銀の鈴と、軽やかな朝

────── ⛓️鎖を断ち切る⛓️ ──────


「……ぷっ」


 乾いた笑いが、喉の奥から漏れた。

 状況があまりにもシュールすぎた。


 深夜の神社。

 光り輝くスマホの上に、泥だらけの空き缶が鎮座している。

 そしてその横では、タヌキが「どうだ!」と言わんばかりのドヤ顔で、片足を上げたまま固まっているのだ。


「あはは……あはははは!」


 一度決壊した笑いは、もう止まらなかった。

 腹を抱えて笑うなんて、何年ぶりだろう。

 涙が滲むほど笑ったあと、私は大きく息を吸い込んだ。不思議と、肺の奥まで酸素が入ってくる気がした。


 私はそのまま、冷たい石段に座り込んだまま動かなかった。


 空き缶の下で、スマホはまだ微かに振動している。

 でも、あの殺気立った通知音は、こもった音になって遠くに聞こえた。


 思考を止める。

 明日の言い訳も、積み上がったタスクも、今はどうでもいい。

 ただ、目の前の変なタヌキと、静かな夜風だけを感じていた。

 何もしない時間が、熱を持った脳みそをゆっくりと冷やしていく。それは、何年も忘れていた贅沢な空白だった。


 気づけば、東の空が白み始めていた。

 世界が群青色から、淡い紫色へと変わっていく。


「……そっか。見なきゃいいんだ」


 私は空き缶をそっと持ち上げ、震えるスマホを手に取った。

 画面を見る前に、親指で電源ボタンを長押しする。


 ――プン。


 画面が暗転し、黒い鏡に戻る。

 世界からノイズが消えた。

 上司への連絡も、進捗報告も、もう知らない。明日、全部どうにでもなれ。私は今、ここで『檻』を出る。


 私は立ち上がり、鞄についていたチャームに手を伸ばす。

 通勤中、心を落ち着けるために無意識に触っていた、小さな『銀色の鈴』だ。


「これ、あげる。お礼」


 私は鈴を外し、タヌキの前に置いた。

 泥だらけの空き缶と、銀色の鈴。

 物々交換だ。


「ありがとうね。……元気で」


 背伸びをすると、全身の骨がパキパキと鳴った。

 ヒールの音は、来た時よりも少しだけ軽やかだった。


────── 🍃同胞の旅立ち🍃 ──────


 同胞が立ち上がった。

 その変化に、たぬきは鼻をひくつかせた。


 臭くない。

 さっきまで彼女の全身から漂っていた『疲れた雰囲気』が、きれいに消え失せている。


 彼女はたぬきの足元に、キラキラ光る小さな木の実――『鈴』を置いていった。

 そして、振り返らずに光の森の出口へと歩いていく。


 その横顔を見て、たぬきはハッとした。


 薄くなっている。

 あの立派だった『同胞の印目の下のクマ』が、朝日の中で薄らいで見えたのだ。


(そうか。治ったのか)


 彼女は病気だったのだ。

 あの『見えない虫』に血を吸われ、弱っていただけなのだ。

 毛並み肌艶も良くなった今、彼女はきっと、本来の群れへと戻っていくのだろう。


 たぬきは寂しさを振り払い、残された『銀色の鈴』を鼻先でつついた。


 ――チリリン。


 それは、空き缶とも、本坪鈴とも違う。

 繊細で、優しくて、どこか懐かしい音がした。


 遠ざかる背中に向かって、たぬきはもう一度、その音を響かせた。

 さようなら、死んだ目の同胞よ。

 向こうの世界でも、どうか健やかに。


 朝日が差し込む神社の縁の下。

 たぬきは新しい宝物を抱え、満足げに目を細めた。


 世界は今日も、面白い音で満ちている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死んだ目の同胞へ 編纂ミネストローネ @Montesquieu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