第8話 感染源の特定

警察病院の集中治療室(ICU)。

無機質なモニター音が響く部屋で、堂島剛(どうじま ごう)はベッド上の男を見下ろしていた。


 男の名は沢村。

 裏社会では名の知れた殺し屋だ。その彼が、今は見る影もなく怯えきっている。右腕は肘から先が紫色に変色して切断され、喉からはヒューヒューという風切り音しか聞こえない。


「……声帯が変質してやがる。まるで獣の喉だ」


 堂島は舌打ちをした。

 医師の診断は「原因不明の血栓症による右上肢壊死」と「声帯の急激な形態変化」。

 剛田や蛇島(へびしま)、そして半グレ集団『レッド・スコーピオン』の連中と同じ手口だ。


「おい、沢村。聞こえてるな」


 堂島が声をかけると、沢村はビクッと体を震わせ、必死に首を縦に振った。その目には、警察への警戒心よりも、もっと根源的な「何か」への恐怖が焼き付いている。


「お前をこんな目にあわせたのは誰だ? ……黒竜会と揉めたのか?」


 沢村は首を横に振る。

 堂島はメモ帳とペンを放り投げた。


「書け。相手の名前か、特徴を」


 沢村は震える左手でペンを握り、殴り書きのような文字を記した。


 『高校生』  『悪魔』  『実験』


 その三つの単語を見た瞬間、堂島の中でパズルのピースがカチリと嵌まった。


(……確定だ)


 やはり、あのガキだ。相馬湊。

 ただの秀才高校生だと思っていた少年が、プロの殺し屋を返り討ちにし、生きたまま解体したのだ。


「早見、行くぞ」

「えっ、どこへですか係長?」

「黒竜会の事務所だ。……戦争が始まるぞ」


 堂島は廊下を大股で歩き出した。

 高校生がヤクザに喧嘩を売った。普通なら自殺行為だ。

 だが、相手が「魔法使い」なら話は別だ。

 最悪の場合、今夜この街で、警察の手が届かない大虐殺が起きるかもしれない。


          ◇


 同時刻。相馬家の洗面所。

 僕は鏡に映る自分の顔を見つめていた。


「母さん、今日は友達の家で勉強合宿してくる。帰りは明日になるかも」

『あら、そうなの? 偉いわねぇ。夜食は持った?』

「うん、大丈夫。行ってきます」


 リビングにいる母に声をかけ、僕は洗面所の鍵を閉めた。

 嘘をつくのは心苦しい。だが、これが母を守るための最善策だ。

 黒竜会は必ず報復に来る。沢村が失敗したと知れば、次は母を人質に取るかもしれない。

 だから、今夜中に潰す。組織の中枢を叩き、二度と立ち上がれないように「治療」する。


 問題は、防犯カメラと目撃者だ。

 黒竜会の事務所周辺には監視カメラが無数にあるだろう。制服姿の高校生が乗り込めば、一発で身元が割れる。


「……なら、別人になればいい」


 僕は鏡の中の自分に手を伸ばした。

 自分の顔に触れる。皮膚の下にある頭蓋骨の感触。


 ――自己生体編集(セルフ・エディット)。

 ――頬骨(きょうこつ)、三ミリ隆起。

 ――眼窩(がんか)、一ミリ拡大。

 ――顎関節、形状修正。


 メキ、ミチチ……。

 顔の骨が軋む音が頭蓋内に響く。痛みはない。神経を遮断しているからだ。

 まるで粘土細工のように、僕の顔が変わっていく。

 切れ長だった目は少し丸みを帯び、鼻筋は太く、顎のラインも変える。最後に、髪の毛根を刺激して、一時的に白髪混じりに色素を抜く。


 数分後。

 鏡の前に立っていたのは、相馬湊ではなかった。

 どこにでもいそうな、三十代半ばの疲れたサラリーマン風の男。


「……声帯も調整しておくか」


 喉に指を当て、少し低音が出るように弦(声帯)を緩める。

 完璧だ。これなら母が見ても、息子だとは気づかないだろう。


 僕は用意しておいた安物のスーツに着替え、沢村から奪った拳銃(チャカ)を懐に入れた。  

 重たい鉄の感触が、僕の肋骨に冷たく触れる。


「さて、往診の時間だ」


          ◇


 繁華街のメインストリートから一本入った場所にある、重厚な自社ビル。

 黒竜会の本拠地だ。表向きは建設会社を装っているが、夜になっても黒塗りの高級車が出入りし、怖そうな男たちが入り口を見張っている。


 僕は「疲れたサラリーマン」の足取りで、ふらふらとビルに近づいた。


「おいコラ、ここに関係者以外立ち入り禁止……」


 立ちはだかった見張りの男。

 僕が顔を上げると、男は怪訝な顔をした。酔っ払いか何かだと思ったのだろう。


「あー……すいません。ここ、病院ですよね?」 「あ? 何言ってんだ、失せろ!」


 男が僕の肩を突こうと手を伸ばした瞬間。


 ガシッ。


 僕はその手首を掴んだ。


「予約してあるんです。『脳外科』の手術をね」


 ――対象、中脳水道。髄液圧上昇。


「あ……が……?」


 男が白目を剥いて膝から崩れ落ちる。

 脳圧を一瞬だけ高められ、平衡感覚を失ったのだ。強烈な船酔いのような状態で、立つことすらできない。


 僕は倒れた男の懐からインカム(無線機)を抜き取り、耳に装着した。


『おい田所、どうした? 入り口で誰か揉めてんのか?』


 無線からドスの効いた声が聞こえる。

 僕は「編集」した低い声で、冷静に応答した。


「……敵襲です。至急、組長を守ってください」

『あ!? 誰だテメェ!』

「死神ですよ」


 プチッ。無線を切る。

 これでいい。奇襲よりも、恐怖を与えた方が面白い。

 建物の中が蜂の巣をつついたように騒がしくなる気配がする。


 僕は自動ドアを抜け、ロビーへと足を踏み入れた。

 エレベーターホールには、すでに金属バットや日本刀を持った構成員たちが集結している。


「あいつだ! やっちまえ!」


 殺到する怒号と暴力。  僕はポケットから拳銃を取り出し――しかし、引き金は引かずにグリップを握りしめた。

 これはただのブラフ(こけおどし)だ。

 僕の本当の武器は、この五本の指。


「患者が多いな。……まとめて治療してやる」


 僕は床を蹴った。

 人体という精密機械を知り尽くした天才による、一方的な解体ショーの幕が開く。

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