「異端の血脈」



「相変わらず、凄い匂いだな」


低く、しかし心地よい声が響いた。


階段の向こうから、一人の青年が姿を現す。松明の灯りが、その輪郭を照らし出した。


ヴィクトール・フォン・シュヴァルツェン。


十九歳。シュヴァルツェン公爵家の当主にして、ルドルフの兄。


銀の髪は短く整えられ、一筋の乱れもない。紫の瞳は深い知性を湛え、全てを見通すかのような鋭さがあった。弟と同じ色の髪と目を持ちながら、その印象は対照的だ。


ルドルフが「狂気を秘めた闇」ならば、ヴィクトールは「全てを見通す光」。


整った顔立ちには、常に余裕の微笑みが浮かんでいる。背筋は真っ直ぐに伸び、立ち姿には生まれながらの気品が滲み出ていた。


纏っているのは、黒を基調とした軍服風の衣装。金の刺繍が施された襟は高く、胸元には公爵家の紋章——黒い獅子——が輝いている。


どこから見ても、王国有数の名門貴族の当主に相応しい風格だった。


「兄さん」


ルドルフは、血に濡れた手で魔力炉(エーテル・コア)を掲げた。


「見てよ、これ」


常人なら、その光景に絶句しただろう。


薄暗い地下室。異臭が漂い、魔獣の死骸が横たわる中、血塗れの弟が内臓を嬉しそうに差し出してくる。悪夢のような光景だ。


しかしヴィクトールは、眉一つ動かさなかった。


「それが、お前の言っていた核か」


「うん。魔力炉(エーテル・コア)。魔獣の全ての力の源」


「ほう」


ヴィクトールは数歩進み、弟の手元を覗き込んだ。


血の匂いも、臓物の臭気も、気にする素振りを見せない。ただ純粋な興味を持って、その肉塊を観察していた。


「微かに光っているな。死んでいるのに」


「残留魔力だよ。魔獣の魔力炉(エーテル・コア)は、死後も一定時間は機能を維持するんだ。心臓が止まっても、魔力だけは生成され続ける」


「どれくらい持つ」


「個体差があるけど、大体三日から一週間くらいかな。この性質が、僕の研究の鍵になる」


「研究?」


ルドルフの目が輝いた。


兄が興味を示してくれている。それだけで、彼の心は躍った。


---


「僕たちが使う魔導騎兵(レギオン)には、魔導炉(マギア・コア)が搭載されているよね」


「ああ。機体の動力源だ。これがなければ、魔導騎兵(レギオン)はただの鉄の塊に過ぎない」


「その魔導炉(マギア・コア)は、この魔力炉(エーテル・コア)を模倣して作られた人工物なんだ」


ルドルフは、手の中の肉塊を見つめた。


「三百年前、始祖アルベルト・ファウストが魔獣を解剖し、この器官の構造を解析した。それを機械で再現したのが、僕たちの使う魔導炉(マギア・コア)」


「それは知っている。基礎教養の範疇だ」


「うん。でも、ここからが重要なんだ」


ルドルフは、魔力炉(エーテル・コア)を松明の光にかざした。


微かな輝きが、脈動するように明滅する。死した器官でありながら、まるで生きているかのように。


「人工の魔導炉(マギア・コア)と、本物の魔力炉(エーテル・コア)。この二つには、決定的な違いがある」


「何が違う」


「進化するかどうか、だよ」


ヴィクトールの目が、僅かに細められた。興味を引かれた証拠だ。


「続けろ」


「機械の魔導炉(マギア・コア)は、製造時点で性能が固定される。どれだけ使い込んでも、出力は変わらない。むしろ、経年劣化で性能は落ちていく」


「それは当然だろう。機械とはそういうものだ」


「でも、生きた魔力炉(エーテル・コア)は違う」


ルドルフの声に、熱がこもり始めた。


「戦闘を経験するたびに、魔力生成量が増加する。環境に適応して、効率が改善される。強い敵と戦えば戦うほど、出力が上がっていく」


「……進化する、というのは、そういう意味か」


「うん。魔獣が戦えば戦うほど強くなるのは、この魔力炉(エーテル・コア)が成長するからなんだ。経験を蓄積し、自らを最適化していく。生きた機関だからこそ、できること」


