『神の手(ゴッドハンド)・ゼロ ―異能外科医と絶縁のメス―』
春秋花壇
第1話:死神の帰還 ―鉄の匂いと、偽りの奇跡―
「……、止まれッ! 止まれ、止まれ、止まれ!!」
聖マリアンナ中央病院、第一オペ室。
術者の白銀(しろがね)の絶叫が、防音壁に跳ね返った。彼の周囲には、目に見えるほどの「青い光の粒子」が渦巻いている。異能『細胞活性(バースト)』。その超常の力が、開胸された患者の心筋に直接注ぎ込まれていた。
「白銀先生、血圧が計測不能です! 心拍、まだ戻りません!」
モニターの警告音が、死神の足音のように室内に響き渡る。
室内に漂うのは、焼けた肉の匂いと、異能が放つオゾンのようなツンとした刺激臭。白銀の額からは脂汗が滴り、その瞳は血走っていた。
「黙れ! 私の異能で治せないはずがない! 心筋よ、動けッ!」
白銀がさらに出力を上げた瞬間だった。
――グチャリ。
湿った生々しい音が、静寂を切り裂いた。
過剰なエネルギーを流し込まれた心臓が、限界を超えて「爆発」したのだ。心筋はボロ雑巾のように裂け、鮮血が術野を真っ赤に染め上げた。白銀の白い防護服に、ドロリとした熱い液体が飛び散る。
「……あ、……あ……」
白銀の指先から、青い光が消えた。
血の海に沈んだ肉の塊。それはもはや、心臓とは呼べない代物だった。
スタッフたちが凍りつく中、自動ドアが「プシュー」と無機質な音を立てて開いた。
「異能(おもちゃ)を使いすぎて、壊しちまったか。……相変わらず、ガキみたいな真似をする」
低い、地這うような声。
そこに立っていたのは、泥まみれの軍用ブーツを履いた男だった。
ボロボロの黒いコートを羽織り、髪は無造作に伸びている。清潔を極めたオペ室において、その男の存在は「不潔な死」そのものだった。だが、男の瞳だけは、極寒の海のように深く、澄んでいた。
「九条……零……! 貴様、なぜここに! 警備員はどうした!」
白銀が震える指で男を指差した。
零は返事もせず、無造作に白銀の横を通り抜けた。彼から漂うのは、安物の煙草の匂いと、雨に濡れた土の匂い。
「白銀。お前、さっきから何を見てる?」
零は血の海に手を突っ込んだ。手袋もしていない、生身の右手だ。その手の甲には、かつて「神経を断たれた」ことを示す、醜い縫い傷が蛇のように這っている。
「な、何をする! 素手で触れるな! それはもう死んだ肉だ、私の『バースト』でも治せなかったんだぞ!」
「ああ、そうだろうな」
零は目を閉じた。
指先から伝わる、ヌルりとした血液の滑り。裂けた筋肉の断面の、ザラついた感触。微かに残る、細胞の最後の「震え」。
零の脳内には、目で見える映像よりも遥かに鮮明な「立体図」が組み上がっていく。
「お前は『光』を見て悦に浸っていただけだ。だが、心臓は光じゃ動かない。物理だ。……白銀、お前の異能はただの『電池』だ。電池が切れたら何もできない玩具野郎が、医者面するな」
「貴様……ッ!」
「どけ。……メスを。いや、裁縫道具で十分だ」
零は白銀を突き飛ばすと、看護師の手から無理やり持針器を奪い取った。
彼が動かしたのは、神経が死んでいるはずの右手ではない。左手だ。
その動きは、もはや「速い」という次元を超えていた。
チッ、チッ、チッ。
針が肉を通る繊細な音が、警告音の隙間を縫うように響く。
零の左手は、裂け、弾け、原型を留めない心筋の破片を、一本の糸で「編み直して」いく。
異能のような派手な光はない。ただ、圧倒的な「正確さ」だけがそこにあった。
「……信じられない……」
助手の医師が呟いた。
零の指先は、血液で視界が塞がれた術野の中でも迷わなかった。指先の「触覚」だけで、縫うべき血管の断端を探し当てているのだ。
「……見ろ。心臓が、泣いてるぞ」
零の言葉と共に、彼の手が止まった。
縫い合わされた「心臓だったもの」が、零の掌の中で、ピクリと震えた。
ドクッ。
微かな、けれど確かな拍動。
モニターの平坦な線が、鋭い山を描いた。
「戻った……心拍、再開しました! 血圧、上昇!」
オペ室に、信じられないというような溜息が漏れる。
零は、血に濡れた左手で、自身の動かない右手をそっと包んだ。
白銀は、床にへたり込んだまま、その光景を呆然と見つめていた。自分が全出力を注いでも壊しただけの命を、男は「ただの針と糸」で繋ぎ止めたのだ。
「九条、お前……その右手は……」
「ああ、動かないよ。だがな、俺のメスには電池はいらない」
零は、血に汚れたコートの襟を立てた。
彼の鼻には、ようやく「鉄の匂い」の中に、患者が吐き出した微かな「生の呼気」が混ざったのが分かった。
「……代金は、後で理事長に請求しておく。白銀、お前の地位と、その高価な異能の維持費……丸ごと頂くぞ」
零は振り返ることもなく、重いドアを蹴破るようにして去っていった。
廊下には、彼のブーツが残した泥の足跡と、強烈な「人間」の匂いが残されていた。
白銀は、血まみれの自分の手を見つめ、歯を食いしばった。
そこにはもう、何の光も宿っていなかった。
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