第一章「黒き旗揚げ」
承知しました。第一章の1ページ目を書き直します。
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# 第一章「黒き旗揚げ」
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## 一「地下の狂人」
フレイムハルト王国。
大陸中央部に位置する、歴史ある王国である。
建国から約五百年。幾多の戦乱を乗り越え、今や大陸有数の強国として君臨していた。肥沃な大地は豊かな実りをもたらし、発達した魔導技術は人々の暮らしを支えている。
しかし、この世界には人類の敵が存在した。
魔獣。
いつの時代から存在するのか、誰も知らない。ただ、人類の歴史が始まった時には既にそこにいた。
大きさも形も様々だ。狼ほどの小型種から、城塞を超える巨大種まで。共通しているのは、人間を遥かに凌駕する戦闘力と、魔力を操る異能を持つこと。
人類は、常に魔獣の脅威に晒されてきた。
村が襲われ、町が滅び、時には国すらも滅亡した。人類の歴史は、魔獣との戦いの歴史でもあった。
転機が訪れたのは、約三百年前のことである。
天才魔導技師アルベルト・ファウストが、魔獣の体内器官を研究し、人工的な魔力炉——魔導炉(マギア・コア)——を開発した。さらに、この動力源を用いて巨大な人型機械を動かす技術を確立。
魔導騎兵(レギオン)の誕生である。
全高約十メートルの鋼鉄の巨人。人間の形を模しながら、魔獣に匹敵する——時には凌駕する——戦闘力を持つ。剣を振るい、槍を突き、弓を射る。人類は初めて、魔獣と対等に戦える力を手に入れた。
以来、魔導騎兵(レギオン)は各国の主力兵器となった。
騎兵士(レギオネア)と呼ばれる操縦者たちは、英雄として称えられる。彼らこそが人類の盾であり、矛であり、希望の象徴なのだ。
フレイムハルト王国もまた、強力な騎兵士(レギオネア)を多数擁していた。王国騎士団は精鋭を誇り、魔獣の脅威から国土を守り続けている。
——少なくとも、表向きは。
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シュヴァルツェン公爵領。
フレイムハルト王国の北部に位置する、広大な領地である。
王国五大公爵家の一つ、シュヴァルツェン家が代々治めてきた。その領土は王国全土の約一割を占め、私有する魔導騎兵(レギオン)の数も王国有数。軍事面で王家を支える名門中の名門だった。
その公爵邸は、壮麗の一言に尽きた。
白亜の城館は陽光を受けて輝き、四隅に聳える塔は蒼穹を突くかのように高い。広大な庭園には季節の花々が咲き乱れ、噴水が涼やかな音を立てている。
使用人の数は三百を超え、来客は絶えず、夜ごとの晩餐は豪奢を極めた。
まさに、王国有数の名門貴族に相応しい威容である。
しかし——
この華やかな外観の下には、誰も知らない空間が存在した。
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地下深く。
幾重もの階段を降り、幾つもの隠し扉を抜けた先。公爵家の者ですら、ごく一部しか存在を知らない秘密の空間があった。
松明の灯りが、石壁を揺らしている。
炎の影が不規則に踊り、まるで何かの生き物が蠢いているかのような錯覚を覚える。空気は重く湿っており、息を吸うたびに異様な臭気が肺を満たした。
獣の体液。金属の焼ける匂い。薬品の刺激臭。
そして——死の気配。
それらが混じり合い、常人なら一秒たりとも留まりたくないような空間を形成していた。
壁際には、無数の棚が並んでいる。
そこに収められているのは、異形の品々だった。
瓶詰めにされた臓器。ホルマリン漬けの眼球。骨格標本。乾燥させた皮膚。牙。爪。鱗。
全て、魔獣から採取されたものである。
B級魔獣「重甲竜(グラビトン)」の心臓。C級魔獣「疾風狼(シュトゥルムヴォルフ)」の脚部筋繊維。D級魔獣「岩喰蟲(フェルゼンヴルム)」の消化器官——
ラベルには、採取日と魔獣の名前、そして詳細な注釈が几帳面な文字で記されていた。
その数、数百。
いや、千を超えるかもしれない。棚は部屋の奥まで続き、その全容を把握することすら困難だった。
部屋の中央には、大きな作業台が据えられている。
その上に——巨大な「何か」が横たわっていた。
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魔獣の死骸だった。
全長十メートルを超える巨体。爬虫類を思わせる鱗に覆われた体躯。四本の脚には鉤爪が並び、太く長い尾が床に垂れている。頭部には二本の角が生え、閉じられた口からは鋭い牙が覗いていた。
B級魔獣「重甲竜(グラビトン)」。
