第6話 深夜の摘出手術
堂島刑事との接触から数日が過ぎた。 僕の周囲には、常に粘着質な視線が張り付いている。校門の前には不審な軽バン。通学路ですれ違う作業員風の男。
警察の監視(マーク)だ。
(ご苦労なことだ。税金の無駄遣いだよ)
僕は図書館で参考書をめくりながら、心の中で嘲笑う。
彼らは「高校生の相馬湊」を見張っているつもりだろう。だが、僕がその気になれば、肉体の構造(フェイス)を一時的に書き換えて別人に成りすますことなど造作もない。
骨格を数ミリずらし、表情筋の付き方を変えるだけで、人間の顔というものは別物になる。
だが、今はまだそのカードを切る時ではない。
僕は優等生として振る舞いながら、夜を待った。
◇
深夜二時。
僕は自宅の窓から音もなく抜け出し、繁華街の裏路地に立っていた。
フードを目深に被り、マスクをする。これだけで監視の目は誤魔化せる。警察は「真面目なガリ勉が夜遊びをするはずがない」というバイアスにかかっているからだ。
今日の標的(患者)は決まっている。
『レッド・スコーピオン』。
最近、この界隈で幅を利かせている半グレ集団だ。彼らはあろうことか、僕の通う高校の生徒に「痩せ薬」と称して危険な違法ドラッグを売りつけている。
僕の生活圏(テリトリー)を汚す害虫。駆除対象としては申し分ない。
廃ビルを利用した彼らのアジト。
鉄扉の前に立つ見張りなど、気絶させるまでもなかった。頚動脈を一撫でして血流を阻害すれば、数秒で夢の中だ。
「……誰だ、テメェ」
最奥の部屋。
酒と紫煙の充満した空間に、リーダー格の男――梶原(かじわら)がいた。周囲には五、六人の手下。テーブルには札束と白い粉。
僕は無言で部屋に入り、入り口の鍵を閉めた。
「おい、聞いてんのかガキ! ここが誰のシマか分かって……」
手下の一人がバタフライナイフを取り出し、威嚇しながら近づいてくる。 僕は溜め息をついた。 学習能力のない単細胞生物(アメーバ)と会話するのは疲れる。
「君たちの心臓、少しうるさいな」
僕は迫りくるナイフを避けもせず、男の胸に掌を当てた。
――心筋への電気信号を操作。 ――心拍数、毎分三〇〇へ強制上昇(オーバークロック)。
「が、はっ……!?」
男が胸を掻きむしって倒れる。
心臓が破裂しそうなほどの早鐘を打ち、全身に血が巡りすぎて鼻と目から血が吹き出す。
「な、なんだ!?」
「ヒロシがいきなり倒れたぞ!?」
騒然となる部屋の中で、僕は静かに梶原を見据えた。
「君がリーダーだね。君たちの組織は、社会という人体に寄生する悪性腫瘍だ。だから、摘出手術を行う」
「て、手品か何か知らねぇが……殺せ! 全員でやっちまえ!」
梶原の号令で、残りの男たちが一斉に襲いかかってくる。鉄パイプ、メリケンサック、スタンガン。
暴力の嵐。
だが、僕にはすべてが止まって見える。
鉄パイプを振るう男の腕に触れる。
上腕三頭筋を「壊死」させる。腕が腐った木のように力を失う。
殴りかかってくる男の拳に触れる。
指の骨と皮膚を「癒着」させる。拳が肉団子のように融合し、二度と開かなくなる。
「ひ、あ、あああぁぁぁ!?」
「俺の手が! 指がくっついて……!?」
断末魔のような悲鳴が響き渡る。
数分も経たずに、立っているのは僕と梶原だけになった。
床には、手足の自由を奪われ、芋虫のようにのたうち回る元・凶悪犯たち。
「ば、化け物……テメェ何なんだよ!」
梶原が腰を抜かし、後ずさりして壁に張り付く。
その顔は恐怖で引きつり、失禁しているのが臭いでわかった。
「化け物じゃない。執刀医だ」
僕は梶原の前にしゃがみ込み、彼の顔を覗き込んだ。
「君は生徒たちに薬を売っていたね。依存性を作り出し、脳を破壊して金を搾り取る。……なら、君も同じ目に遭うべきだ」
「や、やめろ! 金ならやる! いくらだ!? 警察には言わねぇから!」
「金? 紙切れに興味はないよ」
僕は梶原の
「脳の報酬系回路を少しイジる。君はこれから、呼吸をするだけで絶頂に達するし、瞬きをするだけで激痛が走る。快楽と苦痛のランダム再生だ」
「ひ、いいぃぃぃ……!」
「人間の脳がどこまで矛盾した信号に耐えられるか。……興味深い実験データになりそうだ」
――編集実行。
「ア、アガ、ギギギギ……ッ!!!」
梶原が白目を剥き、不気味な笑い声を上げながら、同時に涙を流して痙攣し始めた。
廃人。
もう二度と、彼はまともな思考を取り戻すことはないだろう。
「手術終了」
僕は部屋を見渡した。
血は一滴も流れていない。死人もいない。
ただ、この部屋にいた全員が「生物としての機能」を一部喪失しただけだ。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえる。
誰かが通報したのだろうか。あるいは、悲鳴が外に漏れたか。
「……さて、帰って勉強の続きをしないと」
僕はフードを被り直し、非常階段へと向かった。
夜風が心地よい。
街のゴミを掃除した後の空気は、いつもより澄んでいる気がした。
◇
翌日。 県警の捜査会議室は、重苦しい沈黙に包まれていた。
「……半グレ集団『レッド・スコーピオン』が壊滅?」
報告を受けた堂島が、眉間の皺を深くする。
「はい。アジトで構成員全員が確保されました。ですが……全員、会話が不可能です」
「どういうことだ」
「手足が奇妙に変形していたり、精神に異常をきたしていたり……。まるで、何かの実験台にされたような有様で」
部下の言葉に、堂島は煙草を灰皿に押し付けた。
脳裏に浮かぶのは、あの生意気な優等生――相馬湊の顔だ。
「……また、あの手口か」
外傷なき傷害。医学を嘲笑うような人体改造。
これはもう、疑いようがない。
街に、とんでもない怪物が解き放たれている。
「相馬湊……。お前、一体何をするつもりだ」
堂島は震える手で新しい煙草を取り出した。
それは恐怖による震えか、あるいは強大な敵に出会った武者震いか。
戦いは、まだ始まったばかりだった。
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