第5話 カフェデート
「見てください、先輩!異国の本が沢山ありますよ!」
本棚を目の前に声を弾ませる彼女に口元が緩む。
こんなに喜んでもらえるなら連れてきた甲斐があるというものだ。
「ここは極東の人が経営してるみたいだからね。」
「そうなんですか!?それでジャティール国の本がこんなに……」
納得したように頷いた彼女は適当な本を軽くめくってから、パタンと閉じた。
「これにします。」
嬉しそうに本を握りしめる彼女はいつも通り可愛いらしかった。
だけど僕の意識は別の方向に向く。
「ジャティール語が読めるの?」
即決した彼女に驚いて問いかけると、彼女はしまったといったような表情を浮かべてから曖昧に笑った。
ジャティール語は公用語でもなければ、隣国の言語でもないので習得の優先順位はそんなに高くない。
第二言語として選ぶ人は少ないはずだ。
それも簡単な会話ではなく本を読めるレベルなんて相当学んでいる証拠だろう。
ジャティール語は喋る分には難しくない。
しかし読み書きに関しては世界でもトップレベルに難しい言語だ。
それを読めるなんて、彼女は一体どんな教育を受けてきたのだろうか。
僕は叔母上がジャティール国の出身だから幼い頃から触れる機会もあり、そこまで身に付けるのは困難ではかった。
それでも何種類も読みがある文字には苦戦したが。
そんな言語をこの年で操れるなんて、余程の努力家か天才だ。
「その、ジャティールには珍しい薬学の本が多いので見ているうちに覚えてしまって……」
まるで悪いことを白状するかのように話す彼女に苦笑する。
「私は責めているわけではないよ?凄いって思ったくらいだ。」
安心させる為に思ったことをそのまま伝えると彼女は弾けるように笑顔になった。
「先輩に褒めてもらえるなんて光栄です。……実は嫁ぐわけでもないのに女性が他国の言語を学んでどうするんだって言われるかもしれないと思ったんです。」
「そんなこと……少なくとも私は思わないよ。」
世間が思わないと断定できないのが悔しい所だ。
能力で採用される国作りを目指し始めたのは最近のこと。
まだ全くと言って良いほど効果が現れていないようだった。
彼女もきっと才能を持っているだろうに、偏見や固定概念のせいで埋もれてしまうのかもしれない。
そう考えると、早く現状を打開しなければと強く拳を握りしめた。
“勿体無い”……そうだ、思い出した。
これも叔母上の国の言葉だ。
そっか、彼女は日常で自然に出てしまうほどあの国が好きなんだ。
それがどうしようもなく嬉しく感じたのは、どうしてだろう。
「ありがとうございます。先輩が居れば、この国も安泰ですね。」
「……そうだと良いな。」
この国をより良くするにはあまりにもやる事が多すぎる。
全部片付けるにしてもどれを優先するのか順位付けを行わないといけない。
その選択を間違えてしまったら、僕だけが不利益を被るのではなく国をも傾けてしまう可能性があるのだから、責任は重大だ。
一言に影響力のある僕は迂闊に本音も口にできない。
それが何に繋がるかわからないから。
なのに……なのに彼女の前だけは、最も容易く言葉が出てくる。
だからきっと僕は彼女を手放したくないんだ。
それが、例えどんな形になろうとも。
「先輩なら大丈夫ですよ。」
妙に説得力のある言葉に顔を上げると、彼女の澄んだ瞳とぶつかった。
「だって先輩は“声”を聞くことができる人ですから。」
彼女はそう言ってニッコリと微笑む。
揺れた彼女の髪からは微かに花の匂いがした。
その甘い香りに誘われた僕は一束髪を掬ってそこに口付けを落とす。
「“意見”を聞くことは大事だからね。」
「な、ななななっ……!?」
顔を真っ赤にして後ずさる彼女は想像通りの反応をしてくれるので見ていて楽しい。
壁に行手を遮られて仕方なくその場に留まる彼女は本の向こうからこちらを睨んでいるが、全く怖くなかった。
クスクスと笑うと、さらに眉間に皺を寄せられたので嫌われてしまう前に一歩距離を縮めて手を差し出す。
「レディを席までご案内しますよ。」
「………………よろしくお願いします。」
数秒の睨み合いの末、彼女は息を吐いてからエスコートされることを選んだ。
紳士として接すると暗に示したことに気づいたからだう。
彼女の手を取って席に座らせると、テーブルの上にあったメニュー表で視線が止まった。
あぁ、なるほどこれを見ていたのか。
メニューにはイチゴがふんだんに使われたタルトが描かれている。
「注文は決まった?」
彼女の前に腰掛けながら問いかけると、ドリンク欄をチラッと見た後で「カフェラテにしようと思います」と返された。
「軽食はいらない?ほら、これなんか美味しそうだよ。」
そう言って先程見ていたタルトを指差せば彼女の瞳が輝く。
だけどすぐに笑顔を消してこれだけで大丈夫だと言う。
もしかしたら本を読みながら食事を取ることに抵抗があるのかもしれない。
そう結論づけた僕はそれでも彼女の瞳が忘れられず、タルトを指差したまま口を開いた。
「そう?なら、私はこれを頼もうかな。」
店員を呼んでカフェラテとコーヒー、そしていちごタルトを注文すると、飲み物はすぐに運ばれてきた。
「私も本を選んで来るね。」
彼女が頷いたのを確認してから席を外すと、種類の豊富な本達が目に入った。
本棚は壁に備え付けられている形で一面に背表紙が並ぶ姿には圧巻される。
場所の割合的にカフェがメインで図書館はサブと言った所だろうか。
もしこれが逆の割合だったら、図書館味の強い空間に客は萎縮してしまっていただろう。