---


ヴィクトールは、顎に手を当てて考え込んだ。


弟の言葉の意味を、彼は正確に理解していた。


現在の魔導騎兵(レギオン)は、製造時点で性能が決まる。どれほど優れた騎兵士(レギオネア)が乗っても、機体そのものの出力には限界がある。


しかし、もし機体が「進化」するならば——


「つまり、お前は」


「うん」


ルドルフは、狂気と歓喜が入り混じった笑みを浮かべた。


「生きた魔獣を、魔導騎兵(レギオン)に組み込みたいんだ」


沈黙が落ちた。


松明の炎が、ぱちぱちと音を立てる。その音だけが、地下室に響いていた。


ルドルフの提案は、王国の常識を根底から覆すものだった。


魔導騎兵(レギオン)は「機械」である。人間が制御し、人間が操る、人間のための兵器。それが大前提だ。


魔獣は「敵」である。人類を脅かす存在であり、討伐すべき対象。その力を借りるなど、人間としての誇りを捨てるに等しい——王国の常識では、そう考えられている。


異端の発想。禁忌の研究。狂人の戯言。


世間がどう評価するかは、火を見るより明らかだった。


しかし——


「面白いな」


ヴィクトールは、微塵も躊躇わなかった。


---


「……本当に?」


ルドルフは、信じられないという顔で兄を見た。


否定されることを、どこかで覚悟していたのかもしれない。自分の研究は、世間から見れば「狂気」そのものだ。それは、彼自身が一番よく分かっている。


しかしヴィクトールは、真っ直ぐに弟を見つめ返した。


「実現できるのか」


「え?」


「理論だけか。それとも、形にできる見込みがあるのか」


その問いに、ルドルフは目を見開いた。


否定ではない。可能性を問うている。本気で、実現を考えている。


「……理論は、ほぼ完成してる」


声が震えた。嬉しさを、抑えきれなかった。


「課題は山積みだけど、解決の糸口は見えてる」


「具体的には」


「最大の問題は、魔獣の意識をどう制御するか」


ルドルフは、魔力炉(エーテル・コア)を作業台に置いた。


「生きた魔獣を組み込むということは、その意識も取り込むということ。暴れ馬を御すようなものだ。下手をすれば、操縦者の精神が乗っ取られる」


「それを防ぐ方法は」


「対抗するんじゃなく、同調するんだ」


ルドルフの目が、真剣な光を帯びた。


「魔獣の意識を押さえつけるんじゃなく、パイロットの精神と融合させる。二つの意識を一つに統合することで、制御を可能にする」


「危険ではないのか」


「危険だよ。精神力が弱い人間なら、魔獣に飲み込まれる。意識が乗っ取られて、暴走する可能性がある」


「失敗すれば、どうなる」


「最悪の場合、廃人になるかもしれない。魂が砕けて、二度と戻れなくなる」


淡々と、ルドルフは告げた。


自分の研究の危険性を、彼は正確に把握していた。隠すつもりもない。兄に対して、嘘をつきたくなかった。


「でも——」


ルドルフは、兄を真っ直ぐに見つめた。


「兄さんなら、できる」


---


「買い被りすぎじゃないか」


「そんなことないよ」


ルドルフは、首を横に振った。


「兄さんは、僕が知る限り最も強い精神を持っている」


「根拠は」


「だって、僕を見捨てなかったから」


その言葉に、ヴィクトールは僅かに目を細めた。


「……」


「みんな、僕を気味悪がった。使用人も、両親も、他の貴族たちも。『狂っている』『異常だ』『人間じゃない』って」


ルドルフの声は、淡々としていた。恨みがましさはない。ただ、事実を述べているだけだ。


「でも兄さんだけは、違った。僕の世界を『面白い』と言ってくれた。否定しないで、理解しようとしてくれた」


「……」


「普通の人間には、できないことだよ。他人と違うものを受け入れるって、すごく難しいことなんだ。でも兄さんは、それができる。だから——」


ルドルフは、微笑んだ。


「兄さんなら、魔獣の意識とも同調できる。僕が保証する」


---


ヴィクトールは、しばし無言だった。


弟の目を見つめている。そこにあるのは、純粋な信頼だった。兄ならできる。兄なら、自分の作ったものを使いこなせる。その確信。


「……お前は」


やがて、ヴィクトールは口を開いた。


「僕のことを、随分と買っているな」


「当たり前だよ。兄さんは、僕にとって——」


言葉を切り、ルドルフは視線を落とした。


何と言えばいいのか、分からなかった。「全て」という言葉すら、足りない気がした。


沈黙の中、ヴィクトールが一歩踏み出した。


弟の前に立ち、血に汚れた肩に手を置く。


「ルドルフ」


「……何」


「お前の見ている世界を、僕にも見せてくれ」


それは、幼い頃から変わらない言葉だった。


「それが、僕の望みだ。お前の才能が生み出すものを、この目で見たい。この手で使いたい」


「兄さん……」


「だから——作れ。お前が思い描く、最高の兵器を」


ルドルフの目に、涙が滲んだ。


流れはしない。ただ、瞳の縁で光っているだけだ。


