第13話 外伝:十四歳の胎動 ―禁忌の生と、泥の産声―

外伝:十四歳の胎動 ―禁忌の生と、泥の産声―


聖マリアンナ中央病院の白亜の回廊は、冷房が効きすぎていて、まるで巨大な保冷庫のようだった。

そこを、一人の少女が歩いている。まだ幼さの残る頬、細い肩。だが、その膨らんだ腹部だけが、彼女の華奢な体躯(たいく)に対して異様なまでの「重さ」を主張していた。


「十四歳……。当院のブランドに傷がつく。理事会は、この件の『早期処理』を決定した」


診断室で、異能医・白銀が冷徹な声を出す。彼の指先には、細胞の成長を止める不気味な青い光が宿っていた。

少女――未希は、震える手で腹を庇った。


「嫌……。この子は、生きてます。愛するために、生まれてくるんです……!」


「愛? 抽象的な言葉だな。それは医学的にはただの、未成熟な母体への致死的な負荷だ。……私の異能で、眠るように終わらせてやろう」


白銀の光が未希に触れようとした、その時。

自動ドアが、蹴破るような音を立てて開いた。


「……、汚ねえ手で触るな。その光が、腐ったドブの匂いを撒き散らしてるぞ」


泥まみれのブーツ。ボロボロのコート。九条零だ。

彼は白銀の腕を、左手一本でギリリと捻り上げた。


「九条……! 貴様、また邪魔を……! これは医療界の倫理を守るための――」


「倫理? 腹が痛いぜ。あんたが守りたいのは、病院の面面(つら)だろ。……このガキの腹から聞こえる音、あんたにはノイズにしか聞こえないのか」


零は未希の前に立ち、その鋭い眼差しで彼女を射抜いた。

零の鼻には、少女から漂う安物の石鹸の香りと、それを上書きしようとする「剥き出しの生命の胎動」の熱い匂いが伝わってきた。


「……十四歳。……あんた、わかってんのか。愛だの何だの言ってるが、そいつはあんたの命を吸い取って、あんたの未来を食い潰して、無理やり外に出ようとしてるバケモノだぞ」


未希は零を睨み返した。瞳には涙が溜まっているが、その奥の光は消えていない。

「……、わかってます。でも、この子は、私を選んでくれたんです。……助けて、おじさん」


零は鼻で笑った。

「……、おじさんか。代金は高くつくぞ。……あんたのこれからの人生、全部、この『生きようとする塊』に捧げる覚悟があるなら、その喧嘩、買ってやるよ」


---


数時間後。聖マリアンナ病院の裏路地にある、廃墟のような旧病棟。

緊急の陣痛が、未希を襲った。

異能による「無痛」も、最新の「自動分娩管理」もない。

あるのは、零が用意した冷たい水と、古い毛布。そして、消毒液の匂いさえしない、埃っぽい闇だけだった。


「ひ、……あ、あああぁぁぁッ!!」


未希の悲鳴が、古い壁に反響する。

「……、そうだ。叫べ。それが命を絞り出す音だ」


零の右手が、激痛と共に包帯の下で蠢(うごめ)いた。

彼は未希の腹部に手を置いた。異能は使わない。だが、指先の感触だけで、胎児の頭の向き、産道の開き具合、そして未希の心臓が限界に近いことを瞬時に悟る。


「……。白銀たちが言った通りだ。あんたの体は、まだ子供だ。骨盤が、この命を外に出すのを拒んでやがる。……このままじゃ、二人とも死ぬぞ」


「……、嫌、……出してください! この子を、外に……!」


未希の指先が、零のコートを強く握りしめた。彼女の爪が、零の皮膚に食い込み、血が滲む。

零はその痛みを、心地よく感じた。


「……。いいか、今から俺が、あんたの体を作り変える。異能(まやかし)じゃない。俺のこの手で、物理的に、命の通り道を作る」


零は、左手でメスを握った。

会陰(えいん)切開。

麻酔はない。零の左手が、一寸の狂いもなく走る。

「……、ぐ、あぁぁぁッ!!」


「吸え! 吐くな、吸い込め! ……そうだ、その熱を全部、腹の下に叩き込め!」


零の右手――神経を繋ぎ直したばかりの、あの壊れた手が、未希の腹部を優しく、かつ力強く圧迫した(クリステレル胎児圧出法)。

指先に伝わる、小さな、けれど爆発的なエネルギー。

零の脳内には、少女の産道の細胞一つ一つが、悲鳴を上げながら道を開いていく様子が、血の匂いと共に描き出される。


「……、来いッ! 神様なんて頼るな、あんたの力で、そいつを引き摺り出せ!!」


ドロリとした羊水の匂い。

鉄のような血液の匂い。

そして、すべてを打ち消すような、圧倒的な「生の爆発」。


「……、ギャアアアア、ギャアアアア!!」


古い病棟に、一筋の産声が響き渡った。

それは、聖マリアンナ病院の最新機器では決して聴くことのできない、暴力的なまでに美しい「生の宣言」だった。


---


未希の腕の中。

血と脂に塗れた小さな塊が、力強く拳を握っている。


「……。生まれた……。私の、赤ちゃん……」


未希の顔には、十四歳の少女には到底似合わない、慈愛と凄絶な覚悟が入り混じった笑みが浮かんでいた。

零は、血に濡れた手を洗いもせず、窓際で煙草に火をつけた。

紫煙が、冬の冷たい空気の中に溶けていく。


「……。愛するために生まれてきた、か。……ふん。……あいつ、最初っから、死ぬ気なんて一ミリもなかったぞ。あんたの腹の中で、俺の指を思いっきり蹴り飛ばしやがった」


零は窓の外を見つめた。

遠く、聖マリアンナ病院の本棟が、朝日に照らされて輝いている。

そこには、地位も名誉も、魔法のような異能もある。

だが、この廃墟のような小部屋にある「熱」だけは、あそこには永遠に届かない。


「……、九条先生。……ありがとう」


未希の小さな声に、零は背を向けたまま答えた。


「勘違いするな。俺はあんたを助けたんじゃない。……そのガキの『諦めの悪さ』に、ちょっと加勢しただけだ」


零は、重いブーツを鳴らして部屋を出ていった。

廊下には、彼の背中を見送る、赤ん坊の泣き声と、新しい朝の匂いが満ちていた。


神様なんていない。

けれど、泥だらけの手で繋ぎ止めたこの命は、確かに今、この世界で、一秒ごとの奇跡を刻んでいる。


零のシルバーカーが、朝のアスファルトを軋ませる。

その音は、まるで新しい世界の始まりを告げる、不器用な祝砲のようだった。


(外伝:完)


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