日々の冒険
よしむらさくらこ
日々の冒険
蝉が鳴いている。すぐ横をとおる車の音が、なぜか遠くに感じられる。午後三時、最高気温39度。暑さと目元に落ちた汗で、アスファルトが水彩画みたいに歪んでみえた。今日に限って日傘を忘れている。両手の紙袋が重い。わたしはとにかく一刻も早く家に帰りたくて、大股で歩いていた。
今日はリボンちゃんの誕生日だった。
∞ ∞ ∞
扉を開ける。レモンの匂いがする。
「ただいま!」
返事はなかった。
靴を脱いで玄関を上がり、廊下左手のキッチンへ向かう。冷蔵庫を開けると魚が泳いでいる。HARBSのケーキを冷蔵庫の中に入れて、脱衣所へ向かう。汗でべとべとになった服を脱いで洗濯機に放り込み、浴室のドアを開けるとそこはジャングルだったが、浴室がジャングルであることにももう慣れっこだった。蛇に挨拶をして、大きな葉っぱを避けながら一瞬でシャワーを浴びた。タオルで髪を拭きながら浴室を出る。わたしはシャワーにかかる時間の短さが誇りだった。
脱衣所の横の部屋は衣裳部屋になっている。衣裳部屋には窓が無く、夏でも涼しい。市松のタイルの床がひんやりと心地いい。お洋服がたくさんあって、かくれんぼに最適な部屋。銀色の額縁がついた大きな姿見が、部屋を3倍に見せている。
お気に入りのワンピースを着て髪を乾かして、そっとリビングに入ると、ドラセナに囲まれたソファで、リボンちゃんがうつくしい手足を投げ出して眠っていた。烏みたいな黒髪が流れるように肩にかかって、ソファに散っている。パジャマは水色のサテンに赤のパイピング、つやつやに光る貝ボタンをだらしなく留めている。暑かったのかショートパンツは履かず、折り曲げた足の隙間から、レースの下着が見え隠れしていた。古ぼけた赤いヴィクトリアンソファはわたしには大きすぎたけど、リボンちゃんの長い手足にはぴったりで、嘘みたいに様になっていた。
「リボンちゃん、起きて」
リボンちゃんの本当の名前をわたしは知らなかった。本当の名前なんて無いのかもしれないとわたしは思っていた。リボンちゃんは魔女で、インターネットで7000ページの本を売っていた。
「リボンちゃん、起きて」
「……………、収容所には戻りたくない………………、」
「収容所じゃないよ、起きて」
リボンちゃんのまつげがふるえる。宝石みたいな瞳。リボンちゃんの赤みがかった瞳は、角度によって緑にも青にも見えて、奥の方にラメがきらめいている。お人形みたいで不思議な瞳。
今日もリボンちゃんの周りでは魚とカエルがくるくる遊び、カナリアがうちわをデコっていた。
わたしたちはこの秘密基地みたいな3LDK を別荘と呼んでいた。別にここ以外に家があるわけではなかったが、どこか違う場所に本当の家があって、わたしたちは家出をしている、そんな気がしていた。
「起きて、誕生日でしょ」
「ん~~~~、、」
「HARBSのケーキあるよ」
「うそ!?!? 天才!」
リボンちゃんは勢いよく身体を起こして、洗面台へ走っていった。
∞ ∞ ∞
「今日はどこに行こう、」
ケーキにフォークを差してリボンちゃんは言った。リボンちゃんは魔女だった。リボンちゃんはいろんな魔法が使えたが、わたしのお気に入りは物語の中に入る魔法だった。
「う〜ん、」わたしは考えた。39度の日本は暑すぎると思った。
「どこか涼しいとこに行こうよ」
「そうだなあ」
「めちゃめちゃ涼しいところ」
「涼しいとこか~~~、」
「上高地テレビで観て良さそうって思ったんだよね。どう、」
「上高地もいいけどねえ……、例えば雪山、なめらかな氷……、」
次の瞬間、わたしたちは氷原にいた。
冷たい空気は薄荷ドロップの匂いがする。
手に持ったフォークがどんどん指先の熱を奪っていく。フォークの先に刺さったHARBSのメロンケーキも、あっという間にアイスケーキになってしまった。食べてみる。アイスケーキになってもHARBSのケーキはおいしい。