「……うん」


声が震えた。


「必ず作る。兄さんだけが使いこなせる、最強の兵器を。誰にも負けない、僕たちだけの力を」


「期待している」


「任せて。絶対に——絶対に、期待以上のものを作るから」


兄弟は、薄暗い地下室で向き合っていた。


血と臓物の臭いが漂う、異様な空間。しかし二人にとっては、夢を語る聖域に他ならなかった。


---


「それで」


ヴィクトールは、弟の肩から手を離した。


「現時点での研究の進捗は、どうなっている」


「ある程度は進んでるよ。見せようか」


ルドルフは、作業台の奥に向かった。そこには、布で覆われた大きな何かがあった。


「まだ試作段階だけど、理論を形にしたものがある」


布を取り払う。


その下には——異形の「何か」があった。


魔導騎兵(レギオン)の腕部。しかし、通常の機体とは明らかに違う。金属の骨格に、有機的な何かが絡みついている。筋繊維のような組織。脈打つ管。


機械と生物が、融合していた。


「これは……」


「魔獣の筋繊維を、金属骨格に定着させたもの」


ルドルフは、その表面を撫でた。


「魔導騎兵(レギオン)の腕の骨格に、B級魔獣の筋肉を移植した。魔力を流すと、動くんだ」


「動く?」


「見ていて」


ルドルフは、腕部に手を当てた。目を閉じ、集中する。


彼自身の魔力が、試作品に流れ込んでいく。


すると——


腕部が、動いた。


指が握られ、開かれる。手首が回転する。肘が曲がり、伸びる。


生きているかのように、滑らかに。


「これは……」


ヴィクトールの目が、僅かに見開かれた。


彼は魔導騎兵(レギオン)の操縦経験がある。通常の機体の動きを、よく知っている。


今目の前で動いているものは、明らかに「違う」。


より滑らかで、より自然で、より——生きている。


「通常の魔導騎兵(レギオン)は、金属の関節と人工筋肉で動く。反応速度には限界があるし、動きもどこかぎこちない」


ルドルフは、試作品を見つめながら説明した。


「でも、本物の筋繊維を使えば、生き物と同じように動ける。神経が通っているから、意思がダイレクトに伝わる」


「同調率が上がる、ということか」


「そう。理論上は、百パーセントに近い同調率が実現できるはず」


百パーセント。


それは、騎兵士(レギオネア)にとって夢のような数字だった。


通常、どれほど優れた騎兵士(レギオネア)でも、同調率は九十パーセント台がせいぜいだ。ヴィクトール自身、最高で九十三パーセント程度。


意思と動作の間に、必ず僅かなラグがある。そのラグが、戦闘において命取りになることもある。


しかし、同調率が百パーセントに達すれば——


「思考と動作が、完全に一致する」


「そういうこと。考えた瞬間に、機体が動く。自分の身体と、全く同じように」


ルドルフの目が、輝いていた。


「これが、僕の考える『生体融合機(ヴェノム)』の第一歩だよ」


---


ヴィクトールは、試作品に近づいた。


動きを止めた腕部に、手を触れる。金属と肉が入り混じった、奇妙な感触。温かい部分と冷たい部分が、混在している。


「いつ、完成する」


「全身を完成させるには、まだ時間がかかる。半年……いや、一年はかかるかもしれない」


「資金は」


「足りない。材料費、設備費、人件費——全部合わせると、公爵家の年間予算の三割くらいは必要になる」


「三割か」


ヴィクトールは、静かに頷いた。


「出そう」


「……本当に?」


「ああ。必要なら、もっと出してもいい」


ルドルフは、信じられないという顔で兄を見た。


公爵家の予算の三割。途方もない金額だ。それを、躊躇いなく出すと言っている。


「兄さん……いいの? こんなに使って」


「構わない。これは投資だ」


「投資?」


「お前の研究が完成すれば、この金など端金に見えるほどの成果が得られる。——違うか?」


その問いに、ルドルフは力強く頷いた。


「違わない。絶対に、元を取ってみせる」


「なら、問題ない」


ヴィクトールは、踵を返した。


階段に向かいながら、振り向かずに言う。


「一年後を楽しみにしている。——いや、できれば半年で頼む」


「え、半年!?」


「できるだろう。お前なら」


「そ、それは……」


「期待している」


それだけ言い残し、ヴィクトールは階段を上っていった。


残されたルドルフは、しばし呆然としていた。


やがて、その顔に笑みが広がった。


「……半年か」


不可能ではない。いや、兄がそう言うなら、可能にしなければならない。


「やるよ、兄さん。絶対に——」


彼は、試作品に視線を戻した。


異形の腕部。機械と生物の融合体。これは、始まりに過ぎない。


「最高のものを作ってみせる」


地下室に、彼の呟きが消えていった。


狂気の研究が、加速を始める。


---

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