生前は岩山に棲み、その重量を活かした突進で獲物を粉砕していた個体だ。討伐には魔導騎兵(レギオン)の小隊——三機から五機——が必要とされる、決して弱くはない魔獣である。
しかし今は、ただの「素材」としてここに横たわっていた。
腹部は既に大きく切り開かれ、内臓の一部が露出している。切開面は滑らかで、明らかに熟練した技術による手術痕だった。
その傍らに、一人の青年が立っていた。
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銀色の髪が、松明の光を受けて鈍く輝いている。
長さは肩にかかるほど。無造作に伸ばされ、手入れをしている様子はない。前髪が目にかかり、表情を読み取りにくくしていた。
紫の瞳。
虚ろなようでいて、どこか異様な輝きを帯びている。何かを見つめているようで、何も見ていないようでもあった。常人とは異なる、どこか「ズレた」視線。
年齢は、十六歳。
身体つきは細く、華奢とさえ言える。日の光を知らない肌は病的なまでに白く、血管が透けて見えそうなほどだった。
纏っているのは、かつては白かったであろう実験着。今はあちこちに染みがつき、何の汚れなのか判別もつかない。赤黒い斑点は、おそらく血液だろう。黄色い染みは、胆汁か何かかもしれない。
彼の名は、ルドルフ・フォン・シュヴァルツェン。
シュヴァルツェン公爵家の次男にして——この地下研究施設の主だった。
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「美しい……」
恍惚とした声が、地下室に響いた。
ルドルフは魔獣の死骸に手を伸ばし、その鱗に触れた。冷たくなった表面を、愛おしそうに撫でる。まるで恋人の肌を慈しむように、丁寧に、ゆっくりと。
「この鱗の配列を見て」
誰に語りかけるでもなく、彼は呟き続けた。
「完璧な六角形の連続。蜂の巣構造と同じだ。最小限の材料で最大限の強度を実現する、自然界で最も効率的な形状」
指先が、鱗の隙間に滑り込んだ。その下にある筋肉の感触を確かめる。
「筋繊維の走行も素晴らしい。見て、この配置。最小限の収縮で最大限の力を発揮できるように、完璧に設計されている。人間の筋肉なんて、これに比べたら欠陥品だよ」
紫の瞳が、恍惚の色を深めた。
「魔力回路の密度も凄い。全身に張り巡らされた魔力の通り道が、まるで血管のように機能している。心臓——いや、魔力炉(エーテル・コア)から送り出された魔力が、この回路を通じて全身に届く。それが、魔獣の異常な身体能力の源泉なんだ」
うっとりと、死骸を見つめ続ける。
その目には、恐怖も嫌悪もなかった。
あるのは——純粋な、混じりけのない感嘆。
「どうして人間は、これを『醜い』なんて言うんだろう」
首を傾げ、本気で不思議そうに呟く。
「こんなにも——こんなにも、美しいのに」
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常人が聞けば、背筋が凍るような台詞だった。
魔獣は人類の敵である。村を襲い、人を喰らい、文明を脅かす存在。歴史上、どれほどの人間が魔獣に殺されてきたか。どれほどの町が、国が滅ぼされてきたか。
それを「美しい」と称える者など、狂人と呼ばれても仕方ない。
実際、ルドルフはそう呼ばれていた。
「狂った公子」「シュヴァルツェン家の恥」「あれは人間じゃない」——
幼い頃から、陰口は絶えなかった。
最初の「異常」が発覚したのは、五歳の時だ。
庭園で遊んでいたルドルフが、死んだ小鳥を見つけた。使用人たちは、当然、それを片付けようとした。
しかしルドルフは、小鳥を渡さなかった。
「待って。この子、見てみたい」
そう言って、小鳥の腹を——爪で引き裂いたのだ。
使用人たちは悲鳴を上げた。母親は卒倒した。父親は激怒し、ルドルフを部屋に閉じ込めた。
しかし翌日、彼は再び同じことをした。
今度は、庭で捕まえた蛙だった。生きたまま、腹を開いた。心臓がまだ動いているのを見て、「すごい、すごい」と目を輝かせていた。
それから、彼の「趣味」は徐々にエスカレートしていった。
虫、蛙、蛇、鼠、兎——獲物は次第に大きくなり、やがて魔獣の死骸にまで手を伸ばすようになった。
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周囲の反応は、想像に難くない。
使用人たちは怯え、彼の傍に近づくことを避けた。幼い頃の友人たちは、一人また一人と離れていった。両親は——
「この子は、異常だ」
そう言って、彼を遠ざけた。
公の場には出さず、屋敷の奥に閉じ込める。客人が来れば、「弟は病弱で」と嘘をついた。まるで、存在しないかのように扱った。