「涼しい〜!」リボンちゃんは嬉しそうだ。「わ〜、ペンギンさん、こんにちは」リボンちゃんは皇帝ペンギンに挨拶をしている。「わたしはリボンです。あなたのお名前は?」
「わたしの名前はウィトゲンシュタイン」
「イカしてますね。最近いかがお過ごしですか」
「海面上昇が心配ね」
「ですよねえ〜、」
「ですよねえ〜ではない!」
涼しいというか、寒い。絶対にワンピース1枚で来るところではない。そう思っていたらリボンちゃんが上着を貸してくれた。辺りを見回す。南極かな。どこまでも続く氷原が太陽を反射して眩しい。遠くにペンギンの群れがみえた。リボンちゃんは楽しそうにペンギンと滑り出している。
「ここには住めないな……」
リボンちゃんを追いかける。わたしはスケートシューズを履いていた。くるくる回ると氷に有機的な曲線が描かれる。それが楽しくて、夢中になっていると、気づいたらペンギンの群れへたどり着いていた。リボンちゃんがこちらに気づき、長い手足で器用に飛び跳ねながら近寄ってくる。
「さん、に、いち、えいっ」
と目隠しをされ、次の瞬間、あしのうらがあつくなった。
砂の感覚がする。
目を開けると、砂漠だった。
∞ ∞ ∞
「あつ、」
「暑いね」
「日本より暑いねえ」
「サウナみたい」
「あ、オアシスあるよ」
「全然聞いてないな」
「なんかだ〜れもいないね」
「砂漠だからね」
「ね、あそこ、飛行機が墜落してない?」
「え〜? ラジコンだよ」
「そうかなあ、、」
「そうだよ」
「それよりラクダ乗ってみたくない?」
「乗せてくれるかなあ」
「大丈夫だよ」
「オアシスついたらココナッツ割って飲もうよ」
「いいね〜」
そんな感じで、わたしたちはいろんな場所を旅した。砂漠では蟻地獄に巻き込まれて、次のジャングルでは探検隊の人たちと一緒にワニに追いかけられてびしょびしょになったり、風力発電所でガイドさんの話を聞いたかと思えば富士山火口でマグマを観察し、洞窟に入ってリボンちゃんが知らない虫を捕まえてきたり、男女混浴のサウナに入ったり(北欧では普通のことらしい。本当かな?)スシローでお寿司を全種類食べたり、知らない人たちと一緒にプリクラを撮ったり、ふたりで服を揃えてロリィタお茶会に参加したり(参加者がみんなウサギだった!)、天使のコスプレをして雲の上を散歩したり、ヴェルサイユ宮殿の庭でかくれんぼしたり、中国の大きな湖の蓮の上を散歩して、トルコの絨毯屋さんでいちばんかっこいい模様を探して、オーストラリアの羊の上で寝そべって、それで…………、
∞ ∞ ∞
リボンちゃんが手をたたいた。その瞬間、視界が暗くなった。夜だ。星空の間を雲が泳ぐ。鳥がチカチカと光りながら飛んでいる。リボンちゃんはわたしの手をひいて歩き出した。月の光に照らされて合歓の木の白い花がゆれている。ジジジ、ジジジ、と小さな虫の鳴き声が聞こえた。中庭、夜の学校。石畳にふたりの影だけが落ちる。わたしたち以外のすべての人間がベッドに入って眠る、静かな世界だった。
「ここは?」
「midiの実家だよ」
midiというのはリボンちゃんが飼っている小さなカナリアの名前だった。日本語をすらすらと話すことができたので、暇なリボンちゃんの一番の話し相手だった。midiは日本語だけではなく、フランス語と中国語とアラビア語を話す。midiは頭脳明晰な3歳の女の子で、最近、株式投資と資産形成に興味津々だった。
「midi……、校庭生まれなんだね」
校舎を見ると明かりが灯っている。こつんとなにかに躓いて、転びそうになった。足元を見ると、小さな星が落ちていた。金平糖のような形の星で、淡く光っている。コアントローのボンボンに似ていた。
「作りかけの星!」とリボンちゃんは笑った。
