
王はゆっくりと彼女に顔を寄せ、囁いた。
「──お前の昔の騎士が迎えに来たらしいな、偽りの華。」
耳をかすめる声は甘く、残酷だ。
「彼はどう思っている? お前が裏切ったと? それとも……私に奪われたと?」
黄金の瞳が、愉悦と悪意に光る。
「真実を教えるわけにはいくまい? さあ──」
エドウィンは彼女の腰を抱き寄せ、玉座の前へ歩き出した。
「新しい主の隣で、騎士団長の ‘宣戦布告’ を聞くとしよう。」
リーフィスの心臓は、恐怖と焦りで狂ったように打ち鳴っていた。
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