写真家の家系 - A Whiter Shade of Pale
Felis S. Catus
本文
警視庁を退官した父が、小さなカードのようなものを愛おしそうに見つめていた。
膝の上では、オスのアビシニアン「アロン」がへそ天で伸びている。
私は父の隣に座り、腹の毛を撫でた。
「何を見てるの?」
「古い写真だよ。私の父――美紗の祖父が、若い頃に撮ったものだ」
手のひらに収まるそれは、フィルムをマウントしたポジだった。
写っているのは、暗い小さなクラブのステージ。逆光で、オルガンとレスリー、マイクスタンドがシルエットになっている。客席はタバコの煙に溶けて見えない。
なのに、肝心の"人"だけが、どこにもいない。
「Procol Harumっていう、ブリティッシュ・ロックのバンドが、ブレイクする前のステージらしい。でも……誰も映ってないんだ」
「貴重なの?」
「音楽史に残るかもしれない、って言われたくらいだ。でも、あの人は手放さなかった」
父は、ポジの縁を指でそっと撫でた。
「この発色……懐かしいな」
「特別なものなの?」
「コダクローム25だよ。もう作られてない。……だけど、色だけは今でも覚えてる」
「お父さんも使ってたの?」
「冷凍して残してあったK25をね。美紗の"初めてのランドセル"を撮ったのが、最後だった」
「えっ、私の?」
「ああ。あの頃は、まだ現像してもらえた」
父は目を細めた。
「赤が綺麗に映っていたな……もう20年以上前になるのか」
私は少しだけ息をのんだ。写真の色が、急に"家族の時間"に繋がって見えた。
「うちの先祖は、代々写真館をやってたらしい。明治の初めには長崎で写真術を学んだって話もあるし、三代目は人類学者と満州や蒙古を回って遺跡を撮ったそうだ」
「戦前でしょ?何その冒険談。でも、ちょっと憧れるな」
「学者の名前、なんだっけな……ほら、お前の大学の初代文学部長だった人だ。一緒に馬で回ったらしい」
「えっ!なんか意外なところで繋がりがあるんだね」
父は、思い出しそうで思い出せない顔をして笑った。
「四代目だった父は、放蕩者でね。Contax IIIを抱えて世界を巡っては、あちこちの光を持ち帰った」
「えぇ……あのお爺ちゃんが?」
「そして父さんは、写真を学びに大学に行ったはずが、写真解析が本業になっちゃって、知っての通り『鑑識』をずっとやってた」
「それで警察なのね」
「写真館は祖父の代で終わってしまった」
父は笑って、少し遠くを見る。
「なんで、こんな貴重な写真がうちにあるの?」
「たまたま居合わせたイギリスのパブで、この一枚を撮らせてもらったんだろう」
「……曲の直後?」
「そう。世界的に有名になる『A Whiter Shade of Pale』を初披露した直後――みたいなんだ」
「えっ?! 私それ知ってる!」
「そうか、美紗も知ってるのか」
私はポジのステージを見つめる。
人影がないのに、音だけは聴こえてくる気がした。
「でも、あの曲のレコード……録音って、全体的に音が不明瞭だよね」
「あの頃の録音では、それが限界だったんだろうな」
――そうだ。
この曲を、現代の技術で録音したら。
お爺ちゃんが聴いた"あの音"を、私の手で甦らせたら。
私は部屋に戻ってCubaseを立ち上げる。
Vintage Organsから"Whiter Shade"のプリセット。
ドラムは"Abbey Road 60's Drummer"のLater Kit。
歌は、正直得意じゃない。
だから、数あるAIボーカルの中から、双葉湊音を選んだ。英語の専用ライブラリはない。
それでも――きっと、頑張って歌ってくれる。
いつの間にか、アロンがベッドの上から私を見つめている。
顎の下を書いてあげると、スッとどこかへ走って行った。
完成したら、お父さんに聴かせよう。
お爺ちゃんも、どこかで聴いてくれるかな。
そして、この曲に合う写真を撮りに、どこかに行ってみよう。古い石碑とかいいかもしれない。
Zeissレンズの小さいデジカメを持って。
祖父のように撮れるだろうか。
誰もいないステージの、それでも確かに音が聴こえてくるような――そんな一枚を。
写真家の家系 - A Whiter Shade of Pale Felis S. Catus @Felis_S_C
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます