第2話:腐った黄金の左手 ―傲慢な天才の失墜―
「……止まれと言ったら、止まるんだよ。僕の異能は、神の意思なんだから」
聖マリアンナ中央病院、第二オペ室。若き天才と持て囃される外科医、金城(かねしろ)が、傲慢な笑みをマスク越しに浮かべていた。彼の指先が患部に触れるたび、溢れ出す鮮血がピタリと「停止」する。異能『瞬間止血(スタシス)』。
「見てくださいよ、この綺麗な術野。吸引(サクション)もいらない。僕のオペは、一滴の血も汚さない『黄金の芸術』なんです」
金城は、血管の剥離を疎かにしたまま、力任せに組織を割っていく。本来なら、緻密に血管を結紮(けっさと)し、慎重に進めるべき難所だ。だが、彼は止血の異能に甘え、面倒な基礎をすべて「停止」という魔法で踏み倒していた。
術後、金城が優雅に手袋を脱ぎ捨てた一時間後のことだ。
「……せん、先生! 患者の血圧が急降下しています! 腹部が異常に膨張して……!」
看護師の悲鳴が病棟に響いた。金城が異能で強引に止めていた「血の氾濫」が、彼の集中が切れると共に、一気に決壊したのだ。
「そんなはずはない! 僕の『スタシス』は完璧だった! 何かの間違いだ!」
金城が再手術室に駆け込むと、そこにはすでに先客がいた。
カビ臭いコートを脱ぎ捨て、不格好なスクラブを強引に纏った男――零だ。
「……遅いな、黄金の左手。お前の『芸術』が、今、下水のように溢れ出してるぞ」
零の声は冷たく、術野に溜まった血の、生暖かい鉄臭さを切り裂いた。
「九条零! どけ、僕の患者だ! 僕の異能があれば……!」
「黙ってろ、未熟者が。お前が止めていたのは血じゃない。『時間』だ。血管を傷つけた事実は消えない。お前が魔法に酔いしれている間に、この患者の身体の中では、無数の微細な血管が、お前に引き千切られた痛みに泣き叫んでいたんだよ」
零の左手が、血の海の中に迷いなく沈み込んだ。
金城が必死に異能を使い、光の粒子を振りまく。だが、あまりに多箇所からの出血に、彼の『スタシス』は追いつかない。
「止まれ! 止まれよ! クソッ、なんで止まらないんだ!」
「無駄だ。お前の脳が、血管のすべての走行を把握してなきゃ、その異能はただのザルだ。……どけ。本物の『解剖学』を教えてやる」
零は金城を肩で突き飛ばすと、錆びた銀色のトレイから、古いピンセットとメスを手に取った。
零の動きには、一切の躊躇がなかった。彼は血の海を覗き込むことさえせず、指先の感触だけで「正解」を探り当てる。
「……ピンセットを。……そうだ。ここだ」
零の指先が、ぐちゃぐちゃになった組織の裏側に滑り込む。
「カチッ」
血管をクランプする音が、金城の異能が発する耳障りなノイズを黙らせた。
「嘘だ……そこはまだ出血してないはず……」
「いや、ここから漏れる。一秒後に、隣の静脈を圧迫して破裂させるルートだ。……金城、お前は血管を『点』でしか見ていない。だが身体は『線』で繋がっているんだ」
零は、止血の異能を一切使わず、ただの糸と針で、損傷した血管を次々とバイパスしていく。その手並みは、まるで闇夜で複雑な刺繍を編み上げる職人のようだった。
「……ガーゼ」
零が短く促すと、看護師が血に染まったガーゼを差し出す。零はその重さを一瞬だけ左手で量り、ゴミ箱へ放り捨てた。
「金城、この患者の出血量、今ので合計842ミリリットルだ」
「な、……そんなの、吸引した量を計算しなきゃわかるはずが……」
「掌に神経が通ってりゃ、重さでわかる。お前は異能に頼りすぎて、自分の手の感覚すら腐らせたんだ。……黄金の左手? 笑わせるな。お前の手は、ただの『金メッキの文鎮』だ」
零の最後の一針が終わる頃、モニターの心拍音は、規則正しい安らかなリズムへと戻っていた。
金城は、力なく壁に背中を預け、ずるずると床に座り込んだ。彼の自慢の左手は、恐怖と屈辱でガタガタと震え、もう光を放つことさえできなかった。
「……あ、ありえない。僕の異能を、ただの技術が超えるなんて……」
「技術じゃない。執念だ。お前が魔法の練習をしてる間に、俺は何万体もの死体を解剖し、血管の、一本一本の、その先の震えまで指に叩き込んだ」
零は血に濡れたスクラブを脱ぎ捨て、再び雨の匂いが染み付いたコートを羽織った。
「金城、お前の『黄金』はもう剥げた。明日から、その左手でゴミ拾いでも始めるんだな。……ああ、ゴミの方がまだ、お前の手より価値があるかもしれないが」
零は一度も振り返らず、オペ室を後にした。
残された金城の鼻腔には、自分が流させた患者の、鉄臭い血の匂いだけがいつまでも、いつまでもこびりついて離れなかった。
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