『老将の炎』
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アルベルト・フォン・ヴァイスハウプトの屋敷は、王都の北東部にあった。
かつては壮麗な邸宅だったのだろう。だが、今は庭は荒れ果て、壁には蔦が絡みつき、屋根瓦は所々が欠けていた。栄華の残滓が、却って寂寥感を際立たせている。
「……ここが、伝説の参謀総長の屋敷か」
カイルが呟いた。
その声には、驚きと——僅かな怒りが滲んでいた。王国を救った英雄が、このような朽ちかけた屋敷で暮らしている。それが、この国の「報い方」なのだ。
「二十年前の大戦——聞いたことがあるわ」
フィーネが言った。
「西方の大国、ヴェルデン帝国との戦争。三年間続いた大規模な戦いで、王国は何度も窮地に陥った。それを救ったのが——」
「アルベルト・フォン・ヴァイスハウプトだ」
ヴィクトールが引き継いだ。
「当時、彼は四十代半ば。参謀総長として、全軍の作戦を統括していた。帝国軍は数で勝り、装備でも優位に立っていた。普通に戦えば、王国に勝ち目はなかった」
「だが、勝ったんだろう?」
レオンハルトが問うた。
「ああ。彼の策略で——帝国軍は、何度も罠に嵌った。補給線を断たれ、伏兵に襲われ、偽情報に翻弄された。最終的に、帝国は撤退を余儀なくされた」
「……凄い人物だな」
「だが、戦後——彼は失脚した」
ヴィクトールの声には、苦い響きがあった。
「戦争中、彼は多くの平民を将校に登用した。貴族だけでは人材が足りなかったからだ。だが、戦争が終わると——保守派の貴族たちが反発した」
「平民が将校になるなど許せない——か」
ユーリが低く言った。
「そういうことだ。彼らは、アルベルトを『身分秩序を乱す危険人物』として弾劾した。王も——保守派の圧力に屈した」
「……くだらねえ」
カイルが吐き捨てた。
「国を救った英雄を、そんな理由で追い出すのか」
「それが、この国の在り方だ。——だからこそ、私は変えたい」
ヴィクトールは屋敷の門に手をかけた。
錆びついた鉄柵が、軋む音を立てて開く。
「行くぞ。——彼を、仲間にする」
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屋敷の玄関で待っていたのは、一人の老人だった。
白髪を後ろに撫でつけ、深い皺が刻まれた顔。だが、その目は——まだ鋭かった。老いてなお衰えぬ、知性の光。戦場で無数の命運を左右してきた、策士の眼差し。
「……客人か」
低い声だった。
「アルベルト・フォン・ヴァイスハウプト殿。お初にお目にかかる。私は——」
「知っている」
老人は、ヴィクトールの言葉を遮った。
「シュヴァルツェン公爵家の若き当主。ヴィクトール・フォン・シュヴァルツェン。——先代公爵の息子だな」
「……ご存知でしたか」
「この老骨にも、まだ耳はある。王都では、お前の噂で持ちきりだ——『狂気の公爵』とな」
アルベルトの口元が、僅かに歪んだ。
笑みなのか、嘲りなのか、判別しにくい表情だった。
「私設騎士団を立ち上げるそうだな。異端者を集めて、最強の軍団を作る——と」
「お耳が早い」
「隠居の身とはいえ、情報収集は怠らん。——それで、この老いぼれに何の用だ」
「単刀直入に申し上げる」
ヴィクトールは真っ直ぐにアルベルトを見据えた。
「貴方を、私の騎士団にお迎えしたい。参謀として——私の軍師として」
沈黙が落ちた。
アルベルトは暫くヴィクトールを見つめていた。その老いた瞳には、何の感情も浮かんでいないように見えた。
「……儂を、か」
やがて、低く呟いた。
「隠居して十五年。もはや戦場を離れて久しい老人を——参謀にすると」
「貴方の頭脳は、まだ衰えていない」
ヴィクトールは断言した。
「今もなお、情報を集め、分析し、時勢を読んでおられる。——違いますか」
「……」
「『戦場の預言者』と呼ばれた貴方の知略は、私の騎士団に不可欠です。どうか——力を貸していただきたい」
アルベルトは答えなかった。
代わりに、踵を返して屋敷の中へと歩き始めた。
「……入れ。立ち話もなんだ」
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屋敷の応接間は、意外にも整然としていた。
