ふとした瞬間、手を握る

ご飯たべたい

この気持ちは罪ですか?

 私は平日早朝5時半頃、毎日夫を車で送っている。

 夕方は17時から18時頃に駅まで迎えに行く。


 夫は免許を持ってないから、私が運転して車で毎日駅まで送迎するのが日課だ。


 駅まで車で約10分、今の家に引っ越してきて5年ほど経つが、コロナ禍期間以外これを繰り返している。


 車が信号待ちで停止する時、私は夫の手を握る。

 送迎を始めた当初は高い頻度で、今はふとした時に手を握り、指を絡めるのだ。

 

 夫の手の温もりを感じるために。


 手を振り払わないのを確かめるために。


 過去付き合った男性には、手を握れば振り払われ続けた。

 それでも私は手を握り続けたが、握り返してくれることはなかった。


 夫は私が握った手を振り払ったことは一度もない。

 

 今、送迎を始めた当初より手を握る頻度が低くなったのは、愛情が目減りしたからではない。

 握った手を振り払わない人だと、信用出来たからだ。

 手を握ることで愛情を確かめなくても良くなったのだ。


 夫は何気ない仕草、私との会話、無意識に行う行動、その全てで、私を大事に思ってくれる気持ちを、今なお示し続けてくれている。

 

 試さなくても良くなった。

 それでも助手席にいるだけで、楽しそうにしている夫を見るたび、手を握りたくなる。


 仕事終わり迎えの車に乗り込んだ夫が、

「『君』の顔を見れて元気が充電出来たから、今からが『今日』の始まりなんだ」

 と、レベルの高い甘い言葉を紡ぐたび、私は照れ隠しに手を握りたくなるのだ。


 そういう時に手を握ると、夫の手から体温と共に愛情が滲み出てくる気がする。まぁ単純に夫の手が人より温かいだけなのだが……

 有り体にいえば、夫の手から伝わる温もりを感じるのが好きなのである。

 

 ちなみに夫は、このレベルの甘い言葉を吐くのに何の照れもない。

 夫は「気持ちを表に出すのに、何の問題が?」という。

 そんな発言を聞くたび、私は夫に一生敵わないと思わされる。

 心情的には全面的降参をしている私だが、手を握るたびに、ふと思う仄暗い気持ちがある。


 それは「出来うれば死ぬ時は夫に手を握っていて欲しい」という気持ち。


 自分という存在がなくなる瞬間、最後まで感じる存在が夫であるというのは、どれだけ幸福だろうかと、夢想してしまうのだ。

 希死念慮があるわけではない。ただ取り残された世界に、夫の手を握る以上の幸せがあるのかと思うだけである。


 多分、夫より先に死ぬのは不可能だろう。

 夫の方が私より10歳年上だし、それでなくても女性の方が寿命が長い。


 きっと見送るのは私だ、それは分かっている。

 でも夫に私のいない世界で生きてほしいと思ってしまうのだ。


 私は死ぬ時に手を握ってほしいと願うのに……

 夫のいない世界には、夫の手を握る以上の幸せがないと思っているのに……

 自分が置かれて嫌な境遇に夫を置きたいと思ってしまうのだ。


 そんな仄暗い気持ちを持ってしまうのは罪のような気がしてならない。


 いつ訪れるかは不確定だが、確実に訪れる将来に対する思いを心にちらつかせつつ、私は今日も夫の手を握る。

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