第4話:薬湯

 いつのまにか夕焼けは山の稜線に隠れ、夕月が顔をのぞかせていた。風は相も変わらず家を叩いているが、暖炉の火が燃える部屋の中は妙に静かだった。


 ルディアナはキッチン脇のテーブルに腰かけ、ボウルの縁を削っていた。ナイフの刃が滑らかな木肌を撫でるたび、細い削りくずが膝の上へくるくると落ちた。


 手を止めてヒースを眺めると、戦場を渡り歩いてきた男とは思えないほど無防備な寝顔だった。戦争のことはあまり詳しくないが、あんな風に寝ていた兵士はいなかった。この男は、戦うことしか知らない人生だったのかもしれない。


 せめてここにいるあいだは、羽を休めてほしかった。


 ボウルに向き直り、ナイフを動かした。誰かのためにもうひとつ用意するなんて、いつぶりだろう。思いのほか心地よく、手は止まらなかった。


 あまりに長い間、ひとりでいすぎたのかもしれない。


 ボウルの縁を指で確かめながら、あの男が辺境伯と名乗ったときのことがよぎった。爵位を持つ者と、そうでない者。同じ国のために働いていても、立つ場所は違っていた。


 ルディアナはアルベレオ王国の技術者として、何度も貴族の前に立たされた。説明し、褒められ、退室するというサイクルが自分の役割だった。筋力の衰えた人を支えるパワードスーツや、プライマル理論を応用した自動義手は、特に褒められた。すべては障がいを抱える人たちのために生み出したものだ。それが戦争に転用されるなんて、思いもしなかった。


 貴族はずる賢く、大局ばかり見て、技術者の矜持など微塵も理解しようとしない。そう思っていた。


 なのに、あの男からは傲慢な貴族の匂いがしない。自分が気づいていないだけで、ソルディアの貴族はアルベレオとは違うのだろうか。


 正しい時刻を指していない時計を見ると、薬の時間だった。ルディアナは薬棚へ向かい、フロストミントの粉末を取り出した。


 自分はこの粉末が嫌いだった。幼いころ、風邪をひくたびに父親はこれを飲ませてきた。アルカロイド由来の苦みが口の中に広がり、何度も吐きかけたものだ。


 ヒースは耐えられると思うが、薬だけ渡すのも味気ない。


 何かないかと別の棚を探していると、商人が置いていった茶葉を見つけた。いつ貰ったかも忘れていたが、蓋を開けると甘い柑橘系の香りがむせかえるほど広がった。


 貴族たちが嗜むような茶を淹れられるかはわからないが、フロストミントの苦みが薄らげばいい。沸かした湯に茶葉を入れ、年季の入ったマグカップに注いだ。洒落た陶器のカップでもあればよかったが、ないものねだりをしても仕方ない。


 粉末を加えれば、味はお茶、意味は薬湯の完成だった。


 ベッドに近づくと、ヒースは既に起きていた。天井から吊るした乾燥ハーブを見上げている。この家にあるのは暖炉とテーブルくらいで、ハーブの本数を数えるくらいしか暇つぶしもないのだろう。


 回復したら少し模様替えをするのもいいかもしれない。飾れるものといえば、獣の剥製くらいしか思いつかなかった。


「熱はどう?」


 ヒースはゆっくりルディアナを見た。


「……平気だ」


 顔色はむしろ悪化しており、呼吸も浅い。ルディアナは言葉を返さず、トレーをベッド脇の台に置いた。


「無理をするのがソルディアの人って覚えておくね」


 ヒースが気まずそうな顔をした。堅苦しくない反応が、どこか嬉しかった。


「薬を入れたお茶だけど、飲めそう?」


 意味は薬湯だが、味はあくまでお茶だと伝えたくて、少しだけ思いを込めてみた。


 ヒースは無言で頷く。その上半身を支え、カップを唇に当てた。喉仏がゆっくりと動き、液体が飲み下されていく。


 三口ほど飲んだあと、ヒースは控えめな笑みを浮かべた。


「ひどい味だな」


 薬草の苦みと柑橘の甘さが、どちらも中途半端に主張している。苦くてまずかったに違いない。普段お茶など飲まないから、味の加減がわからなかった。


 慌てて砂糖を取りに立とうとするルディアナを、ヒースが手で制した。


「貴重だろう、無駄遣いするな」


「……ありがとう」


 その言葉に甘えることにして、トレーを元に戻した。


 しばらくして、月明かりが弱まり始めた。部屋の中に影が濃くなり、暖炉の火だけでは足りなくなってきた。


 ルディアナは立ち上がり、壁の装置のつまみをひねると、白い光がぱっと灯った。


「は?」


 ヒースがすっとんきょうな声をあげ、ベッドに横たわったまま目を見開いた。意味を探すかのように、白く輝く天井灯を凝視している。


 魔法かと思ったのかもしれない。もっとも、魔力の気配がないことくらい、魔法使いである彼には分かるはずだ。


「蛍光灯っていうの。魔力じゃなくて、電気で光るの」


 ヒースは興味深そうに聞き返した。


「魔力を使っていないのに、灯るのか?」


「うん」


 魔法使いであるヒースには、魔力なしで光を生むという発想は新鮮なのだろう。ルディアナにとって、彼はもはやただの患者ではなかった。


 前線に立ってきた貴族であり、魔法の使い手であり、技術に興味を持つ対等な知性だった。この男となら、言葉を交わす価値があるのかもしれない。


「仕組みは……」


 説明しようとして、やめた。たぶんこのままだと、川の流れを起点にした供給系から、連結セルの容量限界、制御子の誤作動率まで一気に話してしまう。気づけば、誰も求めていない安全係数の話に辿り着く未来が見えた。


 ヒースの顔色はまだ悪く、今は体力を消耗させたくなかった。


 ヒースは黙って、灯りとルディアナを交互に見ている。暖炉の橙と電灯の白が混ざり、雪に閉ざされた部屋を照らしている。古い温もりと新しい光が重なり合い、この部屋だけがソルディア帝国の魔法とアルベレオ王国の科学技術の境界を曖昧にしていた。

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