エピローグ:しるしの残響

エピローグ:しるしの残響


雨上がりの夜。

聖マリアンナ中央病院を解体する重機の音が止み、あたりには濡れたコンクリートの匂いが立ち込めていた。


零は壊れたベンチに腰を下ろし、包帯を巻いた右手をじっと見つめていた。

ふと、近くの家電量販店の街頭モニターから、聴き覚えのあるメロディが流れてくる。


*「ダーリン、ダーリン……」*


かつて、あの少女――14歳で母になることを選んだ未希が、病室で小さく口ずさんでいた歌だ。


「……、しるし、か」


零は自嘲気味に呟き、煙草に火をつけた。

異能というまやかしを失い、右手の自由も、名声も、かつての友も失った。今の自分の手に残っているのは、治ることのない神経の痛みと、誰かの血で汚れた傷跡だけだ。


だが、その「痛み」こそが、自分がこの世界で医者として生きた証――『しるし』そのものなのだと、今の零にはわかる。


「九条さん。またそんなところで、体に悪いことしてる」


背後から、美月の声。彼女は温かい缶コーヒーを、零の動かない右手にそっと押し当てた。

「……、熱いな」

「生きてる証拠ですよ」


モニターの中では、歌がクライマックスを迎えている。

『共に生きれない日が来たって、どうせ愛してしまうと思うんだ』


零は、その歌詞を反芻(はんすう)するように、深く煙草の煙を吐き出した。

救えない命もあった。切り捨てられた命もあった。

それでも、目の前で産声を上げたあの赤ん坊の、力強く指を握り返してきた熱だけは、何があっても消えない事実として零の中に刻まれている。


「……。美月。あのガキ、今頃笑ってるかね」

「きっと笑ってますよ。おじいちゃん先生に似て、諦めの悪い子になってるはずです」


零は立ち上がり、シルバーカーを手に取った。

ガラガラと、不器用な音を立てて歩き出す。


神様がくれた異能(ギフト)は、いつか消えてなくなる。

けれど、泥だらけの手で誰かの命に触れ、共に震え、共に抗った記憶は、決して消えない。


「行こう。……晩飯は、なんだ」

「内緒です。でも、先生が好きな味ですよ」


夜の闇に、シルバーカーの音と、消えゆく歌の残響が溶けていく。

零の歩く道には、確かな足跡が――彼が生きた『しるし』が、刻まれていった。


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『神の手(ゴッドハンド)・ゼロ ―異能外科医と絶縁のメス―』 春秋花壇 @mai5000jp

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