第7話 捕食者の連鎖

広域指定暴力団・黒竜会(こくりゅうかい)の事務所。  

その一室には、異様な光景が広がっていた。


「……あ、あう、あぅ……」


 ソファに座らされているのは、半グレ集団『レッド・スコーピオン』のリーダーだった梶原(かじわら)だ。

 彼は焦点の合わない目で天井を見上げ、口から涎(よだれ)を垂れ流している。時折、ビクンと身体を痙攣させては、引きつった笑い声を上げる。


「完全に壊れてやがるな」


 吐き捨てるように言ったのは、若頭の工藤(くどう)だ。

 彼は梶原の頬をタバコの火で軽く炙った。ジュッ、と音がして皮膚が焦げるが、梶原は反応しない。痛みを感じていないのか、あるいは脳の処理が追いついていないのか。


「クスリの売上を上納に来ねぇと思ったら、このザマだ。構成員も全員廃人。……工藤さん、これ警察の仕業ですかね?」


 部下の問いに、工藤は首を横に振った。


「サツはこんな芸当はしねぇ。それに、県警に潜り込ませてる『犬』からの情報じゃ、警察も困惑してるらしい。『高校生が魔法を使ったとしか思えない』とな」


「高校生……?」

「ああ。名前は相馬湊そうま みなと。ガリ勉の優等生だそうだ」


 工藤はテーブルの上に、盗撮された湊の写真(登下校中の様子)を放り投げた。


「こいつが梶原たちのシマを荒らした『掃除屋』だとしたら、落とし前をつけさせなきゃなんねぇ。……沢村さわむらを呼べ」


「沢村さんを? 相手はたかがガキですよ?」

「ガキだろうが化け物だろうが関係ねぇ。俺たちのメンツを潰した報いは、死より重い恐怖で払わせる。それが流儀だ」


          ◇


 その夜、僕は塾からの帰り道を歩いていた。

 母を安心させるため、表向きは受験勉強に励むふりを続けている。


(……空気が重いな)


 住宅街へ続く公園の横を通り過ぎたとき、肌が粟立つのを感じた。

 警察の監視(マーク)とは違う。もっと鋭利で、殺意の純度が高い視線。


 僕は立ち止まらず、歩く速度も変えずに、意識だけを研ぎ澄ませた。

 聴覚(オーディオ)の感度を調整。鼓膜の振動効率を上げ、周囲半径五〇メートルの音を拾う。


 ……コツ、という革靴の音。背後一〇メートル。

 心拍数は六〇前後。極めて冷静。

 素人じゃない。


「――こんばんは、相馬湊くん」


 街灯のない暗がりから、声がかかった。

 振り返ると、スーツを着た痩せ型の男が立っていた。年齢は三〇代半ば。手には黒いアタッシュケース。一見するとサラリーマンだが、その立ち姿には一分の隙もない。


「……誰ですか?」

「沢村という者だ。少し、仕事の話があってね」


 男は穏やかな笑みを浮かべながら、一歩ずつ距離を詰めてくる。


「梶原という男を知っているね? 君が壊した玩具(おもちゃ)のことだ」

「何のことかわかりませんね。人違いじゃないですか?」


 僕はシラを切る。

 だが、沢村は止まらない。彼の右手が、ふところへと伸びる。


「君の力には興味がある。上の人間も会いたがっていてね。……拒否権はないよ」


 その言葉と同時に、空気が凍りついた。

 沢村が懐から取り出したのは、サプレッサー(消音器)付きの拳銃だった。


 シュッ。


 ためらいのない発砲。

 乾いた音が響き、僕の足元のコンクリートが弾け飛んだ。

 威嚇射撃。次は足か、腹か。


「へぇ……本物の銃か」


 僕は驚くどころか、感心してその銃口を見つめた。

 距離は五メートル。

 弾速は音速を超える。見てから避けるのは不可能だ。


「大人しく車に乗れ。手足を撃たれて運ばれるよりはマシだろう?」

「断る」


 僕はカバンを地面に落とし、両手をだらりと下げた。


「僕は忙しいんだ。君たちのような野蛮な連中と遊んでいる暇はない」

「……交渉決裂か。残念だ」


 沢村の目が細められた。殺気のスイッチが入る。

 引き金に指がかかる。


 瞬間、僕は自分の体内時間を加速させた。


 ――副腎髄質、刺激。アドレナリン、ノルアドレナリン、大量分泌。

 ――視神経、信号伝達速度を三倍へ。

 ――筋肉リミッター、全解除。


 世界がスローモーションになる。

 沢村の指が数ミリ動くのが見える。銃口が僕の右太ももを狙って微修正されるのがわかる。


(そこか)


 発砲の瞬間、僕は地面を蹴った。

 人間の限界を超えた瞬発力。

 弾丸が、僕のズボンの裾を掠めていく。熱を感じるほどのギリギリの回避。


「なっ……!?」


 冷静だった沢村の表情が、初めて驚愕に歪む。

 五メートルの距離が、一瞬でゼロになった。


「君の敗因は二つある」


 僕は沢村の懐に入り込み、銃を持つ右手に触れた。


「一つは、僕をただの高校生だと思って距離を詰めたこと」

「離れろッ!」


 沢村が左手でナイフを抜こうとする。

 だが、遅い。


「もう一つは――君自身が『生物』であることだ」


 ――生体操作(バイオ・コントロール)。

 ――対象、右腕橈骨動脈。血栓生成。


 ドクン。


 沢村の腕の中で、血液が瞬時に固まり、血管を詰まらせた。

 血流の遮断による急激な機能不全。指先への神経伝達が途絶える。


 カラン、と拳銃が地面に落ちた。


「ぐ、あぁ……手が、痺れて……」

「血栓症だよ。数分以内に処置しないと、腕が壊死して切断することになる」


 僕は動揺する沢村の喉元を掴み、そのまま公園のフェンスに押し付けた。

 プロの殺し屋といえど、肉体の構造を知り尽くした僕の前では、ただの標本に過ぎない。


「君を雇ったのは誰だ? 黒竜会か?」

「……殺せ。何も喋らんぞ」


 沢村は脂汗を流しながらも、殺し屋としての矜持を見せた。

 その目は死を覚悟している。拷問にも耐える訓練を受けているのだろう。


「殺さないよ。死体処理は面倒だからね」


 僕は冷たく微笑み、彼のみぞおちに手を当てた。


「代わりに、君を『伝書鳩』にしてあげる」

「なに……?」

「君のボスに伝えてくれ。『次は、組織ごと解体(オペ)しに行くから首を洗って待っていろ』と」


 ――編集実行。


 僕は沢村の声帯を変質させた。

 さらに、恐怖中枢に消えない刻印を焼き付ける。


「あ、あ、ああ……!!」


 沢村が喉を押さえてうずくまる。

 声が出ない。いや、出そうとしても、獣のような唸り声しか出なくなっている。


「さあ、行け。壊死する前に病院へ行けば、腕くらいは残るかもしれないよ」


 沢村は恐怖に顔を歪め、ふらつく足取りで逃げ去っていった。

 拳銃だけが、足元に残されている。


「……さて」


 僕は落ちていた拳銃をハンカチで包んで拾い上げた。

 ずっしりとした鉄の重み。


(ヤクザか……)


 不良グループとはわけが違う。組織力、資金力、そして暴力の質。

 まともにやり合えば、母に危険が及ぶ可能性が高い。  

 ならば、答えは一つだ。

 向こうが動き出す前に、僕が彼らの組織を中枢から腐らせてやる。


 僕は夜空を見上げた。

 月が綺麗だ。

 今夜は、勉強どころではなさそうだ。

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