「作りかけ?」
「そう、」
リボンちゃんが星を拾った。
「鳥たちが親に内緒で内職してるの、」
鳥は将来が心配だからお金稼ぎが趣味なんだよ、星を作るのはAIにはまだ難しいから、とリボンちゃんは言って、作りかけの星を拾ってわたしに手渡した。リボンちゃんの手はさらさらしていて冷たくて気持ちがいい。将来が心配なのは人間だけじゃないらしくて少し安心した。手を引かれるがままに校舎に入る。
「夜の学校は、」
と、リボンちゃん。
「鳥たちの秘密基地って、昔から相場が決まってるの」
「そうなの?」
「そうなの」
ふふ、と笑ってリボンちゃん。
「星空は、夜の学校で、鳥たちが作ってるんだよ! 知ってた?」
∞ ∞ ∞
校舎に入ると、本当に鳥たちが星を量産していた。星のとげとげ部分をつくる鳥、つるつるに星を磨く鳥、工程の一部は機械化され、さながらお菓子工場だった。リボンちゃんは星空作りに関する様々なうんちくを教えてくれたけど、作業しているところを見るのははじめてだったようで、驚いている。
「は~ん、これが星空工場ですか」と、リボンちゃん。
「あらこんにちは、背の高いお嬢さんたち」とムクドリのお姉さん。「背の高いお嬢さんたちに、こちらの月の取付係をお願いしても?」
「まかせろ!」と、リボンちゃん。
そうして、わたしたちは月の取り付けを手伝うことになった。500mはあろうかという長い脚立にそうっと登る。300段登ったところで下を見ると、足元に小さな街が輝いて見えた。「すごい高いね!」リボンちゃんはニコニコ笑顔で興奮していた。きれいな髪が、ぱたぱたとたなびいている。
脚立のてっぺんに着いたら、腰につけていた紐を宇宙のへりに引っ掛けて引っ張る。そうすると、紐に繋がれた月が、ゆっくり下からのぼってくる。地道な作業だった。毎晩こうやって月を持ち上げている職人がいるのかな。みんな、高所作業の資格を取るのかも。ノウハウが業界で共有されてたりするんだろうか。知らないことがたくさんありそうだと思った。
見えないくらい遠くにあった月は、時間をかけてゆっくりとわたしたちの元まで到達する。そっと位置を調整して、金具で固定する。月はぴかぴかに輝いていて、いい仕事をした感じがして、嬉しくなった。
「ね、月の上いこうよ!」
リボンちゃんがそう言った瞬間、わたしたちは月の上に立っていた。
∞ ∞ ∞
月の表面はきらきらしている。
「月で二重跳び、してみたかったんだよね」
と、リボンちゃん。鞄をあけてごそごそ、なにをしているのかと思ったら、縄跳びを取り出して二重跳びをはじめた。長い手足と美しいフォームで体操選手みたいにきまっている。フワフワの重力を利用して、四重跳び、八重跳び、十六重跳びにも挑戦しようとしている。その様子をしばらく眺めていたけれどわたしはすぐに飽きてしまい、散歩に出ることにした。
月の上は静かでとても広い。でこぼこの地面とどこまでも続く宇宙、ぜんぶを独り占めしている気持ちになって、嬉しかった。
少し歩くとガサガサと物音がした。見ると、シャベルを持った小人がふたりいる。ふたりは地面に向かって、一生懸命穴を掘っているみたいだった。
「こんにちは。なぜ穴を?」
「落とすためです」
「落とすって何を?」
小人たちは顔を合わせてさっと隠れてしまった。恥ずかしがり屋みたいだった。
二重跳びに飽きたリボンちゃんがこちらに向かってくる。でこぼこの地面に何度もつまずいて転びそうになっていたけど、最終的にはケンケンパで乗り切っていた。
「歩きづらいね」
「登山用の靴がいるね」
「おなかすいたあ~」
「おにぎりあるよ」
「さすがじゃん」
わたしたちはクレーターのへりに座って、おにぎりを食べることにした。珊瑚みたいな地面をさわると手にラメがついた。梅干しと鮭があって、わたしが鮭。リボンちゃんは鮭のおにぎりを食べない。魚の友達が多いから、かわいそうになってしまうのかも。