外観の荒れようとは裏腹に、室内は清潔に保たれている。書架には膨大な書物が並び、壁には古い地図が掛けられていた。机の上には、羊皮紙と羽根ペンが置かれている——つい最近まで、何かを書いていた形跡だった。
「座れ」
アルベルトが椅子を示した。
ヴィクトールは腰を下ろし、他の五人は部屋の隅に立った。カイルとレオンハルトは出入り口を警戒し、ミラは窓の外に注意を向けている。ユーリは壁際に溶け込むように立ち、フィーネは書架の本に興味深そうな視線を送っていた。
「……なかなかの顔ぶれだな」
アルベルトは六人を見回しながら言った。
「元騎士団、没落貴族の研究者、森の狩人、獣人の混血、東方の暗殺者——全員、王国から弾かれた者たちか」
「ご存知でしたか」
「顔を見れば分かる。——全員、才能がありながら、この国に居場所を見出せなかった者たちだ」
アルベルトは深い溜息をついた。
「二十年前、儂も同じだった。才能ある者を正当に評価しようとして——排除された」
「だからこそ、お力を借りたいのです」
ヴィクトールは身を乗り出した。
「貴方は、この国の在り方を変えようとした。平民を登用し、実力主義を導入しようとした。——その志は、今も消えていないはずです」
「……消えていない、か」
アルベルトは窓の外を見つめた。
午後の陽光が、荒れた庭を照らしている。かつては美しかったであろう薔薇の茂みは、今は雑草に埋もれている。
「正直に言おう。儂は——疲れた」
低い声だった。
「二十年前、儂は本気でこの国を変えられると思っていた。戦争に勝ち、実績を示せば、貴族たちも理解してくれると——愚かにも、そう信じていた」
「……」
「だが、現実は違った。戦争が終われば、貴族たちは元の生活に戻った。平民の将校たちは、次々と閑職に追いやられた。儂の努力は——何一つ、実を結ばなかった」
アルベルトの声には、深い疲労と——諦念が滲んでいた。
「それ以来、儂はここで隠居している。本を読み、地図を眺め、過去の戦いを振り返る——それだけの日々だ。もはや、世界を変えようなどとは——」
「嘘だ」
ヴィクトールが遮った。
「……何?」
「貴方は、まだ諦めていない」
ヴィクトールは真っ直ぐにアルベルトを見据えた。
「この部屋を見れば分かります。書架の本は、最新の軍事理論から経済学まで——全て、最近の出版物だ。壁の地図には、赤い印が付けられている。おそらく、現在の王国軍の配置と、周辺国の動向を分析したものでしょう」
「……」
「机の上には、書きかけの文書がある。見出しが見えました——『王国軍改革案』と」
アルベルトの目が、僅かに見開かれた。
「貴方は、まだ戦っている」
ヴィクトールは立ち上がった。
「隠居の身でありながら、情報を集め、分析し、改革案を書き続けている。誰に見せるわけでもない——ただ、諦められないから。この国を変えたいという思いが、消えないから」
「……」
「違いますか」
長い沈黙が落ちた。
アルベルトは、ヴィクトールを見つめていた。その老いた瞳には——複雑な感情が渦巻いていた。驚き、戸惑い、そして——微かな希望。
「……若いな」
やがて、低く呟いた。
「お前は、まだ若い。この国の闇を、本当の意味では知らない」
「知らないからこそ、恐れずに進めます」
「無謀だ。貴族たちは、お前を潰しにかかるぞ。王家も、教会も——全てが、お前の敵になる」
「承知しています」
「それでも、やるのか」
「やります」
ヴィクトールは迷いなく答えた。
「私には、仲間がいる。才能があり、志があり、戦う意志がある者たちが——ここにいる」
五人を振り返り、そして再びアルベルトに向き直った。
「足りないのは、頭脳です。戦略を立て、敵の動きを予測し、最善の道を示す——そういう存在が、必要です」
「……」
「アルベルト殿。貴方の知略を——私に貸してください。二十年前に果たせなかった夢を——共に、実現させましょう」
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アルベルトは長い間、黙っていた。
窓の外を見つめ、何かを考え込んでいるようだった。その横顔には、様々な感情が交錯していた。
やがて——老人は、深い溜息をついた。
「……儂の息子は、十年前に死んだ」
唐突な言葉だった。
「……息子、ですか」
「ああ。儂が失脚した後、息子は——孤立した。父親が『危険人物』として追放されたのだ。周囲から白い目で見られ、出世の道も閉ざされた」
アルベルトの声には、深い悔恨が滲んでいた。
