第9話:崩壊する聖域 ―理事長の不老不死―
「……、あ、が、……ッ!」
断末魔にもならない湿った音が、聖マリアンナ中央病院の最深部、地下五階の重厚な防音壁を震わせた。
そこはもはや「病院」ではなかった。
壁一面を這い回る半透明のチューブには、どろりとした蛍光色の液体が流れ、その先は「カプセル」に閉じ込められた医師たちへと繋がっている。
かつて異能を誇ったエリートたちが、今はただの『電池』として、その脳と脊髄からエネルギーを吸い取られていた。
室内に充満するのは、焦げた蛋白質の臭いと、あまりに高濃度な異能の残滓が放つ、頭の芯を殴りつけるようなオゾンの悪臭。
「素晴らしい。やはり異能(ギフト)とは、個体で所有するには勿体ない資源だ」
中央の巨大な培養槽の前で、理事長・大河原(おおがわら)が全裸で立っていた。彼の肌は、吸い上げた他人の異能によって異常に活性化し、赤ん坊のように瑞々しく、不気味な光を放っている。
「理事長……、私を、助けて……」
チューブに繋がれた白銀(しろがね)が、虚ろな目で手を伸ばす。大河原はその手を、ゴミを見るような目で見下した。
「白銀、君は光栄に思うべきだ。君の『細胞活性』が、私の不老不死の最後の欠片になるのだからな」
その時。
「ドォォォォォンッ!!」
鋼鉄の隔壁が、内側から爆破されたかのようにひしゃげ、吹き飛んだ。
煙の中から現れたのは、右腕を血に染まった包帯で吊り、左手一本で巨大な医療用斧を担いだ零(れい)だった。その後ろには、恐怖に顔を引き攣らせた、生き残りの医師たちが武器(メスや除細動器)を手に立ち尽くしている。
「……、悪趣味なインテリアだな、理事長。死臭がここまで漂ってきてるぞ」
零の瞳は、激痛に耐えながらも、獲物を狙う狼のように鋭かった。
「九条……。まだ生きていたのか。その死に損ないの右手で何ができる?」
「俺の右手は死んでない。……お前に殺された連中の執念で、今最高に熱いんだよ」
零は背後の医師たちを一瞥した。かつて自分を裏切り、嘲笑った連中だ。
「おい、ゴミ共。……見ての通り、ここは屠殺場だ。あそこに吊るされてるのが明日のあんたらだぞ。……死にたくなければ、その震える手で『医者』らしい真似をしろ。異能がなきゃ何もできない赤ん坊のまま、ここで死ぬか?」
零の怒声に、医師たちがビクリと肩を揺らす。東雲(しののめ)が、震える手で持針器を握り直した。
「……九条。……お前の言う通りだ。魔法が解けてから、ずっと怖かった。……でも、あんな風に『部品』にされるのは御免だ!」
東雲を先頭に、医師たちが咆哮を上げて突っ込んだ。
彼らは異能を奪われても、まだ解剖学の知識と、わずかな勇気が残っていた。チューブを切り裂き、仲間を救出しようと這いずり回る。
「愚かな……! 凡人共が群れたところで、神に届くはずがない!」
大河原が手をかざすと、奪い取った無数の異能が暴走し、衝撃波となって零を襲う。
零は、繋ぎ直した右手の包帯を口で解いた。
「神様か。……お前みたいな不潔な神様、俺の解剖録には載ってねえんだよ」
零の右手が、激痛を伴って覚醒した。異能ではない。執念が脳を焼き、神経を強制駆動させているのだ。
零の鼻には、大河原の瑞々しい肌の奥に隠された「無理な細胞分裂の歪み」から生じる、焦げ付いた細胞の死の匂いが手に取るように分かった。
「東雲! 左のチューブを断て! 白銀、そこにある除細動器の出力を最大にして、培養槽の底へ叩き込め!」
零の指示が飛ぶ。
かつてバラバラだった医師たちが、零という「核」を中心に、一つの巨大な外科チームとして機能し始めた。
それは異能による奇跡ではなく、緻密な戦略と、泥臭い連携による「攻城戦」だった。
「……、今だ!!」
零が叫ぶと同時に、除細動器の閃光が培養槽を貫いた。
「パリンッ!」
強化ガラスが粉砕され、不老不死の液体が床にぶちまけられる。
「あ、……あぁぁぁッ! 私の、私の永遠がぁ!!」
大河原の若々しかった肌が、一瞬で老婆のように萎び、黒ずんでいく。異能という他人の血を啜って維持していた偽りの命が、一気に腐敗へと反転したのだ。
零は、崩れ落ちる大河原の胸ぐらを掴み、その耳元で冷たく囁いた。
「理事長。……あんたのオペ、予約なしで受けてやるよ。……麻酔抜きだ、じっくり『生身の痛み』を味わいな」
地下室に充満していたオゾンの臭いは、大河原が流す「本物の汚れた血」の匂いにかき消されていった。
崩壊する聖域。
鳴り止まない崩落の音。
零は、右手の痛みに耐えながら、狂気に満ちた「神の実験場」を、一歩ずつ踏み潰すようにして進んでいった。
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