第2話 炎神に拒まれた純白

今夜は、瘴気が濃い。

新月の闇が深く、月光はない。

魔物の気配ではない。

むしろ魔物すら隠れるほど、空気が禍々しく漂っている。


胸がざわつく。嫌な予感が、確信に変わる。



「ソレイユ――」



ここで、初めて彼の名を呼んだ。

言葉を交わしてはいけない――そんな掟は十分理解している。けれど、声が自然と漏れた。



「やっと俺の名を――」



ソレイユは一瞬、驚いた表情を浮かべた後、微笑んだ。

その微笑を見て喜ぶ余裕など、私にはなかった。



「逃げて!」


「リーフィス?どうしたんだ、その顔は。」


「いいから、逃げて!」



彼の背後に、大きな灰色の影が見えた瞬間、胸騒ぎが確信に変わった。


ソレイユを守ろうと、私は彼を押しのける。



「……っ!」



腕に鈍痛が走る。

目を向けると、そこにいたのは二メートルは超える灰色の狼。

魔物でも、ただの動物でもない――神獣。国に仕える神聖な獣だった。



驚き体勢を崩すソレイユ。


その隙に狼が彼の足に噛みつく。



だが、さすがはオリセア王国の騎士。


受傷した左脚を炎で包み込み、狼の顔を焼き払った。


唸り声をあげ、狼は私たちから距離を取り、後退していった。


なんで獣神がここにいるんだ。


狼を獣神とする国は、闇の国ナスリー王国のはず。国境の魔物の森といえど、ここはオリセア王国の領土。


獣神がいるはずがないのだ。


衝撃を受け固まる私を庇うように前に出るソレイユ。



「リーフィス、下がっていろ。」


「でも、足が、」


「いいから!」



彼の切羽詰まった声に身体がすくむ。


相手は獣神。正直騎士団員1人の力ではどうにもならないだろう。


嗚呼、私が炎の力を持っていたらどれだけ良かったのだろう。一緒に戦えるのに、そばでささえることができるのに。


自身の非力さを実感し、歯を食いしばる。


ソレイユは抜いた剣をなぞり、魔力を込めた。込められた魔力は炎となり、剣の形を大きく変える。


こうなると私のできることは一つしかない。

弱くて、力になれないから、せめて少しでも万全の状態で対峙できるように。



「リーフィス!下がってろって‥」



彼の負傷した左足に触れ魔力を込める。


深く噛まれたのだろう。足の腱も骨も露出していた。


痛みもかなりあるようで、ソレイユの顔からは血の気が引いて、額には汗が流れていた。


それでも怖気付いている様子はなく、狼と対峙する彼はこの国を守る誇り高い騎士そのものだった。



深い傷、これを治すには時間がかかってしまう。


その間に襲われてしまったらと考えるが、できるできないじゃない。やるしかないんだ。


時間がないのは分かっていた。瞬時にありったけの魔力を込めて傷に触れた。



ふわり、と白の光が彼の足を包み込む。



私の力を見て、彼は言葉を詰まらせた。


出血は止まり、口咬部はみるみるうちに治癒していく。


彼にこの魔力を見せるつもりは一切無かった。この魔力のせいで、切り捨てられることになったから。


この国では白は不吉の象徴。


でも、そんなことどうでも良かった。

ソレイユが助かることができれば、それで良かったんだ。


治癒している間にでも襲ってくるだろう。そうなったら身を挺してでもソレイユを守らなければ。



唖然としているソレイユの向こうに対峙する狼と目が合う。


黄金の瞳は驚いたように見開かれていた。そして、次第に私たちから距離を取るように後退し、姿は見えなくなっていった。



どうして?