ジャティールでは紙の生産が盛んだが、この国ではそこまででもない。
必然的に本は貴重になるから、そんな高い代物を汚すかもしれないという不安が付き纏ってしまう。
その点、ここはカフェの利用に主軸を置いているので、利益が出やすいだろうな。
立地は悪くないし、内装も温かみのあるおしゃれな雰囲気で取っ付きやすい。
さらに飲み物を飲むついでに本が読めるともなれば利用者は増えそうだ。
最初は多少の抵抗はあるかもしれないが、そのうち慣れたら図書館の需要も高まるかもしれないな。
……っと、彼女が本を一冊読み終わるまでには戻らなくては。
目的がズレたのを修正してから目に入った本を手に取った。
つい内情を探ってしまうのは職業病みたいなものなのだろう。
席に戻ると彼女は静かに本を読んでいた。
分厚さは開かれているページで半分に分けられていて、この短時間で読んだと考えると早い方だと言える。
集中している彼女に声をかけようか迷っていると、本から目線を上げた彼女が笑顔を作った。
「先輩はどんな本を選んだんですか?」
「……これだよ。」
“薬学の歴史”と書かれた本を彼女に差し出して見せる。
一瞬躊躇ったのは彼女に影響されたことを悟られて引かれたくなかったからだ。
「先輩も、薬学に興味があるんですか?」
「うん、まあ……」
曖昧な肯定だったが、彼女は嬉しそうに手を合わせた。
「先輩と薬学の話をできるなんて夢のようです!その本、とても面白かったので読み終わったら是非感想を聞かせて下さい。」
いつもより声のトーンが高い彼女は薬学の話をできることに心から喜んでいるようだった。
その顔を見ると安堵の気持ちより彼女を喜ばせることができた選択に嬉しさが込み上げる。
「お待たせいたしました。」
椅子を引いて席に腰掛けたちょうどその時、店員がタルトを運び、予想通り彼女の前にお皿を置いてくれた。
「ごゆっくりどうぞ。」
「ありがとうございます。」
何か言いたげな彼女の言葉を遮るようにお礼を言って下がってもらうと、彼女は困ったように笑っていた。
「いちごタルト、私の方に来ちゃいましたね。」
そう言って僕へとタルトを寄せようとしたのを手で静止し、眉を下げて見せた。
彼女は不思議そうに僕の言葉を待つ。
「実は美味しそうな見た目に釣られて頼んだけど、甘いものが苦手なのを失念していてね。良ければそのまま君が食べてくれると助かるな。」
作り笑いを浮かべて言えば、明らかに狼狽えた彼女がタルトと僕を交互に見つめる。
「本当に私が貰っちゃって良いんですか?」
疑わしげに再確認した彼女にとって甘味を譲ることはありえないことなのだろう。
綿菓子を美味しそうに食べていたことを思い出し、笑みが溢れた。
「もちろんだよ。さっきのお詫びも兼ねて、ね?」
「……そこまでおっしゃるなら遠慮なく頂きます。」
そう言った彼女は既にタルトに夢中だ。
「いただきます。」と言ってフォークを手に取り、器用にいちごを刺して口に運ぶ。
「んー!美味しい!」
頬に手を当てて思わずと言ったように口にした彼女の顔は幸せそのものだった。
美味しそうに食べるなとニコニコと見ていると、僕の視線に気づいた彼女はタルトを一口代に切り分ける。そして、僕の口の前に運ぶと手を止めた。
「どうぞ」
どうやらタルトを見ていたと思われたようだった。
だけど、これは僕にとって好都合だ。
迷わずそれをパクリと口に入れてから、笑顔を作った。
「ありがとう。でも、良かったの?私にあげてしまって。」
あんなに美味しそうに食べていたのに減ってしまうよと思いながら彼女を見ると、満面の笑みを向けられた。
「はい!美味しいものは分け合ったら更に美味しくなるんですよ!」
そう言ってパクッとタルトを頬張る彼女はとても眩しかった。
僕ならタルトが“減る”と考える所を彼女は“美味しくなる”とプラスに変換してしまうようだ。
利益を優先するのは国の将来を預かる身としては正しいことなのだろう。
でも、人としては彼女の足元にも及ばないな。
目を伏せていると、視界の端でフォークを持った彼女の手が止まった。
「す、すみませんっ。私気づかなくて、これって間接キスじゃ……」
どうかしたのかと顔を上げるとそう言って頬を染める彼女と目が合う。
「……君は一体何なのだろうね。」
純粋かと思えば現実的で、しっかりしていると思えばどこか抜けていて、掴めない。
こんなことは初めてだ。
「私は私ですよ?」
キョトンとする彼女は僕の言葉を正しく理解してはいないようだった。
苦笑すると、彼女は何かを思い出したようにフォークを置いてから僕を見た。
「あっ、でも……先輩の友達、くらいにはなりたいです。」
照れ笑いを浮かべた彼女に欲が出てしまう。
僕はそれ以上になりたいんだよ。
なんて言ったらきっと困らせてしまうんだろうな。
「うん。私はもう友達だと思っていたけど、違った?」
「と、友達です!」
寂しそうにそう言えば慌てた彼女が肯定してくれる。
少し複雑ではあるが、今はこれでよしとしよう。
彼女の笑顔が見られればそれで……
「その、先輩。」
嬉しそうに微笑んでいた彼女は徐に鞄から何かを取り出して、躊躇いがちに口を開く。
その手には二枚のチケットが握られていた。
「良ければ一緒に劇を観に行きませんか?」
……訂正しよう。
彼女の笑顔だけじゃ満足できない。
その先を望んでしまうのも、きっと今だけは許されるような気がした。
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