「お茶もあるよ」
「ありがとう」
ふと後ろを振り返ると、大きな地球が、いまにも落ちてきそうに迫っていた。
「なんか……、」
「ん?」
半分だけ夜の地球。半分の人が眠っていて、半分の人が起きている地球。海や雲や電気が、きらきらと輝いてみえた。
「地球もきれいだねえ……」
「そうだねえ」
「ね、このまま泊まっていきたいね。」
「寝るには地面がごつごつしすぎてるよ……、そうだ!」
と叫んでリボンちゃんは勢いよく立ち上がった。
「屋上でキャンプしよ!」
その瞬間、風景が一瞬で変わって、わたしたちは部屋に帰ってきていた。机の上には飲みかけの紅茶、首を振る扇風機、オレンジ色の日差しが斜めに差している。ドラセナと魚が息をひそめてささやき合う、わたしたちの別荘。時計を見ると十七時半だった。
∞ ∞ ∞
それからわたしたちは、倉庫に仕舞ってあったテントを引っ張り出して、屋上へ運んだ。延長コードも用意して、プロジェクターを箱から出して、雲の形のネオンライト、ビー玉、魚のぬいぐるみ、ふとん、ティーセット、ブランデー、カップ麺とティファールを屋上に運び、そうこうしているうちにどんどん日が暮れる。オレンジ色だった空はピンク色とブルーのグラデーションになり、立体的な雲はのんびり歩き、気持ちのいい風が頬をなでた。
すべての用意が終わるころには、すっかり夜になっていた。パーティが始まる。
わたしたちは、キラキラの電飾のなか、マシュマロを好きなだけ焼いて、ウーバーイーツで頼んだ世界でいちばんおいしいピザを食べて、好きな映画の好きなシーンだけ何度も見返して、レトロゲームで対戦して、アイドルの動画を無限に見せあって、そうして……。
そうしてパーティに満足したらふたりでぜ〜んぶ片付けて、一旦部屋へ戻り、大きな葉っぱを掻き分けながらシャワーを浴びて、衣装部屋でいちばんかわいいパジャマを選んで、リボンちゃんの髪を乾かして、輸入雑貨屋で買ったブルーベリー味の歯磨き粉で歯磨きもした。すべて済ませたら、ベランダへ出て、狭い階段を登り、再び屋上へ戻る。
夜の屋上は涼しい風が吹いていて、秋の気配がした。屋上。わたしたちの住むありきたりな街が一望できる、大好きな屋上。ミントを入れた水を一口だけ飲んで、テントの入口をあけたまま、寝袋に潜る。満天の星空が見える。わたしたちがかけた月も、満足そうに輝いていた。穴を掘っていた小人さん、工場のみんなも、もう家に帰って眠るころかな。
「今日も楽しかったね」
「ね~」
「明日はどこに行こう、」
「机の中?」
「お花畑は?」
「北欧のお祭りに行こうよ」
「海も行きたくない?」
「海! いいね」
「いいよね〜」
「倉庫から浮き輪を出さなきゃ」
「うん」
「おそろいの水着を買おうよ」
「フリルがついたやつにしよう」
「魚も一緒に散歩させよう」
「いいね~」
「じゃあ、明日は買い物、そののち海ということで」
「オッケ~」
「そういえば今日、新しい茶葉を買ったよ。栗の香りがする」
「最高、明日の朝いれよう」
「うん」
会話がとぎれる。星がしずかに瞬いている。
「魔女修行、どう?」
「最高」
「あはは」
「人生って楽しい」
「そうだね」
リボンちゃんは少し間を開けて、本当にそう、と呟いて笑った。
「大好き」
「わたしも」
「ねむ〜、、寝ちゃいそう」
「じゃ、電気消すね」
「は~い」
「おやすみ」
「おやすみ〜」
「また明日」
「ん〜、、」
また明日!
と、わたしの代わりに星が返事をして、そのまま流れて消えていった。
日々の冒険 よしむらさくらこ @lovely_obake
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