この隙に仕掛けてきてもおかしくはないのに。


なんで、なんで襲ってこないんだ。


最後に見えた狼の姿は、強く、私たちの姿を目に焼き付けているような印象を受けた。



「‥‥ィス」


「‥‥」


「リーフィス!!」



ソレイユに呼ばれてハッと現実に戻る。



「もういい。足は完治したから。」



その言葉がやっと私に響いたところで、魔力の放出を止めた。


身体から力が抜け、地面に座り込んでしまう。獣神がいなくなったことで安心しただけではない。


これは傷に対して魔力を込めすぎて疲労したのが大きかった。


自分をコントロールできていない証拠だ。



「何だその魔力は。」


「‥‥」


「この世界に治癒魔法は存在しないはずだ。」


「‥‥」


「リーフィス、一体お前は、何なんだ。」



嗚呼、やっぱり……こうなることが怖かった。


一番、絶望させたくなかった彼を――私は絶望させてしまったのだ。



「ソレイユ……」



最後に言葉だけでも、せめて――


頬に手を添えようとした瞬間、耳をつんざく爆音が轟いた。

爆風に吹き飛ばされ、大木に体を打ちつける。


砂埃で視界が歪む中、立っていたのは――



「……久しぶりね。」



炎の如く燃え盛る魔力を纏った、第一王女シャルルだった。



「お姉さま……」



凛とした佇まい。圧倒的な艶と存在感。


彼女の視線に、全身が焼けつくような痛みを覚える。



「とっくに死んだかと思ってたわ。」



蔑むように私を見下ろす声。

焼けるような熱のはずなのに、身体中に悪寒が走る。

高嶺の存在だった憧れの姉は、今や敵――。



「シャルル!」


「変な魔力を感じて、来てみればアンタだったの?」


「シャルルお姉さま、それは――」


「気持ち悪い。私の名を呼ばないで。姉でもないわ。」



仲睦まじかった過去は、霧散した。

目を合わせることすら許されない。

言葉は裏目に出る。


伝えたいことは山ほどあるのに、何も言えない。



「あなたも同罪よ、ソレイユ。」


「……」


「ここで、コソコソと会っていたとはね。」



剣を構えるシャルル。

騎士団長としてのソレイユに向けられたその視線は、非難に満ちていた。



私は、ただ唖然と立ち尽くすしかなかった。



「拘束しろ。これを陛下の元へ連れて行く。」



騎士たちが駆け寄り、瞬く間に後手に組まされる。


ソレイユは私を憐れむように見つめる――



ありがとう、私を照らしてくれた太陽のような存在。


短い時間だったけど、久しぶりに幸せを感じさせてくれたあなたに私は微笑む。



「ありがとう」の意味を込めて。



そして、騎士たちに引きずられるように、森を後にした。




「まだ生きていたとはな。」



喉元に向けられた剣先。



冷たく鋭い刃が、自分の首を貫こうとしているのを感じる。


剥き出しの殺意が肌を刺す――


肉親に向けられる明らかな敵意。


私は、実の父、ケイエール国王に剣を向けられているのだ。



「やはり、あの時に始末しておくべきだったのよ。」



背後から冷たい視線を感じる。


母、アリス。そして姉、シャルル。

三人の視線が、私を鋭く貫く。


城に連れて行かれた私は、拘束されたまま、国王の前に跪かされていた。


周囲にはソレイユの姿もあった。


騎士団長の肩書きを持つ彼の背後には、戦闘態勢を整えた大勢の騎士が並ぶ。



だが、父が私に剣を向けても、ソレイユは庇わなかった。



当然のことだ。騎士として、国王に仕える者として当然の行動。


――それでも、心は悲しみに溢れた。


ここには誰も味方はいない。


私は、ここまでなのだ。


それでもいい、と、どこかで思ってしまった。


むしろ、早くこの手で、誰かに終わらせてもらいたい、とも思ったのかもしれない。

尊敬し、敬愛していた父に命を奪われるのは残酷だけれど、もうそれもどうでもいい。


暗くて寒くて、孤独で、何度も自ら終わらせたくなった日々。


でも、いざとなると痛くて怖くて、誰かに、誰か――と願っていた。


苦しみからの解放が訪れる――そう思った瞬間、なぜか自然に笑みが溢れた。


それが癪に触ったのか、父の手が私の頬を打つ。



「何を笑っている。」


「……」


「私を侮辱しているのか。」


「違います!」



即座に否定するも、届くはずがない。

私の言葉は、誰の耳にも届かないのだ。



「まあいい。最早、お前は不要なものだ。」



父の剣が振り上げられる。

肉親に殺される――そんな現実は、五年前のあの日には想像もできなかった。

しかし今は、不思議と冷静だった。


首を落とされやすいように、私は下を向く。


白く長く伸びた自分の髪――


ただ皆と違っただけ。


何も色がついていなかっただけなのに。


すべてを受け入れるように、目を閉じた。



――その瞬間。


剣戟の音が鳴り響いた。

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