ルドルフは、それを不思議に思っていた。
自分は、ただ知りたいだけなのに。生き物の身体がどうなっているのか、どうして動くのか、どうして死ぬのか——知りたいだけなのに。
なぜ、皆は怖がるのだろう。なぜ、気持ち悪いと言うのだろう。
彼には、理解できなかった。
孤独な日々。誰も傍にいない、冷たい日々。
しかし——
たった一人だけ、彼を見捨てなかった者がいた。
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「ルドルフ」
その日、兄が部屋を訪れた。
ヴィクトール・フォン・シュヴァルツェン。三つ年上の兄。銀の髪と紫の瞳は弟と同じだが、その雰囲気は全く異なっていた。
堂々とした立ち姿。自信に満ちた眼差し。幼いながらも、既に「支配者」の風格を漂わせている。
「何をしているんだ」
「……鳥の骨を組み立ててる」
ルドルフの手元には、小鳥の骨格標本があった。自分で解剖し、骨を取り出し、丁寧に組み立てたものだ。
普通なら、気味悪がるところだろう。
しかしヴィクトールは、違った。
「へえ」
近づいてきて、標本を覗き込む。
「綺麗にできてるじゃないか」
「……え?」
「この翼の骨、薄いのに丈夫そうだな。飛ぶために、軽く作られてるのか?」
「う、うん。そうだよ。中が空洞になってて、でも構造が工夫されてるから、強度は保たれてて——」
「面白いな」
兄の目が、純粋な興味で輝いていた。
「もっと教えてくれよ。この骨と骨は、どう繋がってるんだ?」
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それが、始まりだった。
ヴィクトールは、弟の「異常」を否定しなかった。気味悪がりもしなければ、遠ざけもしなかった。
ただ、純粋に興味を持った。
「お前の見ている世界を、僕にも見せてくれ」
その言葉を、ルドルフは今も覚えている。
あの日から、兄だけが彼の味方だった。両親が遠ざけ、使用人が怯え、世間が「狂人」と囁く中——ヴィクトールだけは、傍にいてくれた。
だから、ルドルフは誓った。
この兄のためなら、何でもする。兄が望むものを、必ず作る。兄だけが理解してくれる自分の才能を、兄のために捧げる。
それが——彼の生きる意味になった。
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「さて」
ルドルフは、作業台に向かった。
そこには様々な器具が並んでいる。解剖用のメス、鉗子、鋸、鑷子。そして、見たこともないような奇妙な形状の道具の数々。全て、ルドルフが自ら設計し、作らせたものだった。
彼は使い慣れたメスを手に取った。
刃渡り十五センチほどの、細身の刃。研ぎ澄まされた銀色の表面が、松明の光を反射する。
「もっと深く知りたい」
足音もなく、死骸の傍らに戻る。
「この子たちの全てを」
メスの切っ先が、魔獣の腹部に当てられた。既に切り開かれた傷口の、さらに奥へ。
「そして——」
刃が沈んでいく。筋肉層を切り分け、腹腔の最深部へと向かう。
「兄さんに、最高のものを作るんだ」
ぐちゅり、と湿った音がした。
手が、温かいものに触れる。魔獣の内臓。死んで何日も経つはずなのに、まだ微かに温もりを保っていた。残留魔力のせいだろう。
「あった」
探り当てたのは、胸腔の奥——魔獣の最深部に位置する器官だった。
両手で包み込むようにして、慎重に取り出す。
「魔力炉(エーテル・コア)」
拳ほどの大きさの肉塊。暗赤色の表面には、無数の紋様が浮かんでいる。魔力回路の痕跡だ。
死んでなお、微かに——本当に微かに——光を放っていた。
「魔獣の心臓にして、動力源」
ルドルフは、それを両手で掲げた。
「全ての魔力がここで生成され、全身に送り出される。人間で言えば、心臓と魔力炉を兼ねたような器官」
愛おしそうに、その表面を撫でる。
「僕たちが使う魔導騎兵(レギオン)の魔導炉(マギア・コア)は、これを模倣して作られている。でも——」
紫の瞳が、狂気じみた輝きを帯びた。
「決定的に違う点があるんだ」
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その時。
地下への階段を、足音が降りてきた。
規則正しく、しかし軽やかな足取り。迷いのない、自信に満ちた歩調。
ルドルフは振り向かなかった。
この足音の主を、よく知っていたから。
血に濡れた手で魔力炉(エーテル・コア)を持ったまま、彼は微笑んだ。
「兄さん」
待っていた。この研究の成果を、最初に見せたい相手を。
「来てくれたんだね」
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