「それでも、あいつは騎士団に残った。儂の汚名を、実績で雪ごうとしたのだ。——だが」
言葉が途切れた。
「……魔獣との戦いで、命を落とした。無理な作戦を強いられ、退却を許されず——部下と共に、全滅した」
「……」
「上官は、バルドル家の人間だった。失態の責任を、死んだ息子に押し付けた。『ヴァイスハウプトの息子が、独断で突撃した』とな」
ヴィクトールの拳が、知らず知らずのうちに握りしめられていた。
カイルも、同様だった。彼が殴った上官——ディートリヒ・フォン・バルドルと、同じ一族。同じ手口。同じ腐敗。
「息子の名誉は、回復されなかった。儂には——何もできなかった」
アルベルトは振り返り、ヴィクトールを見た。
その老いた瞳には——涙は無かった。だが、代わりに——燃えるような光が宿っていた。
「……儂は、この十五年間——ずっと、待っていたのかもしれん」
「待っていた?」
「ああ。誰かが来るのを。儂と同じ志を持ち、この国を変えようとする者が——現れるのを」
アルベルトはゆっくりと立ち上がった。
その動作には、先ほどまでの老いた重さは無かった。背筋が伸び、肩が開き——二十年前、戦場を駆けた将軍の姿が、そこにあった。
「……お前に、問おう」
低い、しかし力強い声だった。
「お前は、本気でこの国を変える気か」
「本気です」
「たとえ、全てを敵に回しても?」
「ええ」
「命を懸けても?」
「当然です」
ヴィクトールは真っ直ぐにアルベルトを見据えた。
「私の命など、安いものです。だが——この志だけは、誰にも渡さない」
沈黙が落ちた。
アルベルトは、ヴィクトールを見つめていた。その目には——何かを確かめるような、探るような光があった。
そして——
老将は、薄く笑った。
「……いい目だ」
「え?」
「お前の目は——二十年前の儂と同じだ。若く、無謀で、何も恐れていない。——そういう目だ」
アルベルトは手を差し出した。
「いいだろう。この老骨を——お前の騎士団に加えてくれ」
「——本当ですか」
「ああ。儂の知識と経験——全てを、お前に授けよう。その代わり——」
老将の目が、鋭く光った。
「——勝て。必ず勝って、この腐った秩序を壊せ。それが、儂の——いや、息子への、弔いになる」
ヴィクトールは、その手を握った。
「必ず。——貴方の息子の仇も、私が討ちます」
「……期待しているぞ、若き公爵」
握手は固く、長かった。
その瞬間——黒鋼騎士団に、六人目の剣が加わった。
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屋敷を出る時、陽は既に傾いていた。
西の空が茜色に染まり、長い影が石畳に伸びている。七人の影が、並んで歩いていた。
「……これで、全員か」
カイルが言った。
「ああ。これが——黒鋼騎士団の創設メンバーだ」
ヴィクトールは仲間たちを見回した。
カイル・ヴェルナー——元騎士団の戦士。
フィーネ・エーレンベルク——没落貴族の研究者。
レオンハルト・グリム——森の狩人。
ミラ・シルヴァーノ——獣人の混血。
ユーリ・ヴォルコフ——東方の諜報員。
アルベルト・フォン・ヴァイスハウプト——元参謀総長。
六人の「異端者」たち。
この国に居場所を見出せなかった者たち。才能がありながら、血筋や出自で切り捨てられた者たち。
「……これから、どうするの?」
ミラが問うた。
「公爵領に戻る。そこで——正式に、騎士団を発足させる」
ヴィクトールは前を向いた。
「やることは山ほどある。拠点の整備、訓練の開始、そして——弟の研究を、実用段階に進める」
「弟? ああ、噂の『狂人』か」
レオンハルトが言った。
「彼は天才だ。——彼の研究が完成すれば、私たちは最強の力を手に入れる」
「最強の力?」
「ああ。生体融合機——生きた魔獣を組み込んだ、進化する魔導騎兵だ」
七人の影が、夕陽の中を歩いていく。
黒鋼騎士団の旗揚げは——今、完了した。
だが、これは始まりに過ぎない。
本当の戦いは、これから始まる。
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**第一章「黒き旗揚げ」——完**
次の更新予定
「喰らえ、進化せよ ~天才兄弟の最強軍団創設記~」 @saijiiiji
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